2 / 6

続!

 12月24(水) 午後8時  日の落ちかけた夕空の下、電飾が煌めきく街を心弾ませながら歩く恋人たち。  そんな浮かれた空気の中を、何時もと変わらずスーパーの袋をガサゴソと鳴らしながら俺は、自分の住むアパートへと足を向けていた。  今日の夕飯はチキン、では無くモツ鍋だ。キャベツとモヤシとニラ、それに辛子明太子をたっぷり乗せた旨いヤツ。  出来上がった鍋を想像して、少しだけ口角を上げた。  鍋から香る食欲をそそるイイ匂いに腹が鳴った。 「よし、頂きます!」  パンッ! と手を合わせて丁寧に食事へご挨拶。さて食べようかと鍋の蓋に手をかけた時だった。  ―——ピンポーン 「あ?」  友人すら余り招くことの無いこの部屋に訪れる者と言えば、宅配の業者位だろうか。 「実家からなんか送ってきたか?」  偶に訳のわからない物を送りつけてくる母親の顔を、久しぶりに思い浮かべた。コンロの火を一度消し、よいせと重い腰を上げたところでもう一度チャイムが鳴る。 「へいへい今行きますよ」  お待たせしましたぁ、とハンコ片手にドアを開けた俺は、何故ドアスコープを覗かなかったのかと後悔する羽目になる。 「今晩はぁ」 「………」 「あ、イイ匂いがする」  開いたドアの隙間から鼻をフンフンと鳴らすのは、忌々しい存在以外の何者でもない、顔も見たくない男だった。 「……お前、何してんの」  俺が顔を青ざめさせて問えば、男はにっこりと笑って言った。 「今日はイブですね、チキンとケーキ買ってきました」  俺の困惑など総無視かテメェ…  憎たらしい程に整ったその男の顔は、俺が思い切り睨みつけてやっても少しも崩れることなく笑顔である。 「お気遣いなく」  相手にするだけ無駄か、と何時もの通りこいつとの会話は諦めて素早くドアを閉めた…、はずだったのだが…。 「ったく! 何てことしやがんだっ」  閉めようとしたドアに、この男は自身の足をねじ込んで来たのだ。あんなもので閉めるのを防ぐのは、漫画やドラマの中だけ通る話だ。現実世界でそんな事をすれば怪我をするに決まっている。  現に今、男の足は甲から足首辺りが腫れ上がっていた。 「だって、閉められてしまったら終わりですから」  玄関で唸りながら足を抱え込んで蹲る男を放置も出来ず、結局家の中に上げる羽目になった。腫れ方からしてもカナリ痛いはずなのに男はまだ笑顔だ。 「このどアホ! 骨に異常あったらヤバイから、明日はちゃんと病院行ってこいよ!?」  擦り傷には消毒、傷口を避けながら腫れた部分には湿布。カナリ簡易的な手当だけ施してやると、男は元からの笑顔を更に嬉しそうに崩した。 「あ、やっぱりモツ鍋だ」  俺が救急箱を片付けていると、男がテーブルの上の鍋を除く。その途端、男の腹の虫が大きくなった。 ムォオオォオ 「…………」 「…………」  俺の恋人を、四人も寝取った男。  何時も人を喰ったような笑顔ばかり向けていた男が、自分の腹を押さえて顔を真っ赤に染めた。 「……ぶくっ!」 「っ、」 「くはっ、あはっ! あははっ!!」  腹を抱えて笑った俺を見て、男は更に顔を赤くした。 「はは、何だよその音! 牛かよ!」 「うっ、煩いですよ!腹減ってんだから仕方ないでしょ!?」  いつもの雰囲気より断然人間らしいその姿に、何故か俺はホッとしていた。こいつにも、心が有るんだなって。 「腹減ってんなら、お前も食ってく?」 「え?」 「え、じゃねぇよ。大体お前、チキンとケーキ持ってきたってことは、一緒に食うつもりなんじゃねぇのかよ」  意味わからん、と俺が首を傾げれば、男は「お、俺は…渡すだけ渡して、帰るつもりで…」と小さく呟く。  そんな意味不明な男を無視して、俺はもう一人分の食器を準備しに立った。 「ご馳走様でしたっ」 「お粗末様でした」  行儀よく食後の挨拶をした男に、俺も言葉を返す。そうすれば男は嬉しそうにへにゃりと笑った。 「モツ鍋に明太子って初めてです」 「俺も店で食ってからハマったんだよ。美味かったろ?」 「はい、とても!」  一人分には多かった量も、男二人には少々足りない。鍋の中はペロリと食い尽くされスープすら残っていなかった。 「料理、得意なんですか?」 「んー…得意、と言う程でも無いけど。作るのは好きな方かな」 「じゃあ、今までの子達にも作ってあげてたんだ?」  そこで漸く、俺はこいつとの関係を思い出した。  何やってんの、俺は… 「あの子達、こんな美味しいご飯食べてたんだ?毎日」 「ふんっ、お前にぶっ壊されたけどな」  最後にこの男に恋人を寝取られたのは、三ヶ月前。それからはもう、恋人を作ることすらやめてしまった。 「今は、居ないんですか?」 「お前がそれを聞くのか?」  見た目の割に、話しやすい、付き合いやすい男だと思う。けど、四度も俺を苦しめた男だと忘れちゃいけない。 「お前、もう帰れよ。持ってきたやつも持って帰れ」  汚れた食器を纏め、立ち上がる。  立ち上がろうと、した。  ——ガシャンッ! 「ッ、!?」  食器を掴もうとした手を乱暴に引かれ、バランスを崩して床に転がる。そんな俺の上に覆い被さる様に、男……秋山柊二(あきやましゅうじ)が乗り上げた。 「なっ、何すんッ」 「俺が言ったこと、忘れちゃいましたか」 「はっ!?」 「四人目のあの日、俺が言ったこと」 『偶然じゃない、って言ったらどうします?』 『……は?』 『俺はアンタの事が好きなんだ、って言ったら?』  余りの話に混乱した俺は、馬鹿じゃねぇの? の一言で終わらせた。それから何度も俺の前に現れたこいつは、それでも、あの時のことはもう何も言わなかった。 「覚えてるんですね。じゃあ、本気にしてなかった? だから俺を家に上げたり出来るんだ」 「んな、ンなもん本気にする訳無いだろ!?」 「どうして?」 「どうしてっ!?」 は!? なに!? もーわけわからん!! 「大体っ、何で俺を好きになるんだよ! 関わったことなんて無かっただろ!?」 「一目惚れでした」 「はっ!?」 「初めて会った日、貴方に殴られたあの日に、貴方に一目惚れしたんです」  あぁ……気が遠くなる…  思い出したくもないほど忌々しいあの日、俺はこいつと出会った。  初めて、恋人を寝取られた日だ。  浮気現場に遭遇したその事実に気が動転した俺は、泣きながらこいつを罵り殴り飛ばしたのだ。 「思い……出したくもない…」 「ごめんなさい。俺、本当に知らなかったんです。彼に貴方という恋人が居るって事」  つまり、あの子は“恋人は居ない”と言ったわけか。今更聞きたくない事実にまた胸を抉られる。 「そんで、あの日の何処にそんな要素あったワケ?」  過去の記憶に更に気分が悪くなった俺は、組み敷かれる事への抵抗を止めて、上に乗っかる秋山を睨み付けた。 「怒って泣いて俺を殴った貴方に、愛されたいと思ったんです」  え、なに?  こいつもしかして 「Mじゃないですよ」 「あ……そう、」  心を読まれて先に釘を刺された。 「俺、愛されたことが無いから」 「…は? お前その顔で何言ってんだよ、馬鹿にしてんの?」 「自分の容姿は理解してます。でも、それは表面だけ見て寄って来てるだけで、誰も俺を…俺自身を愛しちゃいない。貴方だって実際に見て来たでしょ? それも四回も。俺と遊びたいとは思っても、みんな本気で欲しがったのは貴方の愛だ。俺のじゃない」  俺はポカンとした。  そんな見方、したことが無かったからだ。 「あんなに貴方に想われておいて、不貞を働くあの子は正直死ねば良いと思った。それと同時に、俺は貴方に愛されたくて仕方なくなった。俺だったら、絶対裏切らないのに、って」  秋山はその一度目の遭遇の後、俺のバイト先である居酒屋に客として来たそうだ。  秋山の元へオーダーも取りに行っていたそうだが、俺はそれを知らない。覚えていない。 「ショックでした。あんな事があった後なのに、俺の顔を覚えていないだなんて。憎しみですら貴方の心に残れていないだなんて」  だから、俺が恋人を作る度に邪魔するようになったと。俺に秋山と言う男を認識させるために。 「ストーカーじゃん」 「ふふ、ですね」  いや、笑えねぇから。 「そんなんで、俺がお前を見ると思ったのかよ」 「………」 「二度目も、三度目も……四度目だって俺は……お前を殴らないから、俺が傷付いてないとでも思ってたか?」 「思ってません」 「だったら! だったら何でっ!!」  何で好きだと言う相手にそんな事を出来る!? 俺が浮気を見せ付けられる度に、どれだけ傷付いて来たか分かるか!?  秋山を殴ろうと床から持ち上げた手は、簡単に阻まれ握り込まれた。 「貴方がどれだけ恋人を作ろうとも、俺は同じ手で潰す気で居ました。俺には、貴方から奪い取れる自信がある」  それを聞いて、無意識に俺の全ての細胞が暴れ出した。手も足も、動ける範囲でバタつかせ暴れた。 「どうしてだか、分かります?」 「知るかっ! 知る訳ねぇだろっ! ふざけんなっ!! どーせっ、どーせテメェの顔に俺は勝てねぇよっ! 退けよっ! 退けぇ!!」 「違います」 「ッ、」  ゾッとする程低く妖艶な声に、俺の身体は嘘みたいにピクリとも動かなくなった。 「顔なんか関係ない」 「ゃ、ぁ…」  拘束を解かれても動けない俺の耳元に、秋山がそっと囁いた。 「俺以上に貴方を愛せる人間は、この世に存在しないからです」  だから、早く気付いて下さい。  早く俺を愛して下さい。  早く……追い詰められて下さい。  また貴方を傷付ける前に。  冷たさも、過ぎると熱く感じる。  俺が秋山から感じた熱は、正にそんな感じだった。  感じた事のない激しさで、俺の心臓がドクリと跳ねた。 END

ともだちにシェアしよう!