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断ることができなかったリーダーとして、他のグループと打ち合わせた意見交換の時間は億劫だった。
けれどその中で、唯一俺自身の考えを聞きにきた人間がいる。
集まったリーダーが全員、昼休憩の音楽が鳴り出したと同時にいなくなったときだ。
一人だけ、背の高い黒淵メガネの男が、俺の肩を叩いた。
長く伸びた前髪のせいで表情が読み取れない相手は、集まりに参加した別グループのリーダーだった。
背が高いだけで目立たない風貌の男は、俺同様無理やりまとめ役を押し付けられたのに違いなかった。
そんな男に一言問われる。
「宮下くんの意見を聞かせて」
そのとき、少し救われたような気がした。
こんな俺の考えを聞いてくれる人間がいる、そんな希望が沸いた。
その男とはそれ以来話す機会はなく、たいして関わることもないまま研修期間は終わる。
そんな一度の希望は心の奥底へしまい込まれて、すっかり忘れ去られていた。
けれど今俺の手を握り、強引に腕を引く相手はまさしく希望を与えたその男だった。
強く繋がれた手から伝わる熱は、もう知っている。
先ほど聞いた声も、聞き慣れた低い好きな声だ。
店を出て、どこへ向かっているのかもわからない。
腕を引く相手の背中は、やけに大きく見えた。
「おい、中崎。どこ、いくんだよ!」
人気の少ない通りに出て、目の前の人物に声をかける。
「おれだって、よくわかったね」
急に立ち止まった相手にぶつかりそうになって、その一歩手前で踏みとどまる。
振り返った男はやはり見知った顔で、メガネの下に隠した優しい笑顔もそのままだった。
「そんなの、当たり前だろ。でも……あのとき、グループ活動のときに、声かけてきたのがお前だったのは、さっき気がついたけど」
憂鬱な活動の中で唯一救いをくれた相手の姿を、いま目の前に立つ中崎と重ね合わせる。
しまい込んだ希望は胸の中にあって、それを強く愛しく思った。
「そうなんだ……。あのときさ、おれ宮下に救われたんだよね」
「俺に……?」
驚いた表情を作った中崎は少し黙って、ふと笑いながら俺と向き合った。
「うん。みんな陰気なおれの意見なんて評価しなかったのに、宮下だけが真面目に取り上げてくれてさ。自信無くしてたおれを、引き上げてくれたんだ」
意見交換で何を話したかなんて、覚えていない。
中崎はそんな些細なことを、嬉しそうに語った。
「宮下みたいになりたいって思ってさ、研修終わったあとにイメチェンもしたんだ」
どうりで、メガネ姿の中崎に見覚えがあったはずだ。
研修期間とは大きく印象を変えた中崎は、もう俺の記憶にある男とは見違えるほど自信に道溢れている。
「……救われたのはこっちだよ」
相手に聞き取れないほど小声で、俺はぼそりと言う。
「それより、大丈夫か?泣かされたみたいだけど」
目尻に残った滴を指で取られて、そのまま頬を撫でられる。
「泣かされてないよ。俺が勝手に泣いただけ」
それを嫌に思うこともなく、添えられた温もりが気持ちよくて思わずすり寄った。
「おれには、いじめられてるようにしか見えなかったよ」
「なんだよそれ、でも少し助かった。あの場にいたらもっと泣いてたかもな」
すでに相手の両手で包まれた顔は、無理やり引き寄せられている。
まじまじと見つめられて恥ずかしかったが、抵抗する気もおきずに親指で唇を撫でられた。
「やっぱり、泣かされてるだろ」
中崎の垂れた前髪が掛かる位置まで近寄られて、ようやく俺は相手の胸を押して遠ざけようとする。
人目がないわけではない。
キスされそうなほどの距離に、いたたまれない気持ちになった。
「恥ずかしいって」
急激に体温が上がるのがわかって、脈も早まりながら胸の奥を突く。
「なぐさめ役、おれでいい?」
囁きながら確かめるように、中崎は俺を覗き込む。
メガネの向こうにある黒は、やはりとてつもなく深く濃い。
吸い込まれそうになって、思わず息を飲む。
今朝まで中崎の好意を利用しようと考えていたくせに、今では相手の気持ちが嬉しかった。
中崎の俺に対する好意が、ひどく愛しいと思えた。
なぜなら、心の奥底にしまいこんだものを見てみれば、目の前の相手に芽生えた気持ちさえも甦ってきたからだ。
「中崎がいい」
俺は自分から目を閉じて、相手を待った。
優しく触れる唇の感触はやけに熱くて、周りを気にするなんてことを、忘れさせた。
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