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「ほら」 土曜日の正午過ぎ。 大学図書館の二階にある窓際の閲覧スペースで、夏休みの課題として出されていたレポートの仕上げ作業に取り掛かっていた式は戸惑った。 いきなり目の前に翳された携帯。 画面には今年の三月以来会っていない妹の写真が表示されていた。 初めて目にする制服姿だった。 「付き合ってる証拠を持ってきた」 式は携帯を掲げている隹に渋々視線を移動させた。一週間前と似たような黒ずくめの格好で彼は真横に立っていた。 途中までブラインドが上げられた窓からは生い茂る常緑樹が覗いていた。 日の光を浴びて深緑が生き生きと呼吸している。 窓は細く開かれていて清々しい風を館内に招き入れていた。 「手書きのレポートか。古風だな。題材は児童文学? よだかの星か」 隹は手元を堂々と覗き込んできた。 前回も思ったが、懐にぐいぐい入り込んでくるような無遠慮な態度に式はやっぱり困り果てた。 「俺は熊の話が好きだ」 「なめとこ山の熊……あの、勝手に人のレポートを読まないでください、隹さん」 「さん付けとか気持ち悪い、呼び捨てでいい」 隹は古ぼけた絨毯が敷かれた床にしゃがみ込んだ。 窮屈そうに背中を丸めると、年季の入った木製の一人用テーブルに片頬杖を突き、サングラス越しに式を見上げてきた。 「雛未の家族に興味があるんだ」 家族。 小さな棘に胸を引っ掻かれた気がして式は眉間の縦皺を一つ増やした。 兄妹の実母は十一年前に他界した。 雛未が五歳、式が八歳のときだった。 半年ほど前に病気が判明してから旅立つまでの日々は無情なまでの駆け足で過ぎ去っていった。 父親が再婚したのは六年前のことだ。 再婚相手に対して雛未はなかなか心を開こうとしなかった。 若い継母(けいぼ)は途方に暮れ、会社役員で多忙な父親は気に病んだ。 兄の式はそれぞれの思いを尊重し、不安定だった家族の絆を何とか繋ぎ合わせようとした。 そして、一昨年の春、雛未の十四歳の誕生日に腹違いの妹が産まれて家族の均衡はさらに崩れた。 徒労感に押し潰された式は「ある一つの過ち」を犯した。 そうして受験を機に我が家から離れることを決めた。

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