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今年度、始まる(3)

「大丈夫ですか。送りますから寝ててくださいね」  言いながら、タクシーを待っている間に自動販売機で買ったミネラルウォーターのボトルを手渡す。 「はは……えーちゃんカッコええな、ありがと」  声にいつもの覇気がないが、カッコいいと言われて智はドキドキした、と同時に急に我に返り、焦りだした。上司にも誰にも何も言わず、まるで椚田を攫うように店から出てきてしまったことに気づき、今更ながら血の気が引く。 「それに比べて俺何やってんねやろなあ、カッコわる」 「カッコよかったですよ」 「へ?」 「いつもカッコよすぎて目が離せないんですよ……」  言ってしまってから、手で口を押さえた。なんだかすごく大変なことを口走ってしまった気がするが、椚田は動じていないようだ。おそらく酔いの辛さのせいで頭が回っていないのだろう。  と思っていたら。 「……全然カッコようないよ」  俯いた椚田がぽつりと言った。 「そんなこと……」  智の言葉が途切れた。  改めて見る椚田の横顔。瞼の下に影を落とす濃いまつ毛、やり切れなさを表す八の字に下がった眉、まだほんのりと紅い頬や鼻の頭。  全てが、美しいと思った。  一度でいいから、触れてみたい。  酔っている時になんて、卑劣だけれど、突き動かされた衝動はとどまることを知らず、智の指を操った。あと数センチで触れそうな、そんな時、椚田が再び口を開いた。 「えーちゃんは、彼女おるん?」  ずっと訊きたかった話を、椚田のほうから振ってきた。あらぬ欲を携えた指を引っ込め、話に乗ることにする。 「いませんよ。椚田さんは?」 「んー、彼女っていうかなんていうか、おるにはおるというかなんというか」  自分から振ってきたくせに、なんとも煮え切らない。これも酔いのせいなのだろうか。  ……でも、「いない」とは言わない。 「椚田さんみたいな彼氏、理想じゃないですか。彼女さんが羨ましいです」  智のその言葉は100%本音だった。出来ることなら取って代わりたい、その思いは変わらない。 「そんなことないよ。いつも全然噛み合わへんし俺わがままばっかりやし、あっちは何考えてるか全然わからんし。ええ歳こいてグッダグダやで」  わがまま?想像がつかない。どちらかといえば彼女のわがままを何でもハイハイと聞いてあげるタイプだと思っていた。それに椚田になら、わがままを言われてみたい、とも思う智だった。 「会いたくっても遠距離やし、会いたがってんのいっつも俺だけやし」  智はだんだん椚田の話を聞くのが辛くなってきた。惚気にしか聞こえなくなってきたから。なんだかんだ言って、椚田は彼女にメロメロみたいだ。と同時に随所に散りばめられる、寂しさの欠片。上手くいってないのだろうか?満足に愛されていないのだろうか。それなら、 ──それなら、なんだっていうんだ。

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