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「相変わらず妹のことを誑かしてるんじゃないかと心配していた」 「まだ先生だって言ってないんですか?」 「タイミングがな。でも、一緒にコーヒーを飲みいくところまで進んだぞ」 「砂糖もミルクもどっちも入れてたでしょう。お兄ちゃん、苦いのは飲めないの」 「兄妹揃って甘党なんだな」 午前中の休み時間、次の授業が行われる特別教室棟へ向かう途中、渡り廊下で雛未は隹とばったり会った。 隹は雛未を呼び止め、昨日の出来事を掻い摘んで報告した。 教師と生徒、横に並んで。 雛未は開かれた窓から外を眺め、隹は背中から窓枠に寄りかかっていた。 廊下を行き来する生徒らに「センセイ!」と呼びかけられると「用事もないのに呼ぶな、ペットじゃあるまいし」と度重なる黄色い声にその都度対応していた。 「隹先生はブラックでも平気そう」 「ご名答」 「隹先生はどうして教師になったの?」 「母親の影響が強い」 「おかあさん」 「俺の母親も教師なんだ。科目は数学だがな」 「もしかしておとうさんも?」 「オヤジはシェフだ」 「先生にもお兄ちゃんいる?」 「上にはいない、下に弟が一人、こいつは教師じゃない。雛未、そろそろ授業が始まる」 「はい」 音楽の教科書やペンケースを抱えた雛未は隹の元から離れようとした。 肩を軽く叩かれた。 慌てて振り返ると背中を屈めた隹に早口に言われた。 「今日の昼休みは松永先生が実験室を使うから来るなら放課後にしろ」 「松永先生……?」 「お前の化学担当だろ」 雛未は頷いた。 制服のワンピースの裾をふわりと翻し、駆け足になって上の階の音楽室を目指した。 九月下旬に開催される文化祭の準備で学内は浮ついていた。 放課後は教室で話し合いを進めたり、校舎のあちこちでダンスやミュージカルの練習に励んでいたりと、爽やかな熱気に包まれていた。 雛未のクラスはアイドルや流行した楽曲振りつけのコピーダンスを体育館のステージでやる予定だった。 文化祭企画委員が中心になって行っている練習に参加してはいるものの、正直なところ、雛未はそこまで熱意を注いでいなかった。 音楽室に到着すると空いていた窓際の席についた。 授業開始まで残り数分、クラスメートは他愛ないおしゃべりに夢中になっている。 雛未は周りに聞こえない程度のため息をそっとつき、自分の肩を撫でた。 隹先生は、いつも白衣を着ていて、優しくて、何だか天使みたいだ。 夏から秋へと移ろって夜が増す長月。 「ある一つの理由」により、自分の誕生月よりも大切にしている暦の真っ只中で雛未の心は他愛ない迷夢(めいむ)へと落下していく。

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