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完結編:③
「なに、してんの?」
目の前で上目使いに見上げてくる元恋人を、俺は驚く程冷静に見ていた。声も震えたりしなかった。
浮気現場に遭遇したあの日、冷静を装いながらも俺の手は震えていた。傷付けられた上に惨めになんて見られたくなくて、必死に虚勢を張っていたんだ。
けど、今は違う。
「きょ、今日ね…偶然お店で惣くんを見付けて…」
嘘つけ。
俺は一年以上前からあの店で働いてる。それこそ、拓巳と付き合ってる頃から。
「それで、そのっ、僕、」
「拓巳、言いたい事があるならハッキリ言って」
拓巳がビクッと肩を揺らす。我ながら、冷たい声だと思った。
正直拓巳が言い出そうとしている事にはなんとなく気付いてる。元彼を待ち伏せして話す事なんてそれくらいしかないから。
けど、俺はそれに答えてやれない。
「惣くんっ、僕と…僕と、もう一度やり直して欲しいの!」
案の定、拓巳の口からは予測通りの台詞が紡ぎだされた。
「拓巳」
「今更だって分かってるよ! 許されない事したってことも…分かってる」
拓巳がきゅっと、自分のシャツの裾を握りしめた。
「初めは逆恨みもしたんだ。浮気はあの一回きりなのにどうして許してくれないんだろうって。好きならそれくらい許してくれても良いのにって…でも、あれから色んな人と付き合ったりして、そこで漸く分かったの。僕が惣くんにどれだけ大切にされてたのか…僕が惣くんにどれだけ酷い事をしたのかって」
拓巳は自身のシャツを握るその手をもう一度強く握り直すと、意を決した様に強い視線を向けて俺を見上げた。
「惣くんごめんなさい! 本当にごめんなさい!! 僕、やっぱり君じゃなきゃダメなの! 誰と一緒に居ても、あんなに温かな気持ちに何てなれないの! 好きなの! 惣くんのことが…僕は、誰よりも惣くんの事が好きなのッ」
目の前で大きな瞳から涙を零す拓巳。一年前の俺なら、少しは揺れ動いたかもしれない。でも、俺はまた、その一年前の俺ではなかった。
「拓巳、俺はもうお前に答えてやれないよ」
「惣くんっ!」
「俺が拓巳を好きになることは、これから先、もう二度と無い」
「まだ…怒ってるの…?」
俺は思わず笑って、そして首を横に振る。拓巳に裏切られてから今日までの間で、俺自身も気付かされた事があった。
許せないのだ。
一瞬でも俺を忘れるって事が、ほんの少しでも他人が入り込む隙が有るって事が、俺は許せない。
俺はきっと、酷く我がままなんだ。そして、重い。
「足りないんだ。“誰よりも”なんて言葉だけじゃもう、俺は人を信用出来ない」
俺は知ってしまった。
好きである本人を傷付けてでも手に入れようとする歪んだ想いが、どれだけ俺を安心させてくれるのかを。
そうして求められる心地よさを、俺は嫌と言う程知ってしまった。だから、もうそれ以下のものじゃ何も信用できない。安心できないのだ。
キャップを深く被り俯く隣の男の腕を掴み、自分に引き寄せる。
「俺に安心を与えてくれるのは、コイツしかいないんだ」
秋山が視線を俺に向けたのが分かった。それも多分、凄く驚いた様子で。
「……つき…あってるの?」
暗闇であることと、キャップが邪魔をしているからか拓巳はそれが秋山だと気付かなかった。
「その人が、今の恋人なの…?」
震える声で問われたその質問に、さて、どう答えようかと悩んだ時だった。
「ん~、正直まだそんなかン…っ……」
一瞬の事だった。
後頭部を勢いよく引き寄せられ、気付けば秋山に口付られてた。かぶり付くみたいな獣臭いキスに、音もやたらと卑猥に響く。
背筋が、ぞくぞくした。
やっと解放された俺が肩で息をしていると、そんな俺の半歩前に立った秋山がキャップのツバをぐっと深く押さえながら言う。
「この人は俺のだから。今も、これからも、永遠に俺のだから。俺以上にこの人を愛せる奴なんて、この世に存在しないから。だから…諦めて」
俺の中でどうしようもない熱が込み上げた。
嬉しいとか、感動したとか、そんな簡単な言葉では表せない。でも、無性に泣きたくなった。
秋山が俺の手を掴むと、拓巳に背を向けて歩き出す。
俺はその力に逆らわなかった。
拓巳のことも振り返らなかった。
俺の中であの子の事はもう過去でしかなかった。
それ以上でも、それ以下でも無い。
いま大切なのは、俺のこの手を今、秋山が握りしめてるって事だった。
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