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第44話 お風呂に入る

 中は湯気でいっぱいになっていた。  洗い場では森下くんが体を洗っている。  僕はあえて背を向けて髪や体を洗った。  僕よりも先に湯船に浸かった森下くんの視線が、背中にチクチクささる気がする……。  振り向くと、森下くんは桧の框に肘を付きながらニコニコと僕のことを見ていた。  だから、そんなに見ないで。本当に。  もう突っ込み疲れたので静かに湯船に浸かった。もちろん、彼とは大分距離をあけて。  眼鏡を外し、タオルを頭の上に乗せてみた。  あぁそれにしても、暖かくてお湯が柔らかくて、安心する。  かちこちに固まっていた全身の凝りが一気に和らいだ気がする。 「店長ってやっぱり、眼鏡がないと雰囲気変わるよね」  すいーっとこっちに寄ってきた森下くんにびっくりして、和らいだと思った筋肉はまた硬くなった。  僕はさっと框に顎をのせて、あえて横を見ないようにする。 「そうですか?」 「うん。やっぱりコンタクトにはしないの?」  前に、眼鏡を外した僕を『格好いい』とか『綺麗だ』と言ってくれたことを忘れていないぞ。 「しないです」 「ふーん。まぁ、眼鏡フェチな男子にとってはたまらないだろうけどね」 「君は、どうなんですか? 眼鏡をかけている人って……」  好きですか、と続きそうになる言葉をぐっと堪える。  僕はちょっと、舞い上がっている。  冗談といえども、今日だけで五回くらいは自分がタイプだとか言ってもらえて。 「好きだよ。本当に俺、店長のことが好きなんだけどなぁ」  僕の伏せたまつ毛についていた水滴がポロッと落ち、波紋となって広がった。  お湯が流れる音と声がやたらと反響する。  貸し切りで二人きりなのに、誰かに聞かれているような気がして落ち着かない。 「……あの、今日連れてきてもらって嬉しかったです。ありがとうございます」  話題を切り替えようとそんなことを言えば、森下くんも僕と同じように框に肘をついて自分の顔を支えた。 「ううん。店長と来たかったし。俺がロープレで賞取るなんて、思ってなかったでしょ?」 「はい。どんな裏取引をしたんですか」 「パスタセットのタダ券一年分」 「へぇすごい」  ふふ、と笑いあって、また無言になった。  お風呂は気持ちいいのに、この雰囲気はあまり気持ち良くない。ドキドキしすぎて身動きが取れない。 「冬休みもまた、どっか旅行行こうか」  そんな提案をされ、素直に嬉しくなったのも束の間、やっぱり心に引っかかるものがあった。  森下くんのお母さんのこと。  さっきの話を聞かされて、『本当は君が好きなんです』ってますます言いづらくなった。  森下くんは『普通の幸せ』を手に入れなきゃダメなんだ。  僕と一緒にいたって、結婚して子供ができるわけじゃない。  僕が女だったら良かったけど、こればかりは生憎どうしようもないので。 「きっとその頃には、一緒に旅行に行ってくれる大事な人が現れますよ」  反応はなかったが、僕は構わず続けた。 「僕とはたまに、遊んでくれたら嬉しいです。やっぱり森下くんは、早めに彼女さんを作って下さい。お母さんの為にも」 「どうして俺の人生なのに、他人の為に生きなくちゃなんないの?」  少し硬い声を出されてしまい、上下の奥歯を噛み合わせた。  怒らせてしまった。そんなつもりじゃなかったのに。 「店長、もし、『女の人と幸せになって』って店長のお母さんに言われたとしたら言うこと聞くの?」 「それ……は……」  そんなの無理だ。ノーマルな人が同性をなんとも思えないみたいに、僕は異性を好きになることができない。例え危篤時にそんな風に言われようが、親不孝者だと言われようが言うことは聞けない。

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