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第62話 乃蒼さん

 それから僕は何かと飲みやご飯に誘われて、その後は家にお邪魔して、体を触られ、時には触りあうようになってしまった。  僕は一応嫌がる振りをして体裁をとるけれど、結局は流されて、全てを終えた後に自己嫌悪に陥る。そうなるのは毎回分かっているのに、意思が弱くて辟易する。  誘われた時点でキッパリと断ればいいのに、断る理由が見つけられずに蟻地獄へ嵌っていった。  断る理由なんて本当はいらないのに。  今まで『求められる』ことをされてこなかった体と心は子供みたいに喜んでいた。  三番手の鈴木 乃蒼さんがようやく店に慣れ始めたのは、僕らがそんな曖昧な関係を続けて二ヶ月ほど経った頃だった。  初めて彼女を見た時の印象は、人当たりがよく可愛らしい子で、店の服がよく似合っているなということ。笑顔を絶やさない姿を見て、きっと店にすぐに馴染んでくれるだろうと思っていた。    だが彼女は、この広い店舗とこの環境に慣れるまでに時間がかかった。  店に大きく影響はしなくとも、ささいなミスを度々繰り返してしまう。しかも本人は、一生懸命やっているのにも関わらずだ。  そして悪い癖は、誰かと自分の実力を比べてしまうこと。それがいい方向にいけばいいのだが、彼女の場合は余計に落ち込んで、這い上がるのに時間がかかってしまう。  僕も心の中では常に誰かと自分を比べて卑下したりするのでよく分かるが、彼女は僕よりも重症で生真面目だった。  ニットやコートの入荷が多くなってきた頃、彼女はようやくスランプを抜けられたなと感じた。店に立つ彼女の表情が凛としていたのだ。  目に見えて成長した乃蒼さんを僕は褒めたたえた。 「乃蒼さん、生き生きしていますね」 「えー、そうですか? でも最近、すごく楽しいなって心から思えてます。失敗することも減ってきたし」  落ち込む姿を見る度やるせなかったのだが、照れたように笑う乃蒼さんを見てホッとした。  本日二度目の休憩室に到着して、互いに自販機で飲み物を買って席に着く。 「失敗なんて誰にでもあるから。僕の方がずっと酷かったですよ。倉庫に送らなくちゃいけないパッキンを、貼る伝票を間違えて本社に送っちゃって、電話でマネージャに散々怒られたり」 「えっ! そうなんですか」 「あと、かざり棚を折った事もあったな。元々劣化していたせいもあるけど、昼から出勤してくる店長になんて言い訳しようかって、頭真っ白になって」 「ええ、店長ってそつなくこなすタイプだと思ってたので、そんな事があったなんて意外です」  よく言われるけれど、全く器用ではない。  今考えればどうしてあんなにミスをしていたのだろうと疑問だけど、あの頃はあの頃で必死だったのだ。  ミスをすればするほど落ち込んだけど、次は気をつけようと心構えができるのだから良しとすることにしたんだっけ。  仕事は成長できたと感じるのに、恋愛の方は全く成長できていない僕って……  彼の顔が勝手に思い浮かんで、ため息を吐く。  そういえば彼は忙しいみたいで誘いはなく、最近会えていない。僕が彼の店に行くのを控えているせいもあるのだが。  ここに来ると無意識に喫煙所を覗く癖ができてしまい、今この瞬間もチラッとそっちの様子を伺う。  どうやらそれらしき青年はいない。 「良かったら今度、一緒にお昼出ませんか? 店長のそういう話、もっと聞きたいです」  まるで森下くんのことを考えていたのを見透かしたように、乃蒼さんは言った。 「そういう話って、僕の失敗話ってこと?」 「それだけじゃないですけど、店長のこと、色々と知って仲良くなりたいので」  そういえば乃蒼さんとはタイミングがいつも合わなくて、一緒に休憩に出たことはほとんど無かったことに気付いた。  向こうから誘われるなんて初めてで、気を許してくれたのかなと思うと嬉しくなる。 「うん、いいよ。いつにする?」  彼の店に久々に行ってみようかと思ったのがきっかけでこの先の運命が変わっていくことを、僕は知る由もなかった。

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