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第1話 3Pエッチ!2

「いやぁごめん下さい、いやはや……」 「先生、エライ遠くまで、毎度毎度すんまへんなぁ」  夏彦が昼飯の買い出しに出かけた頃、雪路の言ったとおり来客があった。世間は極暑のクールビズだというのにきっちりジャケットとネクタイを着込んでいるその男は、風船みたいに膨らんだ身体と顔のつなぎ目(首が有ると思われるところ)にバスタオルを掛けている。 「あれ、田島のおっちゃんやんか~! 水被ったみたいになってんで? なんでそんな暑い格好しよるの?」  雪路の案内で客間に通された田島は、曇った丸眼鏡をふきながら「うん、うん」とやたらと頷く。父の生前から鈴山組を担当してくれている税理士なだけにソラとは小さい頃から面識があるのだが、この頷きの多さは未だに慣れない。 「ご贔屓にしてもらってる鈴山さんちですから、正装するのは当り前ですよ、うん」 「そういうもんなん?」  よくわからないけれど、雪路が言うにこういうのが大人のしきたりらしい。 ソラはなんとなく田島の傍に腰を下ろしてみた。田島の身体はヒーターみたいに熱くなっていて、自前のサウナみたいになっている。はふはふ言いながら汗を拭い、自分の体温で眼鏡を曇らせて、何度もレンズを拭っていた。「ジャケットを脱げば良いのに」と身も蓋もない言葉が喉まで出掛かったが、ついぞ言わずにおいた。きっとこれも大人のしきたりというやつなのだ。  一通り汗を拭ったからか、それとも汗を拭うことを諦めたのか、田島はやおら立ち上がり客間の隣にある仏間に向かった。父の仏壇にちーん、と仏具を鳴らして手を合わせる。  仏壇に飾ってあるソラの父と母の写真。線香の香りは隣の客間にも流れてきた。  ソラは線香の香りが好きだった。父がそこに居るような気がして嬉しくなる。 「ソラくん、その後は困っていることはありませんか?」 「ん? ないで!」  突然、聞かれたので、とくに考えもせずに答えた。  田島は「うん、うん」と頷いた後、もう一度「本当ですか?」と尋ねてきた。ソラは改めて天を仰いで困っていることがあるかどうか考え始めた。  夏彦は買い出しに出ているし、雪路は田島とソラの為に台所でスイカを切ってくれている。別に今は困っていない。 「うん、やっぱ困ってないで! おっちゃんが色々頑張ってくれたから、俺は夏彦と雪路と楽しく暮らしてるもん!」  ソラは胸を張りながら、自信を持って答えた。  父が亡くなった日から、鈴山組の存続を巡っていろんな組のヤクザが出入りするようになった。極道は筋を通す世界だと父はいつも言っていたが、その言葉通り父にはたくさんの繋がりがあった。その全てが良縁だったことで、勢力争いや抗争に発展することはなかった。  何よりも「ソラは極道を継がない」と遺言をおいた父の計らいで、ソラが鈴山組を引き継ぐことはなかった。  鈴山組に所属していた子分たちは兄貴分の組や同盟の組合に籍を移していき、その謝礼として父の財産の半分を失うことになった。しかしソラ一人で生きて行くには十分な金額で、住んでいた家を失うこともなかった。その全てを取り仕切ってくれたのが田島であった。 「うんうん、良かったです、うん。あの僕(いぬ)たちとも仲良くなっているようで、何よりです、うん」  はふぅ、と一息ついた田島の眼鏡がまた曇る。  僕、と言われてソラの表情も同じように曇った。 『ソラくん、ちょっと良いですか?』  父を亡くして一週間が過ぎた頃、中学の卒業式も過ぎてクリスマスの日、父の仏壇で手を合わせていたソラに田島が声を掛けた。 『鈴山組の皆さんは引受先が決まりましたよ、うん』 『そっか……おおきに、おっちゃん』  どうりで屋敷が静かだと思った。行き先の無いヤクザたちはとりあえずこの屋敷のどこかで声が掛かるのを待っていたはずなのに、学校から帰ってくると人の気配がしなかった。唯一、寂しさを紛らわせてくれる仲間たちも、ついに旅立ってしまった。 『ほんなら、俺、ほんまに一人になってもうたんや……』  ソラは仏壇に立てかけてあった写真を手に取った。母はソラを生んですぐに亡くなっている。高齢出産だったことは写真に映る母の姿を観ればすぐに分かる。そんな母よりも父は20も歳上だった。成人式を一緒に迎えられると良いね、と父と話し合っていたことを思い出すと、また目頭が熱くなった。  しかし泣いてばかりもいられない。これからは一人で生きていかなければならないのだから。 『それがね、旦那様の荷物がちょっと片付かないんですよ……うん。困っていてね』 『荷物……?』  田島は冬だと言うのにハンカチで顔の汗を拭いながら「いやはや……」と歯切れ悪くぼやいていた。そっと腰を上げて襖がよく見えるように座り直した田島は、「いらっしゃい」と襖の奥に呼びかけた。  すると襖が開き、二人の男が姿を見せた。  それが雪路と夏彦だった。 『この子たちは、他の極道のヤクザとは違いましてね、旦那様が”買ってきた”専属の番僕と愛僕なんですよ、うん』 『ばんけんとあいけん? 番犬?って、犬ってこと?』  田島はとある闇オークションで行われている人身売買について話した。愛僕、番僕、鶏など、人間を目的別に区分けて売るという。聞くにもおぞましい取引が闇の世界で行われていた。 『――それで、この子らはね、もともと身寄りが無い子らでして。闇の世界で散々使い回された後、安値で売られていたのを旦那様が買ってきたそうで……。えげつないことにばかり手を染めてきた子ですから、他の組が引き受けたがらないんですよ……』  ソラは男二人をじっと眺めた。  雪路は冷めきった顔で糸の切れた人形のようにそこにおり、  夏彦は世の中の全部を呪ったような凄みのきいた目つきでソラを睨み付けていた。  ソラは最期まで売れ残ってしまった二人を眺めながら、そっと立ち上がって近づいた。 『アンタら、行くところないの?』  ソラが声を掛けても返事はなかった。夏彦はソラを睨み付けるくせに、だんまりを決め込んでいるし、雪路は眼も合わせてくれない。  けれどソラには彼らの気持ちが分かる気がした。彼らもきっと、悲しみの淵に立っているのだ。 『俺、親父の代わりになってもええ?』  制服の裾をきゅっと握りながら、ソラは迷いなく尋ねていた。 『鈴山組はなくなってもうたけど、アンタらは親父に付いてくれてたんやろ?   俺、親父の代わりになれるように頑張るから、一緒におってくれへん?』  行き場の無かった二人に拒む理由はなかったようで、奇妙な三人生活がこの日から始まった。  ソラは一度も彼らを”番僕””愛僕”と呼ぶことは無かった。 「夏彦も雪路も俺の大事な家族やねん。だからそんな言い方はもう止めたって?」  田島の曇った眼鏡の奥を、真剣な面持ちで見つめる。どんな目をしているのかは解らないけれど、田島は柔らかく笑って「わかりました」と頷いてくれた。 「君たちが幸せそうで何よりです、うんうん」 「おっちゃんのお陰やん。おっちゃんがいなかったら俺は今頃一人やって。ありがとうな」 「いえいえ、旦那様にはご贔屓にしていただきましたから」  大好きだった父を褒めてくれるのが嬉しくて、ついはにかんでしまう。田島もなんだかんだ父と同じくらい年が離れていて、親戚のおじいちゃんみたいで好きなのだ。 「ところでソラくん、一つ君にいい話をもってきたんだけど、どうですかな、うん」 「良い話?」  田島が眼鏡をかけ直して切り出す。ソラは首を捻りながら聞いていた。

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