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言葉にできない臆病者
「春井、何しょげてんの」
眩しくて、眩しくてもう前が向けない俺に、名津井の声がする。
職員室の扉の方へ目を向ければ、名津井が少し息を切らして立っていた。木田は少し動揺しているようで、春井の顔をじっと見つめていた。
「な、名津井…」
ずかずかと職員室に入ってくる名津井は、俺との距離を勢いよく詰めてきた。俺の肩に手を置いて、俺の目を覗き込んだ名津井の瞳が少し青みがかっていることに気付いた。
名津井は、ひとつ深いため息を吐くと、鋭い視線でこちらを睨みつける。
「お前はすごいよ、春井。教師としても、人間としても。いつも嫌なことがあっても笑顔で対応してるし、俺だったら絶対疲れている。」
ちがう、それは俺じゃなくて「春井先生」の話だ。名津井が俺を見つけてくれると思い込むのは、自分が痛い目を見るのだ。
「仕事は早いし、みんなからの評判良いし、仕事をめんどくさがらないし…」
言葉をつなぎつづける名津井がどういった意図で、離しているのかは皆目見当つかない。
「でも、急に俺との距離詰めてきたと思えば、急に壁作るし、笑顔は元からうさんくさいなって思うし、俺に対して暴言吐くし…いくら俺が図太いからって、俺が傷つかないとでも思ってんのかよ?」
「ご、ごめ…」
俺の視界に入る木田は思わず吹き出して、笑い声を押し殺して笑ってるし、目の前の名津井は至って真剣だ。名津井曰くしょげてる人間に、普通そんな言葉かけるか?とも思ったけれど、それは、先ほど俺も名津井に言ったからお互い様なのだろう。
「しかも、弁当に米粒ちっっっっせえの残すだけで、めちゃくちゃ怒るし、ケチくせえし、いらねえって言ってんのにお前の分の弁当まで食わせてくるし、保健室の部屋にちょっっっっと埃あるだけで掃除し始めるし、俺が髪を五ミリ切っただけで気付くし…」
…それは、褒めてるのか貶しているのか…ほとんど悪口だな…俺が、演技力高くてよかったな?さもなければ、泣いていたわ。
「顔がいいのを自覚しているからって、俺にまで色仕掛けしてくるし、距離感近いし…俺以外の奴にもどうせやってんだろって、思ってたけど」
いや、待て、こんなこと名津井だからしてるんだ、そう言おうと、口を開こうとしたらまるでしゃべるな、とでも言うように睨みつけてきた。
「急に、名津井って呼ぶし、喋り方もなんか変わるし、お前の素ってなんだろうって悩んだし…」
「でも、そんなの関係ないんだ」と、一度すぅっと息を吸った名津井が、今度は睨みつけるのではなくまっすぐ俺を見据えてきた。
「……俺は、そんなお前が好きだよ」
そう言った名津井は耳まで真っ赤にして、「じゃあな」と職員室から出ていった。
俺は、今何が起こったのかわからなかった。
気付けば、職員室には、先生方が戻ってきていてそこには名津井も、木田もいなかった。
***
次の日、俺は名津井分の弁当を作ってきたものの保健室に行くのを戸惑っていた。今まで、自分からあんなにアピールをしていたのに、俺から名津井に「好きだ」という言葉をかけたことはなかったのだ。自分が臆病者であったことに気付き、ますます恥ずかしくなってしまった。
「春井先生!今日は、ここでお昼食べてくれるんですか?」
声を掛けてきたのは、明らかに俺に好意を寄せている女性の新任教師だった。
…そういえば、名津井にこの女とふたりきりで話しているところを見られて、ものすごく怒られた。あれは、嫉妬だったのだろうか、なにそれかわいすぎる。
「…あぁ、どうしようか迷っていて…」
俺は、ついいつもの癖で愛想の良い笑顔を浮かべる。この笑顔は名津井にとっては、胡散臭かったのかもしれない。
曖昧な返事を返すと、彼女は俺の机に並ぶ二つの弁当箱を見て、嬉しそうに言った。
「もしかして、二つ作ってきて余っちゃって困ってるんですか?
…良ければ、私食べてもいいですか?」
…今日はどうしても尻込みしてしまい、保健室に行く気が起きない。本当は名津井のために作ってきた弁当だけど、ごみになるくらいだったら…そうぐずぐず考え「いいですよ」と返事ををしようとした。
「…すみませんが、その弁当は春井先生が俺に作ってきてくれたんです。返してもらえます?」
俺は思わず、ぎょっとして声の主を見遣ると彼はとても機嫌が悪そうに舌打ちをした。
「な、なんで…」
「あなたがいつまで経っても、保健室にいらっしゃらないからわざわざ迎えに来たんです。ホラ、行きますよ。早くしないと休み時間がおわってしまう」
俺の腕をつかんで、ぐいぐいと引っ張り保健室へと向かう名津井。掴まれた腕が熱いのは、彼の手が熱いのか。心なしか、彼の耳も赤い気がしてきた。
「名津井先生」
「なんですか」
こちらに顔を向けずに、歩き続ける彼の後ろ姿に俺は「お待たせしてすみません」と小さな声で詫びた。
「…今日のコーヒーは、春井が淹れろよ」
実に不快だ、と意思表示をするような声で彼は俺に命令する。俺は、つい、嬉しそうに「はい」と返事してしまったのだ。
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