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第9話
「でも俺諦めなかったんだぜ?今日は学校休んでお前んち行ったんだ。でも誰もいなくてさ、玄関で待ってたら、おばさんが帰ってきて。お前の様子聞いた。だから、おばさんにおじさんを説得して貰うよう頼んだんだ。俺がいくまで、お前、泣くからって。で、一旦家に帰って、色々準備してたらおじさんから電話かかってきて、迎えに行くから一緒に行こうって。で、来た」
菅野は箸を置いて、俯いた。
「なんだよ、ちゃんと食えよ?でないと、俺、もう来るなって言われちゃうよ」
葉山がわざとらしく言う。
5日間、布団に引き篭もって泣いてばかりで食事もせず点滴で命をつないでいた菅野が、葉山が現れた途端布団から出てきて話し始め、さらに食べ物も口にした。この変化は明らかだし、今更菅野の父親がどうこう言うとは思えなかった。それは帰り際の言葉からも明らかだった。
「俺…」
「俺、頑張っただろ?今度はお前の番。ちゃんと食べて、治療受けて、元気になろ?」
優しく覗き込んでくる葉山に、菅野は胸が熱くなった。
「将樹…」
「ん?」
「抱いて?」
そう見上げてきた菅野の鼻をピンと弾く。
「ダメ!もう少し食ったら、お前はまた寝るの!明日、もっかい検査するって」
葉山は自分の母親が作ってくれたおにぎりから少し取り分けると、菅野の口の前に差し出す。
菅野が口を開くと、中に差し込んでくれた。
葉山に差し出されるままに食べて、飲み物も手渡されて、もう入らないというと今度は寝かされた。
優しく布団をかけてくれる葉山に手を伸ばして引き寄せる。
「やっぱしたい」
菅野の言葉に葉山は苦笑いした。
「俺も。でも、駄目なんだって。病院着いたら真っ先に先生に紹介されてさ、当分は駄目って言われたんだよ」
「知るか、そんなの」
さらに引き寄せる菅野の体を葉山は押し返した。
「だめだって!お前の中、脆くなってるんだって。だから今セックスすると内臓が傷付いて、化膿するかもって。そしたら命の危険があるんだってさ」
「………」
「子供がね、頑張ったみたいでさ、大変だったんだって手術。で、必要以上に時間もかかったし、傷がついたらしいって。だからお前はこんなに弱ってるの」
そういった葉山は少し悲しそうだった。
「生まれたかったんだろうね、って先生にも言われた。でも、お前が元気なら次もあるだろ?ちゃんと俺もお前も大人になって、誰にも文句言われないぐらいに働いてお金稼げるようになったら、今度こそ、ちゃんと産んでやろう?」
堪えきれずに菅野が涙を流すと、葉山の額がコツンと菅野の額に当てられる。
「俺にはお前が大事。ヒロが元気でいてくれたらそれでいいから」
そう言って離れると、にかっと笑って布団を被せた。
「だから寝ろ!俺のために」
そして食べかけのタッパーをまた手に取って、腹減った、うまっ、と言いながら食べ始めた。
それを眺めながら、菅野は微笑んだ。
「将樹」
「ん?」
「好き」
「うん、俺も好き。寝ろよ?」
「でも将樹、うるせぇ」
「気にすんな」
「気になるつーの」
そう言いながら、菅野は身体を丸めるように移動して、ベッドに腰掛ける葉山の膝に頭を乗せて目を閉じた。
翌朝、人の気配に目を覚ますと、菅野の視界いっぱいに葉山の幸せそうな寝顔があった。
「おはようございます」
声に振り向くと、看護婦の姿。
何回か見かけた人なので、おそらく自分の担当なんだろうと思った。
「おはようございます」
そう答えると、看護婦は嬉しそうに微笑んで、少し目を潤ませた。
「点滴してもいいですか?」
「あ、はい」
葉山の下から腕を出して差し出すと、看護婦が点滴をつけ始めた。
「食事、取れましたか?」
「はい、少しだけ」
そう言うと、看護婦は少し笑った。
「彼が絶対食べさせるって宣言してましたからね」
「え」
葉山を振り返ると、なんの夢を見てるのかにひゃっと笑った。
「体温計らせてもらいますね」
耳にピッと当てられ、まだちょっとありますね、なんて呟きが聞こえた。
「本当に良かったです。今まで検温もままならなくて…。これでやっと治療が出来るって先生も喜んでましたよ」
看護婦はにっこりと微笑んだ。
「ご迷惑おかけしました。これからは早く治るように頑張ります」
菅野が言うと、看護婦はふっと笑う。
「若い番のカップルって病院では珍しくないの。でも、大抵はα側が勢いで番になってるから、Ωを放置してることが多くてね、いつも可哀想に思うんだけど。彼は本当にあなたを大切にしてるのね。先生の話にも、俺がなんとかします、って言い切ってたし」
思わず、菅野の頬が緩んだ。
「俺が選んだαですから」
菅野の答えに看護婦はまた笑って、食事は食べられるだけでも食べるようにと言い残して去っていった。
その日から、葉山は夜必ず病院に泊まった。
平日は昼間、学校に通って、夕方病院にやってきて菅野の母親と入れ替わる。
そして朝、また入れ替わって学校に行くを繰り返した。
週末には金曜の夜から泊まり込み、月曜の朝に戻っていった。
本来完全看護の病院だが、特別にと許可を貰った。
そして葉山が病院に現れてから二週間後、菅野は退院した。
葉山に口酸っぱく言われたおかげで、菅野は両親と挨拶はするようになった。
だが、やはり許せない気持ちの方が強くてそれ以上は出来なかった。
ちゃんと泊まってくると言うか、書き置きさえしていれば、葉山は外泊させてくれた。
そして葉山も菅野も同じ大学に進んで、菅野が成人式の日に、2人で住むことを菅野の両親に話した。最初からそのつもりで高校の時も、大学に入ってからも2人でバイトをしてお金を貯めていた。
同棲を許可してはくれたが、学費は払うと両親には言われた。
最初は小さなワンルームのアパート。
就職して、収入が増えるともう少し広いところ。
菅野が比良木のと出会って、意気投合して独立して、それが安定すると寝室と広いリビングキッチンのマンションに引っ越した。
菅野の両親とは相変わらず疎遠で、引越しの度、葉山の両親は来てくれたが菅野の両親は来なかった。それもそのはずで、菅野が一切知らせておらず、訝しんだ葉山がいつも連絡していた。こっそり金銭的支援もあったのだが、菅野はお礼も言わず、呆れた葉山がせっせとその縁を繋いだ。
「すごいね、意外と苦労してんだね」
大杉があらましを聞くと、驚いたように言った。
「俺、知らなかった…流産なんて…」
比良木がしょんぼりと俯く。
「だって、言ってなかったでしょ」
「そうだけど」
俯いたままの比良木を見下ろして、大杉が言う。
「なんで話したの?」
「え」
「だって聡史に話してなかったってことは、話したくなかったってことでしょ?なら俺に話す時に誤魔化すことができたよね?あえて話したってことは、何か他に話したいことがあるんじゃないの」
「………」
黙り込む菅野を比良木が見つめる。
「そうなのか?」
「なんか、大杉さんて、ムカつく」
菅野に言われて、大杉は吹き出した。
「なんで?」
「俺の周りに最近天然しかいなかったから、ちょっと勘がいい奴が現れると、調子狂うんだよね」
大杉は大笑いした。
比良木はきょとんと菅野と大杉を見渡す。
「そう!実はちょっと比良木さんに聞いてもらいたいことが少し前からあって、なかなか言い出せなかったんですよね」
「俺、席外そうか?」
大杉が立ち上がりかけて言う。
「あ、いや。αの意見も聞きたいから」
「なんなの?」
比良木が心配そうに見上げる。
大杉はそれに首を振って答えた。
「さっき赤い液体のこと話したじゃん?」
「…ああ」
相槌を打ったのは大杉だった。
「俺、数ヶ月前にその液体をネットで見つけたんだ。使用を注意喚起する記事だった」
「………俺も、その記事見た気がする。薬品名は忘れたけど」
大杉が言うと、比良木が不安げに見上げてくる。
「確か昔はよくΩの堕胎のために使用されてたけど、薬品に危険な成分が入ってるからって…。あれ、使われてたのか?」
「どうゆうことだよ?わかんねーよ」
比良木が苛立ったように大杉の服を引いた。
大杉は戸惑って、応えきれなかった。代わりに菅野が答える。
「副作用が見つかったらしいです。不妊、流産がしやすくなる、とか他にもね」
「え!まさか…」
比良木が青くなった。
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