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第5話

「おっと、忘れていた。油揚げは夕食(ゆうげ)にしてしまうが、いいか?」 日が落ち始めた頃、男に聞かれた。 「ナァウ……」 ……ああ、かまわないよ。 そう、答えたつもりだった。 「じゃあ、少しあぶって醤油をたらし食べることにしよう。それと大根をおろして…」 おれのおかしな声に、当たり前のように男が返事を返す。 「もう日がおちる。そしたら夕食の用意を手伝ってくれ」 おれを膝から下ろして、男は土間へ立った。 …日が落ちたら……? 庭に出て空を見る。 まだ…いや、もう落ちたのか? よくわからずに、土間へ立つ男の元へ行った。 男が振り返る。 「おや、どうした。オマエ、髪を切ったのか?それにその着物、まるで町民みたいだ」 「え……。いや、おれはしばらくこの頭だし、着物もずっとこれだ」 「ふふ…何を言ってる。どうせ町民に化けてどこかヘ潜り込んでたんだろう?あとでその話を聞かせてくれ。さあ、大根をおろしてくれるか?」 男の言葉におかしなものを感じたが、とりあえず夕食の用意を手伝った。 そして、男とともにメシを食べる。 食べながら『これはただ生きていた頃の習慣をなぞっているだけで、死んだおれには食事をする必要などないのだ』と、まるで現状を確認するかのように考えを巡らせていた。 必要はなくとも、夕食をとる楽しみは充分にある。 油揚げも大根おろしも汁もメシもとても美味かった。 「今日はどこへ行ってたんだ」 男が聞く。 「どこ…ずっと廊下を歩いていた」 「それだけか?どこかの襖に入り込んで、余計な面倒でも背負い込んできたりしてたんじゃないのか?」 「面倒って……?」 「せっかく輪廻の襖の中に入ったのに、おかしな道具に囚われて、何度も何度も不愉快な死を繰り返す女の『執着』を祓ったりとかな」 「そんな事ができるのか?」 「何をとぼけてる。律を守らぬ物怪(もののけ)を懲らしめるのが大好きなくせに」 「………」 ずっとおかしいとは思っていた。 けれど、さすがにおれも気付いた。 この男は、おれをだれかと間違えているのだ。 いや…誰かではなく……。 「どうした、オマエは気まぐれだな。なぜ機嫌をそこねた?まあ、なんでもいい、機嫌をなおせ」 そう言って、おれの手を取り腰を引き寄せる。 驚くおれにはお構い無しに、首筋に口をつけられた。 この男が間違えている者の正体に気付いたような気がしたのに、昼間とは違う扱いに混乱してきてしまった。 ぐっと男の顔を押し返す。 けれど、強引にのしかかられ、両手を畳に縫い止めるように押さえられる。 さらにぺろりと首筋を舐められ、プルリと身震いがした。 「やめろ!あんた、誰と間違ってる!?おれは…おれは羽根売りの文治(ぶんじ)だ!」 「……本当にどうした?何を怒っている?オマエを誰かと間違うはずはないだろう、ブチ」 目の前がグルンと回転するような衝撃があった。 おれを見つめる男の眼球には、おれによく似た別の誰かの顔が映っていた。 「ブチじゃない!文治だ!文治だ!!」 男を殴るが、かまわずにギュッと抱きしめられる。 「なにを怒ってるんだ?ブチ。機嫌を直せ。して欲しいことがあれば、なんでもしてやる。だから、暴れるな」 おれはすぐに暴れ疲れてしまい、ゼイハァと荒い息を吐いた。 死んでいるのに、疲れたり息切れするということになんだかおかしなものを感じた。 きっと無意識で生前の姿をなぞってしまっているんだろう。 「なんでも…してやるというなら、ブチと呼ぶな。おれは文治だ。おれの名前を呼んでくれ。ずっとアンタと話したかったんだ。だから…文治と…お願いだ」 大人しくなったおれを男が優しくなでる。 「どうした、急にしおらしくなって。しかもずいぶん可愛らしいことを言ってくれる。ならば、オマエもいつものように俺のことを松燕(しょうえん)と呼んでくれ。愛しい、愛しい、俺のブチ」 想いを込めた男の言葉がおれに降り注ぐ。 穴があくほど男の目を覗き込む。 そこにはやはり、おれに似た誰かのまなこが映るばかりだ。 いや、よく見ればその頭上には尖った獣の耳が立ち、瞳は少し縦長に狭まっている。 これは、おれじゃない。 男の目になぜおれが映らない? おれは…どこだ? しかし頭に手をやれば、たしかにその獣の耳はあり、耳に手がふれた感触も伝わった。 「なんだ、何を疑っている?いや、疑うふりか?どんなに人間を信じられなくても、俺だけは別だ。俺はオマエから離れない。ずっと一緒だ。安心しろ」 いたわるように額に口づけられ、スッと涙がこぼれた。 「………わかったよ……松燕……」 「なぜ泣いているんだ。ああ、可哀想に、ブチ」 松燕はおれの頭を抱き込み、獣の耳を撫で、涙を吸い取る。 おれは目をつむり、松燕に身を任せた。 慰めるように松燕の手がおれの頬をなで、肩をなで、腕をなで、腰をなでる。 額だけでなく、眉間に、まぶたに、頬に、そして唇に口づけられた。 「ブチ、本当に今日は様子がおかしいな」 「……もう…いいから」 「どうしたんだ」 「放っといてくれ」 避けるようにゴロリと横になるおれを、また松燕が抱き込む。 「放ってはおけないよ」 耳元で優しくいいながら、おれの腰をなでる。 古道具屋の猫が猫又だという噂は本当のことで、しかも人に化けた猫又は松燕と情を交わしていたようだ……と、そのくらいの事情はもう、おれにだって察しがついていた。 そして、松燕にはおれがその猫又に見えているのだ。 恋しい情人と思い込み、こうやっておれの身体を抱きすくめて腰をさすり…ならばこの後どうなるのか……。 腹が立つ。 おれではない他の…しかも猫又と間違い、欲情されている。 しかも、腹が立ちながらもこの手から逃がれるべきかどうか強く迷っている。 また、松燕が唇を合わせてきた。 おれは…それを受けた。 ぎゅっと心臓が縮む。 いいのか。 これはおれではない、猫又へ向けられた恋慕であり欲情だ。 けれど、おれの身体には熱が溜まっていき、ドクドクと疼いていた。 苛立ちまじりに松燕の唇をカリッと噛んだ。 それに松燕はにっこりと微笑む。 そして、自分の帯を解いた。 身体を起こし艶っぽい笑みを浮かべながら、着物を落としておれの手を自らの身体へと導く。 おれは何も考えられず、ただ松燕の肌を手のひらで味わっていた。 松燕は着物の上からおれの一物(いちもつ)をさすり始める。 すると、溜まった熱が出口を求めるように、一気に硬く張りつめ起ち上がった。 松燕の口が幸せそうに弧を描く。 そして下履きの紐をとき、自らのつやつやと濡れる一物をさらす。 おもわずゴクリと唾を飲んだ。 おれがそこに手を伸ばすのもそのままに、松燕は片手をついておれの唇を舐める。 そして松燕はおれの張りつめた一物を後ろ手で掴むと、慣れたように腰を沈めていった。

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