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第6話 試します?

 少し悩むような間を置いて、網野が再び口を開く。 「もっとディープなの、試します?」  まだ、ぽかんとしている俺に、網野は、さらりと言葉を放った。  言葉の意図を読み取ろうと、俺は、網野をじっと見やる。  薄く開いた形の良い唇。  半分閉じた瞳が、俺を見下ろしていた。  その視線は、焼けそうな欲情を孕んでいるように見え、俺の心をふわりと撫でる。  エロい雰囲気を、ふんだんに纏った網野。  その雰囲気が俺をも飲み込んでしまいそうだった。  ――とすっ。  床を打つ紙の音に、理性が引き戻される。  片手に掴んでいた束ねられていない資料が、床に舞っていた。 「……っ。た、試さなくて良いっ」  俺を煽る網野の唇を、片手で覆い、押し離した。  恥ずかしさを誤魔化すように、床に散らばってしまった資料を掻き集める。 「か、揶揄うなよっ」  なにを期待してんだよっ。  なにを勘違いしてんだよっ。  思った瞬間、気持ちが凹んだ。  昂ってしまった分、心が沈んだ。  有り得ないことなのに。  俺は一体なにを考えてるんだよ……。 「揶揄かったわけじゃないですよ。鞍崎さんのお手伝いしたいと思っただけですよ」  至ってフラットに紡がれる言葉に、俺は、何も言えなくなる。  きゅっと痛くなる胸に、資料を集める手も止まる。  今のキスは、そういう意味じゃない。  ただ、口紅の色移りや、感触を試しただけだ。  男が男にキスをするコトに、抵抗が無いだけ。  女の子同士だって、酔ってキスしたりしてるじゃないか。  たぶんそれと一緒。  いや、それよりも、もっともっと……何でもないコト。  網野は、仕事の一環として、微塵の感情もなく、男としての立場から、ただ触れ心地を試してみてくれたに過ぎないんだ。

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