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袋小路
始業時間まで三十分。
「三津谷さん! おはようございます」
俺は敢えて無言を貫く。
混み合うエレベーターホールに響く大声の主は、資材部の石崎。先週交際を申し込まれたが即刻断った。
小太りなだけで、勝手に『優しい熊さん系』と思い込まれても困る。
「三津谷さん、週末何してました? 食事はどうしてるんですか?」
答える義理は無い。
「先週はいきなりすみません。男に告白されて驚きましたよね。でも、うちの会社は同性カップルが多いんですよ。公 にするもしないも自由です」
こんな大勢の前でよく言うよ。
「なんなら、ずっと秘密の関係でも構いません」
あー、もう! 煩い。
エレベーターの中では迷惑だから、途中で降りて階段にしよう。
――って、やっぱり一緒に降りやがった。
「この会社は寛容です。同性でも配偶者として福利厚生も付きます。盛り場でその話を聞いて、僕はこの会社を選んだんです」
そんな噂が流れてるのか? 今後もマイノリティ寄りの社員が増えるな。
「男にモテても嬉しくないって顔ですね。三津谷さんノーマルですもんね」
単に迷惑。ほら、資材部のある11階だ。自分の職場に行け。
……行けったら!
「三津谷さんの年で頭が硬いと損しますよ。試しに僕と付き合って下さい! 視野が広がります。絶対」
『絶対』ねえ。
このまま自分のデスクに向かうと、同僚に迷惑だ。仕方ない、13階は素通りしよう。
「上層部には何人か同性婚した人もいるし、コッチ側にいた方が将来の出世に役立つかも知れないし」
は? 何言ってんだ、こいつ。
とうとう最上階の14階まで付いて来やがった。大会議室と役員室と社長室。石崎がこのフロアに用があるとは思えない。
「三津谷さぁん、僕は大真面目っすよ」
廊下を進めば社長室。その先に逃げ道はない。
企業の中枢階で声量を調整できない奴がいるとは恐れ入った。
これ以上しつこくするなら封じ手を紐解くしかない。
扉の前で立ち止まると、金色のドアノブがカチリと鳴って、ゆっくりと扉が開いた。
「しゃ、社長!」
石崎は流石に黙って、勢いよく頭を下げた。
「君の聞いた噂は本当だよ。私を含め取締役の複数が同性パートナーと暮らしている。
優秀な人材が集まるのは大歓迎だ」
俺は敢えて無言を貫く。
「私のパートナーはこう見えて短気で、怒ると手が付けられない。
後で私が困るから、三津谷に構わないでくれませんか」
社長は若手社員に頭を下げた。
おあとがよろしいようで。
< 袋小路 おしまい >
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