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scene.8 硝子の蛹ーphaze.kohtaー

 ――とある日の昼下がり。 オレはいつものように、親父の働くサロンのドアを開けて声を掛けた。 「こんちわー。入るよ」 「いらっしゃ……おや、航太でしたか。どうぞ」 「…うん。…あれ、結真さんは?」 「今日は実家に帰省していますよ。夜には戻ってくると思いますけど」 「……へえ、珍しい。…何、喧嘩でもしたの?」 「違いますよ。…前に話したでしょう、僕の生家の土地の再開発の話。結真君は時々、その仕事の手伝いに行ってるんですよ」 「あっそ。……わざわざ遠くまでご苦労な事で。…あれ、じゃこっちの仕事は?」 「今は此処も予約優先でやってますから、予約が無ければ閑古鳥状態ですよね。そういう時には僕が留守番、みたいな感じです」 「自分の店なのに~?…まあ、いいけどさ。あ、それより例のやつ、届いてるかな?」 「ええ、届いてますよ。言われた通り、裏のアパートの一室に置いてありますから、自由に使ってください」 「サンキュー。すげー助かる」 「ご飯の時と作業が終わった時には、声を掛けてくださいね」 「うん、分かった。…じゃ、部屋借りるな」 「どうぞ」  そう言って、オレは店舗横の階段から駆け上がり、親父が用意してくれたアパートの空室のうちの一部屋を間借りして、月末に向けての作業に取り掛かった。  それから何時間ぐらい経ったのかも分からなかったけど、息抜きも兼ねて窓の外に視線を移してみたら、いつの間にか辺りはすっかり暗くなっていた。   「…あ、もうそんな時間かー…。じゃ、今日はこのくらいにしておくかな」  前に婆ちゃんに見せてもらったビデオのおかげで、オレの制作作業はあまり苦労する感じも無くて、このままのペースで続けていけば、月末の本番までには何とか間に合いそうだ。 「…あー…疲れた~…」  一時的な作業の為とは言え、親父の店までわざわざ足を運んできているので、家に帰る前に一度店舗の方へ顔を出しておこうと思って、アパート裏の階段は利用せずに、そのままバックヤードと直接繋がっている階段から下の階の店舗へと降りて行った。 「……よっ、元気か?」 「…結真さん。戻って来てたんだ」 「ああ。ごめんな、せっかく来てくれたのに会えなくて。……作業はどうよ?捗ってる?」 「…うん、今のところは何とか。……完成にはまだ程遠いですけど」 「そうなのか。……しかし意外と大変なんだな、お前んとこの文化祭って。たった一つの見世物の為だけに、ここまで本気になるなんてさ」 「…オレんとこって高専なんで、居るのは職人みたいな奴ばっかなんですよねー。ほとんどの生徒がそんな感じなんで、文化祭ってなると皆がここぞとばかりに燃えまくるんですよ。中には、あれこいつ実はプロなんじゃね?みたいな奴も普通に居るし…。でも、それがまた面白いんですよね」 「へえ、そうなんだ。こりゃ本番が楽しみだな」 「……あれ、まさか本気で見に来るつもり?」 「もちろん」 「えー…!…マジで勘弁してよ。……男だらけの舞台なんて大して面白くないぞ!」 「いやだってお前、衣装担当なんだから別にいいじゃん」 「そうだけど…。でもダメだってマジで!!」 「……結真君」    焦るオレを横目にしつつ、意地の悪い微笑みを浮かべながら親父が結真さんの耳もとで何かを囁きかける。……それを聞いた結真さんがオレを見て笑いそうになったので、ああこれはもうダメだな、と素直に諦める事にした。 「……クソオヤジ」  悔しいのと恥ずかしいのがごっちゃになってしまったが、オレは親父に最大限の皮肉を込めて言ってやった。 「あー…なるほどな」 「…けど航太らしいですよね?」 「……好きでなった訳じゃない。たまたまクジ運が悪かっただけだよ」 「まあいいんじゃないの?お前ってもともとそういう格好とかするの好きなんだからさ。ドレスも意外と似合うんじゃない?」 「オレは別に女装が好きとかじゃなくてだな…」 「……でも昔はよくやってただろ?俺が初見で女の子と見間違えるくらいだったんだから」 「言っとくけど、あれはそんなつもりだったんじゃないぞ。……それに今はやったとしても、亜咲の前だけだ。…あいつを喜ばせる為だけにやるんだ。……そう、決めた」  ――それは、オレがずっと考えていた事だ。    亜咲にはよくからかわれていたけれど、そんなオレを見てゲラゲラ笑ってくれたり、あまりにも完璧に化けすぎて少し戸惑いながらも可愛い、綺麗だ、と言って喜んでくれたりする姿を見るとすごく嬉しかったし、そんな何気ない時間を共有できるのがとても楽しかった。    ――だが、今はどうだろうか。    最近の亜咲は、謎の夢や自分の身体の不調のせいであまり外出する事も無くなり、この前のようにたまに顔を合わせても、ずっと俯いていたり気持ちが塞いでしまっていて、以前のようには笑ってくれなくなった。……そんな姿を見ていれば、かなり精神的に追い詰められているんだろうというのは流石のオレでも分かる。……そんな亜咲の為に、今のオレがしてあげられる事はなんだろう。…そう考えた時、オレは今までの自分を変えなくちゃいけないと思った。  ずっと正体の見えない不安に怯えて、心が圧し潰されそうになっている亜咲を救えるのはオレしか居ない。そう思えるくらいに強く、そして優しく、亜咲がオレを頼っても大丈夫だと確信できるくらいまで成長していかなければならないのだ。……全てにおいて。  ――そうしなければ、オレと亜咲の関係は……成り立たなくなる。  今回の事は、そんなオレを地獄に突き落とすくらいの出来事なのだと…そう痛感していた。 亜咲はこんなオレの事をどう思っていたんだろう。……今、本気で苦しんでいる自分を見ているオレの事を、信頼してくれていたんだろうか。……考えれば考えるほど、オレの中には疑問が残る。亜咲が本当に辛い思いをしていた時、親父にけしかけられたとは言え、オレは亜咲の傍に居ながら、何が出来ていただろうか。……その答えは、否だ。 「…なあ、航太」  気が付いたらすっかり黙ってしまっていたオレを、結真さんの声が引き戻した。 「…俺この前、亜咲誘って呑みに行ったんだよ。…その時にあいつに言った。『お前は硝子の中の蛹だ』って。……この意味、お前なら分かるんじゃない?」 「硝子の…?」 「…そう、『硝子の蛹』。……航太は想像力が豊かだから、俺のこの言葉が何を意味してるか分かるだろ?…言ってみな」  結真さんの言葉は何とも不思議な謎かけだったが、オレは自分の頭の中でその言葉の意味を組み立てながら考えてみた。……すると、こんな答えが導き出された。 「……もしかして、亜咲は心を閉ざしてる……?」 「ビンゴ。……流石だ、航太。…ま、付け足して言うと『心を閉ざそうとしている』って事だな。……人って不思議なもんで、追い詰められた時って意外と周りが見えなくなったりするんだよ。そうすると、自然と壁みたいなもん作り出してさ、その壁で自分を守ろうとしたりするの。…んで、壁に阻まれてるから周りなんて全然見えなくて、一人でしなくてもいい我慢をしたりする。誰も助けてくれないから、全部自分一人だけで問題も解決しようとする。…けど、それにはやっぱり限界があって、その限界を越えちゃったらもうオーバーヒートするしかない。……つまり今の亜咲はそんな状態って事」 「…結真君、それは…。」 「…だからじゃないんですかね。あいつが卒倒する原因。…いろんな事考えすぎて神経擦り減らしまくってるから、身体がそれに堪えられなくなって貧血起こす、みたいな?」 「……確かに。そう考えれば彼のあの不思議な異変も納得がいきますね」 「……あ。そういえば最近、変な夢をよく見るって……。」 「…夢?」 「…うん。亜咲が言うには夢なんだけど夢じゃないみたいな……記憶?とか何とか…」 「……うわー、そっちか」 「…結真君、何か知ってるんですか?」 「いや、そうじゃないけど。……これはかなり深いな」 「……?」 「…航太お前、そろそろ覚悟しないとまずいぞ。あいつ、そのうち此処から……」 「……!…結真さん。オレ、自分がどうすればいいか分かった気がする」 「……は?」 「要するに、心を閉ざそうとしてる亜咲をオレがもう一度引き戻せばいいって事だろ?」 「…お前は頭の回転がいいねー。……お前のその手で、底なし沼に飲み込まれそうになってる亜咲を思いっきり引っ張り出してやんな」 「……分かった」 「そうと決まれば……よし、飯食おうぜ」 「……。」  さっきまでの真面目さはどこへやら、結真さんが急にそんな事を言い出したので、オレと親父は一気に脱力してしまったのだった。                    

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