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scene.14 『アサキ』と『アスカ』の青い鳥
――時は過ぎ、木枯らしの吹く季節を迎え、冬の足跡も近づいてきた11月のこと。
俺はオーナーに声を掛けられて、提携先のマイナ・トリニティへと向かう事になった。
「……亜咲くん!…急な話で悪いんだけど、今日の午後からマイナに出向してくれる?」
「…いいですよ。ちなみに今回はどんな撮影なんですか?」
「もうこの時期でしょ。…だからクリスマス絡みの案件でいろいろやりたいらしいの。もしかすると亜咲くん自身にも声がかかるかも知れないから、それも考慮した道具でお願い」
「はーい」
「あ、それからいつもの最寄り駅であの子もついでに捕まえてって」
「了解で~す」
先月の学園祭以降、俺自身の状態が復調し始めたこともあって、少しずつではあるけれど職場復帰して再びオーナーの店で働くようになった。
店舗の中での仕事はもちろん、先日提携契約を結んだモデル事務所のマイナ・トリニティとの仕事も両立しながら、俺は日々の生活を送っている。
俺がマイナ・トリニティの社長である利苑さんに見初められたのもそうなんだけど、それよりも何よりも驚いたのは、出向の際の俺とのビジネスパートナーとして何故か航太がハンティングされていた事だった。その為、俺がマイナ・トリニティに出向する時には必ず航太が一緒になるという、どうにも複雑な関係性が出来上がっていた。
なので俺は、学生である航太の終業時間を待ってからでないと出向先には行けないので、撮影場所に向かう前には必ず航太の学校のある最寄り駅で待つ、という事が増えた。
そんな事情もあって、以前航太に教えてもらったフォトスタジオにも何度か足を運ぶようになり、そのスタジオの代表である葛城さんとも話す機会が増えて、俺は少しずつ自分自身の心の変化も感じられるようになっていた。
「…こんにちは。お邪魔します」
「はい、いらっしゃい。…今日も航太君待ち?」
「そうなんです。これからまた仕事なので」
「そうか、大変だねー。ま、ゆっくりしてってよ」
「はい、ありがとうございます」
葛城さんにそう声を掛けられて、俺はスタジオの奥にあるウェイティングルームで持ち込んできたスーツケースの中身の整理を始めた。
当初、利苑さんとは事務所専属のスタイリストとしての提携…のはずだったんだけど、ある日どうしても撮影人数が足りないからと言われて撮影に参加したことをきっかけに、その後は専属スタイリスト兼モデルとして仕事をするようになった。
以前の俺ならこんな事も思わなかったんだろうけど、今はスタイリストとしての自分も、撮影モデルとしてカメラの前に立つようになった自分も、どちらの立場になってもその瞬間を純粋に楽しんでいる自分を、素直に認める事が出来る。……そう思えるようになったのは。
「……亜咲!」
「…航太」
「…いつもいつも待たせてごめんな」
「そんな事はいいんだよ、お前はまだ学生なんだから」
「今日はどこまで行くの?」
「場所は渋谷のハウススタジオ。案件自体はクリスマスがテーマ」
「あーそうか。…もうそんな時期だもんなぁ」
「分かったらさっさと行くよ。……先方との約束は17時だ」
「うわーまじかー…」
ほとんど時間無いじゃん…とぐずる航太を尻目に、俺は用途ごとに中身を入れ替えたスーツケースのファスナーを閉じて、航太のカバンも受け取った。
◇ ◆ ◇
「おはようございまーす」
「亜咲君、航太君。いつもご苦労さま。……今日もよろしくお願いしますね」
「利苑さん。……今日はこんな感じで揃えてきたんですけど、大丈夫ですか?」
「はい、確認しますね。……うん、大丈夫ですね。……いつもご協力ありがとうございます。……それから今日なんですが……」
「…あ、撮影モデルの件も大丈夫ですよ。当サロンのオーナーから大体の話は聞いていますので。そちらの方の一式はこんな感じで……」
俺はスーツケースを開いて、利苑さんに中身の荷物の確認をしてもらった。
それを見た利苑さんは軽く頷いて、ありがとうございます、と優しく答えてくれた。
「亜咲君。ちなみに今日なんですけど……当事務所のスタッフとの二人撮影になるんですが……大丈夫ですか?」
「……え??」
「……飛鳥。おいで」
利苑さんがそう言って、自分の横に立っている人物を紹介してくれた。……その人は以前、葛城さんのスタジオで出会ったあの不思議な青年だった。
「…彼はうちのスタッフの一人で、永脇飛鳥と言います。……今回、亜咲君にはこの飛鳥と二人で組んで、撮影モデルになって頂きたいんです。……よろしいでしょうか?」
「俺は別に構わないんですが……彼も所属モデルの一人、なんですか?」
「いえ。……実は、彼自身は僕のマネージャーのような立場なんですが、今回の僕の撮影したいコンセプトイメージがどうしても所属メンバーでは合わなくて困っていたんですよ。……そこでお互いの雰囲気が近い亜咲君と、この飛鳥と、二人で撮影をしてみたいと思ったんです」
「そのコンセプトって……?」
「例えるなら、メーテルリンクの『青い鳥』ですかね。……あの光と闇の世界観を、君達二人が持つその容姿と雰囲気で表現してみたいんですよ」
「青い鳥……ですか……。」
――『……多分、その『青い鳥』に関わる何かが、君の心の奥でずっと潜んでいた記憶の錯乱を起こしていた原因かも知れない。』
――『……でも、亜咲がどうしてそんな弟の記憶を全部失くしちゃったのかまでは、オレには分からなかった。…けど、先生はたぶん分かってるんだと思う。……そんな亜咲の記憶を戻す為に必要なのが『青い鳥』なんだよ』
俺の頭の中に、先日聞いた瀬名医師からの言葉が、そして更に航太からの言葉が……走馬灯のように蘇る。…二人から出された共通の言葉、『青い鳥』というこの3文字のキーワードは、今の俺の中ではどうしても離して考える事は出来ないらしい。
利苑さんもそんな事は知ってか知らずか、俺と、俺の目の前に立っているこの不思議な雰囲気を持った青年……『永脇飛鳥』というその人物に対して、未知なる魅力を見出しているのかも知れない。
「……どうでしょうか?」
「……俺はいいですよ。……あの……飛鳥、さん…は……どうしますか……?」
「……僕、は……。」
「……いいじゃん。やってみなよ。……オレ見てみたい。亜咲と飛鳥さんが二人で魅せる『青い鳥』。……オレの中の二人のイメージはもう大体固まったし、亜咲はOK出してるから……後は飛鳥さん、あんたの返事次第だよ?」
「……。」
自分の立場というものが気になるのか、なかなか判断に踏み切れない飛鳥さんの様子に、俺はふと思いついたことがあって、利苑さんに対してこんな提案を持ちかけてみた。
「…利苑さん。『青い鳥』の主人公って、チルチルとミチルの兄妹ですよね。そのままだと男女の設定になるけど、兄妹を同性として捉えてみたらどう変わりますか?」
「……あ、なるほど。……光と闇を表現するには、そういう考え方も面白いですね。男女の設定では決して表せない、別の魅力が引き出せるかも知れない。…それに同性同士なら、うちの売りであるジェンダーレスモデルという最大の特徴も活かされる」
「……そんな……。」
「やってみなさい、飛鳥。……僕は今回の事で、君を決して貶めるようなことはしない。それは他のメンバーだって同じです。……今回は君と、この亜咲君と……君達二人にしか魅せられない、未知の可能性がある。……その『青い鳥』のペンダントが、君の心の全てでしょう?」
「……っ!!」
利苑さんのその言葉を聞いた彼の表情が急に変わったのを、俺も航太も見逃さなかった。
どうやら『青い鳥』という言葉に敏感になってしまうのは、俺だけでは無かったらしい。
そこを指摘されてしまって心もとなくなったのか、彼は自分の首に掛けられていたペンダントに触れながらガタガタと震え始めてしまった。
そんな彼が触れていたペンダントを見ていて、俺の中で突然降って沸いた既視感が生まれた。
……これはどこかで見た事がある、懐かしい。……そんな感情が心の灯を照らし出す。
「……飛鳥さん、あの……。それ、ちょっと見せてもらっていですか……?」
「…え、これ…?……別に構わないけど……。」
飛鳥さんはそのペンダントを外して、俺の手の上に乗せてくれた。
そうして渡されたものには温もりがあって、そして何故か心の安らぎを感じさせるような不思議な感覚があった。
細かいデザインやその作りをじっくりと見て確かめてみて、俺はこのペンダントの正体が何であるのかという事を理解した。
「……これ、七宝焼……?」
「……うん、多分……。…元々はブローチ型だったけど、宝飾関係の知り合いに頼んでペンダントにリメイクしてもらった」
「…へえ、そうなんだ。……すごく良く出来てるね。……これがブローチだったとは思えな……えっ!?」
――その衝撃たるや、ただならぬものであった。
それと同時に、俺は瀬名医師や航太から教えられた事の全ての辻褄が合っていた事に、大きくショックを受ける。……やはり彼は、俺が瀬名医師との退行催眠の最中に夢の中で出会った、あの『アスカ』という名前の少年であり、それはつまり、俺の記憶の全てから失われていたという、双子の弟の『飛鳥』であるという事に。……何という運命なんだろう。
瀬名医師が言っていた『青い鳥』が、こんな形で再び俺達二人を引き合わせる事になるなんて。
――だが、その事を確信した俺には、もう何の迷いも無かった。
俺はペンダントを彼に返し、そしてそのままこう言った。
「飛鳥さ……いや、飛鳥くん。俺と一緒にやってみよう。……俺の事、本当の兄弟だと思ってくれていいから、二人で。……俺達二人だからこそ魅せられる『チルチル』と『ミチル』を表現してみよう」
「……藤原さ……」
「『亜咲』だよ。……兄弟だったら、他人行儀な敬称なんていらない。……俺も君のことは名前で呼ぶから、君も俺の事は名前で呼んで?……ね、飛鳥?」
「…亜咲、さ…」
「…ん、なあに?」
「……あの、よろしく…お願い…し、ます……」
「……よーし!……俺、頑張っちゃう~」
「……亜咲。お前、調子乗り過ぎ……。」
「いいんだよ~?俺、モデルじゃなくて本職スタイリストだもん。……航太だってもうイメージは出来てるんだろ?」
「……ああ」
「まずは俺が彼のヘアアレンジをしますから、利苑さんの作りたいイメージを教えてください。それから…」
「分かりました。…それじゃ、早速始めてみましょうか」
その後の話はトントンと進んでいき、俺達は少しずつ自分たちの作りたいイメージを順番に積み重ねながら、俺達だからこそ表現できるという、新しい世界観の『メーテルリンクの青い鳥』のストーリーを作り上げていったのだった。
そうして全ての撮影が終わった頃、時計は既に夜の9時を回っていた。
仕事とは言え、まだ未成年の航太をこれ以上縛り付けておくのはまずいので、続きは別撮りという事にして俺達は全ての片づけを終え、自前で持ち込んできたスーツケースの荷物をまとめていると、その後ろから飛鳥さんに声を掛けられた。
「あの…亜咲さん。…お疲れさまでした」
「飛鳥くんも。モデル初めてだったんだろ?…だけどすごく良かったよ?」
「……それは…あなたのおかげ、です……。…僕はこういう事にはあまり慣れていなくて…」
「最初なんて皆そうだよ?俺だって同じだもん。……ただのスタイリストが、モデルの真似事するなんて思ってもみなかった。……でも、いざやってみると自分の中に今まで知らなかった自分が現れる。…でもそれが面白い。…俺ね、少し前までいろいろ大変だったの。自分の仕事すらまともに出来なくなって、3ヶ月くらいずっと精神科の先生にお世話になってた。でも今はこうして何とかやっていけてる。……君は?」
「…僕、は……」
「飛鳥くん。……俺が見たところ、君は人の目を見て話す事が苦手みたいだけど……とても魅力のある綺麗な良い目をしているのに、もったいないよ。…もっと自分に自信を持とう?」
「……だけど……。」
「……そのペンダント…」
「……え?」
「……それ、多分……俺は見覚えがある。……飛鳥くん。…君、もしかしたら……これ、知ってるんじゃない?」
そう言って俺が彼に見せたのは、自分のスマホにアクセサリーとして付けている赤い花のデザインが施されたストラップだ。
「……これは俺が昔、実家の婆様と一緒に制作した七宝焼のストラップだよ。…今のものとは少しデザインが違うけど、これと同じものを子供の頃に作った記憶がある。…その時に一緒に作ったのが、『青い鳥』のブローチだ。……君はそのブローチを、今身につけているペンダントとしてリメイクしてもらったんだよね。…飛鳥くん。…君、本当はもう知ってるんでしょ?……俺が一体誰なのか」
「……そ、れは……。」
俺の話は、彼の核心を突いた。それは彼の強張った表情を見れば一目瞭然だった。
俺自身、その記憶の中から抹消してしまっていた『弟』を、彼の持っていた『青い鳥』のペンダントから引き戻し、そしてそんな自分の過ちを認める事にしたのだ。
恐らく彼は、幼い頃に俺と離れてから様々な偶然が重なって再会した今この瞬間まで、あまり人に恵まれた生活はしてこなかったんだろう。それは彼のこの雰囲気を見れば分かる。
人より一歩距離を引いていて、少し遠慮しつつ伏し目がちに他人を見るその姿が、どこかミステリアスで謎の多い彼の魅力を、一段と引き立たせてくる。
利苑さんがこの不思議な魅力に気づいて、正反対の俺との対比をしてみようと思った理由も何となく分かったような気がした。
「……亜咲さん……」
「……俺、本当は君に謝らなくちゃいけない。……俺はあの日以来、君の事を考えないようにしてきた。…俺は1人なんだと……あの家を引き継げるのは俺しか居ないんだと……ずっとそう思って生きてきた。だけどそのせいで、俺は知らないうちに…自分で自分を追い詰めてた。追い詰めて、追い詰めすぎて……俺は自分自身を保っていられなくなった」
「……それは、あなたのせいじゃない……。」
「……そうだね。…でも、やっぱり君には申し訳ない事をしてしまったと思う。……ごめんね、『飛鳥』。」
「……そんな、こと……。僕は全然……気にしてない、から……」
「……ありがとう。……ねえ、飛鳥。……君は今、幸せ……?」
ふと、そんな事を聞いてみる。
今、俺の周りには社長やみわ子さん、結真さん、瀬名医師……そして現在の俺のパートナーであり、誰よりも大切な恋人である航太。……沢山の人に支えられて、俺は生きていく事が出来ている。だけど、目の前の飛鳥さん……いや、俺の弟の『飛鳥』は、どうなんだろう。そう思って聞いてみた。……すると。
「……僕には、利苑さんが居るから大丈夫……。……利苑さんは、僕の事をとても大切に思ってくれてる……。きっと、亜咲さんと同じくらいに」
――そう、返ってきた。……そして。
「……だから僕は……幸せ。……僕も…あなたに会えて良かった。亜咲さん、ありがとう」
ありがとう、という言葉と共にその顔を上げ、俺の目をしっかりと見て……とても柔らかい笑顔を見せながら、『飛鳥』はそう答えたのだった。
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