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第10話
菅野はテーブルの上に視線を落とした。
「…医者に行ってみたんですよ。検査してもらったら、生殖機能の著しい低下がみられるって。不妊、って言われました。たとえ妊娠しても、着床が不安定で流産の恐れがあるって。出産できる確率は2%ぐらいだそうです」
「………」
「そんな、ひどいよ…」
比良木が顔を歪める。
「将樹に、なんて言えばいいかわからなくて」
菅野はテーブルの上に視線を彷徨わせる。
「もう少し稼げたら、今度こそ子ども作ろうなって笑ってたんですよ」
ふっと菅野が笑ったような声を出した。
「それなのに、不妊て。あいつ、どんだけショック受けんだろうとか考えると…」
「話すべきだね」
大杉がきっぱりと言う。
思わず顔を上げた菅野は、同じように大杉を見る比良木が目に入った。
「知る権利が葉山さんにはあるよ」
「…番解消、されたら?」
「俺はないと思う」
そう言いながら、比良木を見下ろした。
「聡史はどう思う?葉山さんをよく知ってるでしょ?そんな人かな?」
「しない!葉山ちゃんはほんと、スガに惚れてるから」
「…それとこれとは別でしょ…」
「別じゃないと思うよ」
大杉がやけにきっぱりと言う。
「昔のαが番を軽んじてたのは知ってるけど、未だにそういう奴がいるのも知ってるけど、馴れ初めを聞いた限りじゃ、葉山さんはそんなタイプじゃないと思うよ。とにかく話してみるべきだね」
「………」
確かに葉山はそんなタイプではないけれど、不安は拭えない。
「あと、今度俺と病院に行かない?」
「はあ⁈」
菅野よりも比良木が大声を出した。
顔は歪みきっている。
それを見て2人で苦笑いした。
「違う違う!変な意味じゃなくてさ。俺の知り合いに専門家がいるんだ。オメガバース専門の医者。奴なら、なんとかできるかもしれないと思ってさ」
「え、専門の医者?」
菅野が思わず聞き返した。
「そう、結構な遠出になるから、葉山さんに内緒でってのは難しい。ちゃんと話して、それからまあ2人ででもいいし、菅野さんだけでもいいし」
「…俺は?」
比良木がボソッと言うと、まだ必要ないでしょ、と言われる。
「そいつにはちゃんと話しとくから。そっちの話がついたら教えて」
菅野はまた俯いた。
結局、葉山はそろそろ帰ろうか、って時に現れた。
「えー!今来たのにもう、帰っちゃうの⁈」
「お前が遅いからだろ。ったく、一人でどんだけかかってんだよ」
支払いをしながら菅野が葉山を見上げる。
「あ、バレた?」
「当たり前だろ。何年一緒にいると思ってんだよ」
そう答えると、葉山は嬉しそうに破顔した。
「だってさ、やっぱリーダーとして責任は取るべきだろ」
「はいはい、部下のミスは俺のミスね」
「わかってんじゃん」
きゅっと菅野に抱きついてくる。
出会った頃は同じぐらいだった背も、今じゃ頭一つ葉山が高い。
背を丸め、菅野の肩口に頭を擦り付けてくる。
「はあ…疲れたよ、ヒロ」
それを振りほどきもしないで、菅野は財布を片付けた。
「ここ、お前持ちだからな」
「へーい」
「で、腹は?」
「減ってる…。帰ったらなんか作って」
「はいはい」
くすくすと笑い声がして、振り向くと大杉が見ていた。
「いやあ、聡史から聞いてたけど、すっげぇベタベタ」
菅野は苦笑いする。
「うざいやつでしょ?もうね、いつもどこでもこんな感じ。人前とか全然気にしないの。俺、苦労するでしょ?」
「嫌がってないよね?」
「嫌だったら、一緒にいないよ」
「何気にデレたね」
大杉が呆れたように言った。
「葉山さん、また今度話しましょう。今日はあまり話せなくて残念です」
葉山はくしゃっと笑うと、菅野を片手に収めたまま、大杉に手を差し出した。
「もちろん!俺、大杉さんと合いそうな気がする」
「俺もです」
そう言って大杉は葉山の手を取った。
「…俺もそう思うよ…」
菅野は小さく呟いた。
「あ、ヤキモチ?」
「違う!」
菅野はきっと葉山を睨みつけた。
「比良木さんは?」
「トイレ。俺が送ってくから」
「そ、じゃあね。大杉さん」
葉山は手をぶんぶんと振った。
「じゃあ」
「ええ、菅野さん」
そう言った大杉の言葉に何か含まれている気がして、菅野は俯いた。
部屋に帰り着くと、葉山は、腹減ったあ、と騒いだ。
「うるっせぇなあ。風呂入ってこいよ、それまでに作っとくから」
「へーい」
素直に、しかも服を脱ぎ散らかしながらバスルームへ向かっていった。
適当に冷蔵庫の中身で料理をしながら、考えていたのは大杉から言われたこと。
(本当になんとかなるのか)
ここ最近ずっと一人で考えていた。
二度も子供をなくして、やっと手に入るかもそんな矢先だったから。
ショックは大きくて。
葉山に言い出そうにも、葉山のショックを考えると言えなくて。
同時に葉山がどんな反応をするのか怖くて。
番解消はこれまでいつでもできた。
長くなるにつれて、情も薄れてるんじゃないかという不安も少なからずあった。
結婚、という形も取れたのに、選択してこなかったのは葉山だ。
「メシー」
後ろから抱きつかれてハッとする。
「出来てるよ、ほら」
皿に移してやると、葉山は嬉しそうに箸を取ってテーブルに向かう。
2人で揃って食べる時には必ずダイニングテーブルに座るが、自分一人だとリビングのローテーブルにあぐらをかいて座る。
うまうま、言いながら食べる姿を眺めて、ペットボトルからコップにお茶を入れてテーブルに置いた。
それから葉山の隣に座る。
菅野の心に浮かんでいるのは2人でした約束。
なんでも話す、という約束。
これまでも、ついつい抱え込みがちになりながらも約束を守ってきた。
遅くなったけど、今回も約束は守らなくてはならない、とも思っていた。
他から聞くよりは…。
「ごちそうさまでした」
手を合わせた葉山に、菅野は思い切って声をかけた。
「将樹、実は話したいことがあるんだけど」
覚悟を決めたせいか、つい姿勢を正して、正座をした。
「ん、なあに」
葉山は呑気な声を出す。
余計に言いにくい雰囲気を感じながらも、菅野は口を開いた。
「あのさ…」
薬の事。
病院での結果。
葉山は黙って聞いていた。
途中から腕が組まれたのに気付いた。
滅多に腕を組んだりしない葉山の変化に内心ビクついた。
「だから…」
菅野は正座した膝に置いた両手を握りしめた。
それ以上は言葉にならなかった。
目の前に座る葉山は、じっと動かない。
とても顔を見ることができる心境ではなくて、いつもなら顔を見るだけでわかる葉山の感情も読み取れなかった。
そう、長いこと葉山の言葉を待っていた。
ぽん、と音がしてちょっとだけあげた視界に、胡座をかいた足を葉山が叩いたのがわかった。
「よし!俺決めた」
もう一度、ぎゅっと目を閉じた。
知らず握りしめた手に力が入る。
解消か。
発狂する、そう言ったのは比良木だったが、あの時菅野も同じことを思っていた。
比良木についた嘘。
過去形なんかじゃなく、10年以上一緒にいるのに、番の相手に溺れたままだ。
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