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第5話

ドライヤーで明親の髪を乾かす郁哉は、 実に楽しそうに手を動かしている。 「アキチカさん。 少し前に流行った"新入社員が実は社長だった"ってテレビ番組知ってますか?」 「おい... ...嘘だろ。」 明親は、馬鹿ではない。 年の功に応じて知恵も知識も脳みそもちゃんと着いている。 「あ、いや、俺は社長じゃないよ大丈夫。」 「でも、それに近しい立場ってオチか?」 「流石、アキチカさん。」 郁哉は、ドライヤーを仕舞いながら苦笑する。 「僕も、食えない大人な部分があるんだよ。 それで?僕の個人番号が知りたい高崎郁哉君は、一体何者なの?」 手持ち無沙汰になったのか、 手渡されたのはアメニティの熱い昆布茶。 「俺は、会社の株を持ってる社長の孫。」 「あぁー。うちのバイトの高崎君も?」 あの、語尾が少し間延びする金髪の チャラい見た目に反しマメに働く気が利いた男の子だ。 「俺の父方の従兄弟です。高崎 春(たかさき はる)」 「それで。」 「それで、6年前のインターンの件。 俺は歳も丁度良かったし、 一応株主のひとりだから祖父に言われて仕方なく会社の調査員みたいな事をしました。 そこに、あんたがいた。」 ギジリと、並んで座っていたベッドが音を立て 気が付けば、郁哉が身体ごと明親を正面から見つめマグカップを持つ両手毎、掴まれた。 「騙すような事をして、悪かったと思ってます。」 「あ、ああ。別に、」 「良くない。俺はあの時この恋に真剣だった。 それでも、あんたに不誠実をした事がある。 それを、謝りたいんです。」 「分かったから、何?」 手を掴まれ、瞳も釘付けになる程、 真剣に向かってくる男を無下には出来ない。 「あの時、俺が言われたのは 新卒者の候補を絞る事と、 社員の働きぶりをチェックする事でした。 つまり、仮内定の話まで用意する筈じゃ無かったんです。 俺も訳がわからなくて後から聞いた話です。 あの話は、祖父が用意したブラフでした。」 「な...っ、!」 「俺もそれでいいと今の今までそう思ってた。実際、この話が広まって、他の社員の働きが格段に上がりました。 会社としては、万々歳です。 でも、それがあんたの夢だったとは知らなかったんだ。」 すみませんでした、と郁哉が頭を下げた。 その間、明親は無言で、微動だにしなかった。 まるで時が止まったかのような錯覚と 静けさが耳を刺すような、 痛みを郁哉の胸にあたえていく。 膝の上で硬く握る自分の拳が、痛かった。 だが、それ以上の痛みと衝撃を きっと明親は今、味わっている。 そう思うと、許しを貰うまで ただ権力だけを持ち合わせた若造が頭を上げることは出来なかった。 1分か、10分か、それとも10秒か。 数えきれない感覚が過ぎていく。 やがて、動いたのは明親だった。 「頭、あげなよ郁哉君。」 今まで呼び捨てだったが、ここで敬称が付け足された。 「あ、キチカさん...」 「6年も前だよ、僕は君の名前も顔も忘れてた。 確かに、ブラフだったなんて正直悔しくないとは言い難いな。」 手に持ったままのマグカップが、 コトリと音を立ててサイドテールに置かれる。 それを、ゆっくりと郁哉は目で追う。 「でもさ、ブラフならその後誰かがバイヤーになる可能性が有ったって事だろ? あれから6年も経ったんだ。 僕も努力したし、おかげで出世も出来た。 それでも、オファーが来なかったって事は、 僕の実力不足なだけだよ。」 明親は、湯気を立てるマグカップを見ながら言う。そこに、郁哉の輪郭は映って無い。 「でも、お前に聞きたい事がある。」 「はい。」 「お前は、何で今になって突然 僕の前に現れたんだ。」 それは、明親にとって過去の人事よりも重要な疑問だった。 確かに、ブラフなんて酷い話だと思うが この、6年で明親は進んできた道に 後悔はしていない。 あるとすれば、 田舎への転勤で出逢いがなく恋人がいないと言う事だけ。 まさか、6年前の事を謝るためだけに、 株主がわざわざ田舎までやってきたとは考えにくい。 何より、明親の胸を満たすのは先程交わした情事の熱と、まるで愛しいものを見つめるかのような郁哉の瞳だ。 その真意を、知りたい。 そして、6年も経って現れた訳も。 「大学卒業後、4年は他の企業で働く事が高崎家の決まりでした。それから2年で、俺は祖父のこの会社で経営を学んで、あと数年後には重役に就任することが決まりました。 何事も無ければ、今の社長が引退した後この会社を継ぐのは俺です。」 「ぇ、なに会社潰れるの?」 「違います。親父はまだ引退しませんよ。」 「あ、うちの高崎君は?」 焦る明親を宥める郁哉だったが、 彼の元でアルバイトをしている従兄弟の名前が出ると急に、目くじらを立て始めた。 「あんたの"高崎君"は俺ひとりです。 あいつはまだ下積みですよ。只の高校生のバイトと一緒です。」 「な...っ、何だよ」 「何だじゃ無いです。 あんたは春がタイプなんですか。 知ってますよ、アキチカさん年下の可愛い人畜無害そうな男が好きなんでしょ。」 「は、ぁあ!?」 それは、明親のかなりプライベートな機密情報だった。 「あんた、見過ぎですよ。 俺が今日、店であんたを待ってる間、 若い男の客ばっか見てた。」 「うっ、!」 「俺の事は、タイプじゃない? 顔だけならあいつより可愛い方だと思うんだけど。」 ズいっ、と 明親の好みの顔が寸前へ迫ってくる。 さっきまで、しょげていた空気は今は無く むしろ嫉妬のような熱でメラメラと滾っていた。 「あの時、あんたが残したメモまだ持ってるよ。 それ見てたらさ、やっぱ男としてやるべき事ちゃんとやろうって思ったんだ。 そしたら、優しいアキチカさんはきっと 俺の提案を断れないだろうと思うし。」 「提案?」 「そう。遅くなってごめん。でも6年もかけて、やっとアキチカさんに恥ずかしくない俺になれたと思ってるんだ。」 「時期社長だろ。頑張ったな、凄いよお前。」 凄いでしょ俺、と郁哉が得意気に熱い瞳で見つめてくる。 「だから、提案があるんだ。」 「な、んだ...ろ、出世祝いかなぁー。」 6年も時が経つと、 あの時、少し震えた声で緊張気味に -あんたを、抱いてもいいですか-と聞いてきた 純朴な青年は 中々頭のキレる、厄介な男に成長したようだ。 「三浦 明親さんを、俺にください。 俺は、6年前の様にただ株券を持つだけの若造じゃありません。まだまだ親父の代は続くし、会社だって進化していく。 それを俺は、これから先も先導し支えていく事に決めました。 でも、俺一人じゃきっとダメです。 俺は、大事な人の為に頑張るのが向いてます。 痛いほど分かったんだ。 それは、三浦 明親さん貴方じゃなきゃ駄目なんだ。」 貴方だけが、俺を見て 俺を愛して、甘やかしてくれた。 6年前も、今も。 いつから好きだったのかは、 はっきり覚えてません。 でも、俺がこの人を幸せにしたいと思ったのは 6年前のお疲れ様会でした。 俺の焼いたお好み焼きを、 美味しいって食べてくれた時。 あの時、あの無邪気な顔にやられました。 褒めてくださいよ。 あれから、一度も会いもせず連絡もとらず 我武者羅に頑張って来たんです。 こんな優良物件無いですよ。 家事も料理も出来ますよ、俺。 「だから、俺の一生を全部あんたにあげるから、あんたのこれからを、俺に丸ごと全部ください。」 少し、声が震えてる。 その郁哉の姿はあの時と同じ。 少し懐かしいくらい、見覚えがあった。 "なんだ、 変わったトコなんて全然無いじゃん。"

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