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第34話
「やっぱりアンタ理性なかったよな。ゴメン、噛んでって言うから…………オレ、アンタを噛んだ」
桑嶋はどこか罰が悪いような表情を統久に向けて、躊躇いがちに人生を変える言葉を告げた。
肌に残るまだ新しい噛み傷が、指先にざらざらと刻まれた番の証を伝える。それでも甘く満たされた感覚が、記憶がないのにじんわりと統久の全身を包み込む。
多分これは、同情でもなく愛情の証だとわかる。
噛んで欲しいと、俺は言ったのだろう。
「…………俺が噛んでって言ったなら、異存はないよ」
指先で痕をなぞりながら、統久は普段のように平然とした態度で渡された皿からシリアルを口に運ぶ。
怖くないかといわれたら嘘になる。番をもてば、ヒート時に一度でも交われば収まる。交わらないで放置されれば他の相手で代替はできない。他の相手とも番になれなくなるので、廃人まっしぐらになるともいわれている。
さすがに俺も廃人になっちまうのは、怖いな。
別にそうだとしても、構わないか……。
抑制剤の効かない統久には、今と何が違うのかといわれれば殆ど違いはないが、今後の希望がゼロになるだけの話である。
「異存ないって……いいのか」
「俺はいいけどさ……。オマエ、気の迷いだったから解消とか言うなら化けてでるぞ」
シリアルを流し込んだ後に、悪戯っぽい口調で統久は言葉をつなぐと、なぁんてなと冗談のように呟いて、その紅の髪にそっと触れる。
「でも、セルジュ。もしオマエに運命の番が現れたら、いつでも番を解消して構わない」
桑嶋はその言葉に心臓を鷲づかみされたように身体をこわばらせた。
まざまざと思い知らされるアルファの性。自分の運命の番の誘惑には逆らえないと言われている。
もし運命の番に出会えても、決して解消するわけがない。
「そんなことしはない。……安心してくれ」
統久の言葉に息を呑んで、ひどく悲しみを含んだ目を向けられ強く抱き返される。
運命の番じゃなければ、子供を産んだらぽい捨てなんて良く聞く話である。そして桑嶋が統久の運命の番ではないことは、明らかである。
オメガは、番ができれば運命の番との絆は切れるが、アルファはそうではない。そのかおりは薄まるにせよ、番よりも甘いかおりを感じるのだ。
「オレの母は……運命の番に出会ったアルファに捨てられたオメガだ。母は父に捨てられて気がおかしくなって死んだ。オレは、絶対にそんな目にアンタを合わせない」
まるで泣き出しそうに顔を歪ませて、真っ直ぐ過ぎる目を向けられる。このことは、桑嶋にとっては十字架のようなトラウマなのだ。
統久は、他のアルファたちとこの男を同じように考えてはいけなかったかもしれないと桑嶋を見返す。
「……すまない。オマエを信じていないわけじゃないんだ」
母を捨てた父親と同じだと言ったも同然の自分の言葉に、知らなかったとはいえ統久は後悔した。
「いや……いきなり噛んだ、オレが悪い」
謝罪をした統久に首を振って、拳を握りこんで感情を抑えようとする桑嶋を見下ろして、もう一度その項の噛み痕をなぞる。事故とかではなく、意思をもって愛情のように噛まれた傷が男の気持ちをすべて語っていた。
桑嶋自身、思っていたのと違う反応に傷ついているのだろう。番がいないオメガがアルファを手にしたとき、大体は喜びを口にするだろう。甘い答えを期待していたのならば、悪いことをしたなと統久は思う。
「……自信がねえだけだからさ」
「いつも無駄に自信満々なアンタに言われても、ぜんぜん信憑性ないけど」
統久は、そっと手を伸ばして桑嶋の腕をぐっと握って引き寄せる。この男が自分のモノだなんて自信は全然もてそうにはない。
それに俺は自分の番になる男に伝えるべきことを、まだ桑嶋には伝えていない。伝えれば、普通のアルファであれば、解消を求めるだろう。
手に入れたと思ってから失うのは、正直堪える。
精神力を鍛えまくっていたとしても、辛さは募るばかりだろう。今なら、まだ耐えられるはずだ。
「セルジュ、オマエには……言わないといけないことがある。それで、番を解消するなら、すぐにそうしてくれ」
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