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外国人オーナーの経営するワイナリーレストランは、普段ワインなんて飲まない俺なんかは寄り付かない店のひとつだ。
しかも外観や内装はやけに高級感があって、着飾りもしないビジネススーツ姿の自分は、いかにも場違いだと思わざるを得ない。
先に到着していた課長二人のテーブルへ、これもまた清潔感のあるボーイに案内される。
フロアの中央にあるオープン席で、すでにボトルを開けていた二人は、俺の姿を見るなり喜んで席へ促した。
「宮下くん、来てくれてありがとう。待っていたよ」
「きみとはなかなか話す機会もなかったから、今日は楽しもう」
口々に歓迎の言葉を言われ、苦手な上司相手に対応を考えあぐねる。
大きめのテーブル席に、他の同僚は見当たらない。
最悪の展開に青ざめた俺は、いったい何をしでかしたかと過去の自分を思い返した。
「急に呼び出して悪かったね。東堂と話をしていたら、宮下くんの話題になってつい声をかけてしまったんだ」
上機嫌の上司、馬嶋は俺の肩を引き寄せて、わざわざ自分の隣へと座らせる。
ブラウンのダブルスーツは、馬嶋の彫りの深い容姿をさらに派手に見せて、細身の体格を大きく見せた。
柄のネクタイがかすんで見えるほど艶やかな格好は、店の雰囲気に合わせたようだった。
「馬嶋、私にも彼と話をさせてくれよ。そのための場じゃないか」
「そうだった。こいつのことは知っているな?人事の東堂だ。以前から宮下くんと話をしたがっていたんだよ」
向かい合わせに座った人物は、目を合わせるなりにこりと笑う。
馬嶋同様ダブルスーツを着こなした東堂は、色こそ違えどグレーのスーツは品があった。
若いうちに課長席へついた二人は、俺と一回りほどしか違わない。
それなのに風格や裁量さえ、この上司たちの足元にも及ばなかった。
「君を自分の部署へよこせと馬嶋に言われたときは、どんな青年かと気になっていたんだ」
「おい、余計なことを言うな」
身を乗り出して、俺を品定めでもしているかのように、人事課長東堂は合わせた視線を離そうとしない。
それを少し慌てた様子で睨み付ける馬嶋は、オフィスでは見せたことのない態度だった。
「いいだろう、別に。彼は本来海事希望だったのをそっちに変えたんだぞ、その身にもなってみろ」
東堂は鼻をならして、目を合わせた俺の味方だと言いたげに馬嶋を睨み返す。
けれどそれが怪しく見えてしまうのだから、俺はよほど相手を信用していないのだろう。
「ああ、そうだが。宮下くん気を悪くしないでくれよ。君をうちの部署によこせといったのは確かだが、それはちゃんとした考えがあったからだ。変に勘ぐらないでほしい」
いつもは見せない気を使ったような態度の馬嶋は、いまだに俺の肩を軽く抱き寄せて慌てている。
まさかもう酔っているのではないかと、信じられない対応をする上司へ、必要以上にすくんでしまう。
「馬嶋のような男に言われても説得力がないな。宮下くん、こいつは君を本当に有能で将来有望だと言いたいのさ」
「……え、なんですって?」
聞き逃したわけではない。
あまりに唐突な言葉に驚いた俺は、目の前の相手に意識を集中しなければならなくなった。
「そうだとも。馬嶋はいつも君の自慢ばかり言ってくる。いつか君を人事の方に引き抜くつもりなのに、それをさせようとしないんだ」
「馬鹿を言うな。時が来ればしっかりと彼を送り出すさ。今はまだ私のもとにいてもらうけれどね」
なんの話をしているのか、俺は理解をし損ねている。
ぽかんと座り込んだままのこちらを気にもせずに、二人の上司は軽い言い合いを始めた。
けれどそれはいかにも“痴話喧嘩”といった雰囲気で、楽しんでいるようにも見える。
「ふぅん。今の言葉を録音でもしておくんだったな。絶対にお前はいざというとき嫌だと言うんだろう」
「それでも海事に行かせるよりはましだ。あそこは宮下くんのような子がいくような場所じゃない」
隣であきれ顔の最後に大きくため息をついた上司は、俺の背中を盛大に叩く。
「馬嶋課長それは、どういう……」
あまりに大きく関心をそそる話の内容は、興味というよりは恐ろしいことのようにも感じる。
それを聞く覚悟や勇気はないのに、俺はすでに会話の波にのってしまっていた。
「ああ、それは私から話そう」
軽く手をあげて名乗り出た東堂は、こちらと視線をけっして離そうとはしない。
「あまり変なことは言わないでくれよ」
「わかってる」
馬嶋は薄く笑う相手に念を押しながら、ようやく俺の肩から手を離して体を解放した。
「宮下くん。君はグループ活動で抜群のリーダーシップを誇っていたけど、言いたいことは言えたかい?」
入社してすぐに始まった、研修期間の際に行われた活動を思い出す。
グループのメンバーは適当にその場で組んだし、すでに海外へと赴任した彼らへ愛着もなければ仲間意識もなかった。
メンバーのほとんどが自己主張する性格なのに対して、俺だけがそれを大きく外れた。
意見の違いに喧嘩をするメンバーもいる中、誰一人として衝突することない人間がいれば、そんなやつは面倒なまとめ役に担ぎ上げられる。
みごと聞き手役に回っていた俺はメンバー全員の指名によって、グループリーダーなんていうものにならざるおえなくなった。
嫌とは言えない性格のせいで、他のグループとの意見交換も俺の役割になる。
その時でさえ意見をまとめる係りになって、終始自分の考えなど言えなかった。
三ヶ月の研修期間が終わる頃、ようやく自分の意思を伝えた部署希望も、あっさりと他の人間に奪われる始末だ。
それを東堂に指摘された俺は、痛いところをつかれたと言葉を失う。
繋がれた目だけを大きく見開いて、頷くこともできなかった。
「君は自分の意見を主張するより、周りの考えをまとめる役割を多く果たしていた」
腕組みをしていた東堂は、それを解きながら身ぶりをつけて静かに語る。
「そんな君は海外の駐在所へ送られたらどうなるか。私たちはすぐに見当がついたよ」
俺が手汗をかいた拳をにぎって身構えるより先に、二人の上司は息を吸うのも同時で声を重ねながら言った。
『すぐダメになるってね』
頭に強く衝撃をうけた錯覚があり、ひどくめまいがした。
希望の部署へ配属されなかった理由が思わぬところで吐露されて、呆然とする。
「でも宮下くんのようなまとめ役は会社には必要だろう?個々の意見ばかりがぶつかり合ってもうまくはいかない」
真っ白になった思考の先に、ふと自分を引き寄せる何かがあった。
さまよって視点の定まらなかった瞳は、目の前に座る東堂を大きく写す。
「馬嶋は君のような人材を失いたくなかったのさ。本来希望の配属先を聞いてやりたいところだっけど、わかってくれるだろう?宮下くん」
恐る恐る隣に座る馬嶋を見上げると、そこには少しばかり照れた様子の上司がいた。
普段は俺を強く指導する主任へ指示を出すばかりの馬嶋は、どうも苦手だった。
特段相手をしてくれるわけでもなく、放任主義の上司にいい印象はない。
それなのに、普段見せない態度の上司が隠した部分を、少しだけ見た気がしたのは勘違いではないだろう。
俺の性格を数多く存在した人間の中で見極めて、わざわざ人事に掛け合った意図を知る。
国内取引でさえ怖じ気づいている俺が、海外の赴任先でうまくいくはずがなかった。
いま同じテーブルを囲む二人は、やはり恐ろしい。
俺はすでに見抜かれて、全てをさらけ出しているのと同じ状況だった。
けれど心の奥に今まで感じなかった暖かいものが芽生えて、二人の上司に熱い想いが沸き上がる。
緊張した体はほぐれないが、目頭が熱くなって瞬きするのを躊躇った。
一回でも瞼を閉じればこぼれそうなほど、涙が目の中を被う。
我慢できず歪んだ視界を隠すために下を向くと、膝の上で握っていた拳へぽたりと滴が落ちる。
すると急にその手を取られて、思わず体がびくりと反応した。
とっさに見上げれば、黒淵のメガネに、フレームまで前髪を伸ばした長身の男が立っている。
この場には不釣り合いなTシャツ姿で、よく見えない表情からは感情すら窺うことがてきなかった。
「すみません。気分が悪いようなので、連れて帰ります」
「え、ちょっと」
握られた手を引かれて、勢いのまま立ち上がると、強引に連れていかれる。
振り返り様に見た上司二人は、誰とも知らぬ男に連れていかれる俺を、ただ呆然と座りながら見送っていた。
「なんだ、もう飼い主がいるのか」
「彼は最初から目をつけられていたよ」
薄く笑う馬嶋は、どこか楽しそうだ。
俺はそんな上司が見えなくなってから、ようやく手を引く相手が誰なのか知ることができた。
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