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第6話 ご注文をどうぞ

新生活にも少し慣れて来て仕事帰りは近所の散策をするようになった笑武。 大通りまで出れば店は多い。コンビニは近所に2店舗あるし、公園やバス停も近い。スーパーまでは片道10分くらい。その途中にはカレー専門店も見つけた。 しかし一番気になる店はアストに案内してもらったカジュアルでお洒落なカフェレストラン、libertàだ。 今日も散策の途中に前を通りかかって足を止める。 営業時間は平日7:00~21:00、土日祝7:00~19:00。モーニング7:00~10:00、ランチ12:00~14:00と書かれているが遅くまで開いているので夜カフェとしても利用できそうだ。 休みは不定休となっている。 (入ってみたいけど、オシャレな店って1人で入りにくいんだよなぁ) HeimWaldの交流会でも良く使われるという店。話のネタに一度は入っておきたい。しかし1人では入りにくい。そこで笑武はいちばん誘いやすい人物に声をかけることにした。 「奢り?!」 部屋を訪ねて誘った途端に出た言葉がそれだったのは想定内なので頷く。 「奢るよ、俺が行ってみたいってわがまま言ってるんだから」 「行く行く!タダ飯ゲットー」 いちばん誘いやすい人物、沙希は予定外の儲け話に二つ返事で快諾してくれた。 「あ、そう言えば透流さんリベルタのシェフは3階に住んでる人だって聞いたんだけど」 「何?もしかして、まだ会ってねぇの?」 「そう…俺、3階の人たちとタイミング全然合わないみたいで」 「ついでに会いたい感じ?って言ってもアイツ店では厨房から出てこないしなぁ」 「シェフだもんね…やっぱり地道に訪ねるよ」 「んー…蓮牙(れんが)に頼めば何とかなるかも」 「誰?」 「フロアとバリスタやってるヤツ…一応タオル持ってけよ」 「うん、わかった」 言われた通り紙袋にタオルセットをひとつだけ入れて沙希と共にlibertàに向かう。夕食時にしては少し早い為か席には余裕があるようだ。 「そだ!笑武、言い忘れてたけどさ…今度はホントに恐いヤツ出てくるから」 「へ?」 「ビビって逃げんなよ」 ニヤリ、と悪い笑みを浮かべて返事も待たずに店のドアを開けてしまう沙希。 「いらっしゃいませ…ああ、沙希か」 「ナイス!ちょうど蓮牙が居たじゃん」 明る過ぎない茶髪のアップバングはヘーゼルの瞳とバランスが良い。目元の彫りが深いかなりの美形。蓮牙と呼ばれたこの青年の着ているグレーシャツに黒のスカーフとエプロンがlibertàのユニフォームのようだ。 「どうした?俺に用か?さてはカプチーノにクマさん描いて欲しいんだろ」 「違っ…いつも頼んでるみたいに言うなし!」 「カプチーノにクマさん…」 笑武の目が輝いている。 「…連れは描いて欲しそうな顔してるけど」 「連れ?…お?はじめまして君じゃないか、沙希の数少ない貴重なお友達?」 「ねえ…俺も一応、お客様なんだけど!」 「そうだな、自腹切ってるところは見たことないけど…今日はお連れさんの奢り?」 「…う」 図星だ。 「あ、どうも…はじめまして栄生笑武です」 「よろしく、俺は一ノ瀬(いちのせ)蓮牙(れんが)…ここのバリスタ」 蓮牙は4人用の広いソファ席に案内してくれた。 「もし時間空いたらで良いからさ、オッサンに一瞬だけ顔出してって伝えて…ヴァルトの新入りが来てて挨拶したいからって」 (おっさん?!) 「ああ、そうなんだ…あのマンションって女人禁制なの?」 「あはは…すみません、また男で」 「伝えるけど、来てくれるかは分からないよ…オーダー決まったら呼んで」 メニューを見ている間に別の店員が水とおしぼりを持ってきてくれた。 「で?入ってみた感想は?はじめてのリベルタ」 「うん…外から見ていた時も思ったけど実際に入って見ると改めてオシャレだな…柱にトラベルステッカーが貼ってある所とか、海外旅行の思い出が詰まってる感じでこっちまで旅行に行った気分」 外からではわからなかったlibertàの細かな内装。席数はカウンターと合わせて30席ほど。 壁には絵画に混じって異国の絶景写真も飾られていた。 「その辺の写真はオーナーが撮ったんだってさ」 「今日はオーナーさんは居ないのかな?」 店内を見回しても、オーナーにしては若過ぎる店員しか見当たらない。 「オーナー夫妻なら今は滅多に店に出てないから、2階の自宅か外出中じゃね?オーナーの奥さん、妊娠中なんだけど、高齢出産らしくてオーナーも付きっきりになってるっぽい」 「そうなんだ…その間、店は蓮牙さんたちに任せてるんだね」 「うん、そう…確かリベルタはシェフをオーナーが育てて、バリスタやパティシエは奥さんの方が育てた店だって聞いた」 「そっか、それならオーナーさん達も安心して休めるね…わぁ、自家製ケーキがある」 「それ持ち帰りできるやつ…俺ロールケーキ好き!」 「じゃあ、ケーキも買って帰ろうか」 「そっちも奢り?」 「あはは…いいよ、俺もロールケーキ食べてみたいし」 「マジ!ありがと笑武」 (ま、眩しい…) どうやら沙希の笑顔には、相手の目を眩ませる効果があるようだ。こんな風に喜ばれたら、さぞ甘やかされる事だろう。一度も自腹を切らずに済む理由が分かった気がした。 「おーい、お二人さま、オーダー決まったか?…沙希はお子様ランチにしとくからな」 近くを通りかかった蓮牙がついでに声を掛けてきた。 「勝手にすんなし!メニューに小学生以下のお子様のみって書いてあるじゃん!」 「あはは…俺は定番オムライスにしようかな、ソースはトマトで…外のイーゼルに書いてあって前から気になってたんだ」 「お?イーゼルちゃんと見てくれたんだ、ありがとな…アレ俺が書いてるから」 「!、それじゃあ、あの美味しそうなオムライスの絵とかも蓮牙さんが?」 「実物はもっと美味しそうだけどね、カプチーノにクマさんも描いてあげようか?」 「…あ、はい!それもお願いします」 「笑武…おまえチョロすぎ」 「沙希はいつものでいい?それともお子様ランチ?」 「いつもの方に決まってんじゃん!なんでその二択にすんの!」 「はいはい、じゃあちょっと待ってな」 サラサラと伝票にオーダーを書き込んで厨房に通しに行く蓮牙。 「いつもので通じる店があるっていいね」 「俺のいつものって海老ドリアなんだけどさ…嫌な予感する」 「え?」 「あ、いや…お金は取られないんだけどさ、蓮牙がオーダー取ると余計なことされんの」 「…余計なこと?」 この答えはしばらくして料理が運ばれてきたのと同時に分かった。オムライスと海老ドリアの他に何故か頼んだ覚えのないグリーンサラダがやって来たのだ。「ごゆっくりどうぞ」と裏返してテーブルに置かれた伝票を確認しても、グリーンサラダの記載はない。 「ほらぁ…これだよ、アイツの仕業!頼んで無いのにいつもサラダおまけで付けてくんの、俺が野菜食べないからって…!」 「え…え?!」 どうやらサラダは蓮牙からのサービス品らしい。 「蓮牙!」 「よお、呼んだか?あ~そうかそうか、悪いな、聞き忘れてた…クマさんは食後で良かったか?」 「はい、食後で良いです」 「じゃなくて!なんでまたサラダが出てくるんだよっ」 「なんだ、また勝手にサラダが出て来たのか?野菜嫌いなのに可哀想にな、ちゃんと食えよ」 「オマエが出しといて何で哀れむんだよ!」 「あの、すみません…ありがとうございます」 サービス品を出してもらったという事は、沙希だけではなく支払う側の自分もサービスを受けたことになる。笑武は申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。 「笑武君は良い子だな…ほら、オムライスが冷めないうちに食べなよ、イーゼルより美味しそうだろ?」 「はい!いただきます」 libertàの人気メニュー、定番オムライス。ムラのないふわふわたまごに包まれるチキンライス。当然だが自分で作るのとは別格だ。スプーンを入れると食欲を誘う良い香りが広がった。 パクッと一口食べると、幸せそうに目を輝かせる笑武。スプーンが止まらない。 「あはっ、分かりやす…笑武、気に入った?」 「うん、美味しいよ!すごく!」 「はは、本当に美味しそうに食べるね、シェフも喜ぶよ…食べ終わった頃に来るって」 「良かったじゃん、オッサン来てくれるって…3-C号室」 「そうだね、こんなに美味しいオムライス初めて食べたよ、どんな人なんだろう」 「だから言ってんじゃん、オッサンだって…あと最初に言ったけどマジ恐いからな」 「うちのシェフはね、好き嫌い多い子とお残しする子には恐いだけだよ」 「沙希さん好き嫌いするから」 「う…誰にだって好き嫌いの1つや2つあるじゃん」 (なんとなくだけど、1つや2つじゃなさそう…) 「どんな人かは、すぐに分かるよ…じゃあな、ごゆっくり」 カウンターの中に戻って行った蓮牙。沙希は文句を言いながら、ちゃんとサラダも食べている。 「そうだ、沙希さん…タオルひとつ余りそうだから、また貰ってくれる?」 「それってさ…1-Dの分?」 「…うん、俺が訪ねたの迷惑だったかも」 「迷惑って言うか…アイツはそーゆーヤツだから」 「沙希さんは話したりする?俺、ちょっと色々あって変な人だと思われてるかもしれなくて…できれば挨拶やり直したいんだけど」 「俺とも…って言うか誰とも話さないって…たまに顔合わせても挨拶もしないし、交流会でも見た事ないしさ…別に仲が悪いとかじゃなくて、付き合い自体が無いんだよね」 「誰とも…か、…そういう人も居るって割り切るべきかな」 「まぁ、俺も数ヶ月前まで同じ感じだったし…今はやめた方がイイんじゃね?」 「うん…」 「だからさ、タオルは残しとけよ…そのうち俺みたいに話せるようになるかも知れないじゃん」 「そっか…うん!そうなると良いな」 「それより笑武もサラダ食べるの手伝えよな!」 「…蓮牙さんは沙希さんに野菜を食べて欲しいから出してくれたのに」 「残すと俺だけオッサンに叱られるじゃん…」 「じゃあ…少しだけだよ?」 「あはっ、さすが笑武!」 少しだけと言ったのに結局、サラダは半々に取り分けられてしまった。 (ああぁ…蓮牙さん、ごめんなさい) 「笑武は普段から自炊してて偉いよな…そこはマジ尊敬する」 「俺だって大したものは作れないよ…そう言えば沙希さん普段どうしてるの」 「どうって、コンビニとかカップ麺とかマックとか」 「…もしかして、調理器具も無いとか」 「調理器具?…んー…ケトルがある!」 (それは調理器具じゃ無いよ…) 料理が出来なくても、簡単な炒め物くらいは作っていると思ったがどうやらそれすらもしていないようだ。蓮牙が心配するのも納得の自炊力0。 「そこを節約できれば、もう少し楽になりそうだけどな…」 「作るの面倒じゃん、売ってる物は美味しいし」 「それはそうだけど」 「作りすぎたら、いつでも貰ってやるから呼べよな」 「それなら最初から食べにおいでって誘うよ、俺なんかの料理でも良ければだけど」 「ふぅん…さらっと口説いてくれるじゃん、お礼は体でいい?」 沙希の緩い襟首を下げる仕草に笑武は口に含んだ水を危うく吹き出すところだった。 「ま、またそんな事…!」 「あははッ」 談笑しながら、料理を完食した頃。見計らったように蓮牙がカプチーノを運んで来た。カプチーノアートには可愛いクマとWelcomeの文字が描かれている。 「ほい、お待たせ」 「「可愛い!」」 声を揃えて同時にスマホを取り出してクマの写真を撮る2人に蓮牙は声を抑えて笑う。 「ああ、可愛いな…大人男子が2人して子供みたいにはしゃいじゃって」 「飲むのがもったいなくなりますね」 「写真撮ったら、ちゃんと飲むんだぞ…写真だけ撮って食わない飲まない奴は最悪出禁になるからな」 「え!そんな人がいるんですか」 「まあね…うちのシェフも鬼じゃ無いから絶対に完食しろとは言わないけど、最初から食べる気が無いのに頼んで、写真だけ撮って口もつけないのは許せないんだって…俺が作ってるのは食べもんだ、見せもんじゃないって」 「こんなに美味しい料理を食べずに帰るなんて…その人、損しましたね」 「だと思うよ」 優しく笑う蓮牙。沙希は何も言わずに頬杖を付いてカプチーノを眺めていた。 「じゃあ、いただきます」 笑武がカプチーノを飲んでいる間に蓮牙が空いている皿を片付け始める。サラダの皿も空になっているのを見て褒めるように沙希の頭を撫でた。 「よしよし、野菜もちゃんと食べたな」 「あーもう!子供扱いすんなって!」 「今ちょうど君たちとカウンターのお客様だけだから、シェフ呼んでくるよ」 「はい、お願いします」 数分後、のほほんと食後のカプチーノを飲んでいる笑武の背後から大きな人影が歩み寄る。沙希が露骨にそっぽを向いたので笑武は不思議そうにカップを置いた。 「沙希さん?どうしたの?」 「来た…3ーC号室」 突っつくように後ろを指差されて振り向くとそこには白いコックコートの大男が立っていた。 「ひ…」 ソフトツーブロックの茶髪。やや色黒の肌。プロレスラーのように大きな体格。身長も高く、細い眉の下で睨みを利かして見下ろしてくる鋭い黒の眼光。何より頰に残る古い傷痕。其処にいるだけで威圧感が押し寄せてくる。本当にシェフなのかと疑いたくなる厳つさだ。 沙希はオッサンと呼んでいるが、オッサンと言うにはまだ若く見える。30代半ばといったところだ。 「あんたか…ヴァルトの新入りってのは」 低い声で唸るように言われて立ち上がり正面に向き合うと更に迫力が増したように感じる。 「ひあ…あの…いい、いち」 「ビクつくな…何もしやしない…それと、座っていれば良い…あんた客だろう」 「わ、わざわざお仕事中に出て来てもらったのに俺だけ座ってる訳にはいかないです…あの俺、い…1ーB号室に越して来ました…栄生笑武と…も、もうしまして!」 強面が気になって緊張してしまい、語尾が不自然に畏まってしまった。 「…俺は梶本(かじもと)勇大(ゆうだい)…此処のシェフだ」 「ああの、あの、オムライス美味しかったです!ごちそうさまでした!」 「…そうか…うちの看板メニューだ」 「カプチーノも、美味しかったです!」 「…そいつはバリスタに言ってくれ…」 「は…はい」 ちょっと涙目になりかけている笑武。見かねて沙希がギフトの入った紙袋を指差す。 「何回か部屋に行ったらしいけど留守だったって言うからさ…」 「…ああ、俺は日の出前には店に居る…夜は日付が変わる頃に帰る…会わないだろうな」 「寝に帰ってるだけって感じ?…でも土日は閉店が早いから少し早く帰って来てるよな」 「…2時間は早いと思うが…それでも会わないだろう」 「そ、そうなんですね…挨拶が遅れて、すみません…今日はじめてリベルタに来たんですけど、また来たいと思いました、きっとたくさん利用します!これから宜しくお願いします」 告白でもするように紙袋を両手で差し出す笑武。勇大もそれを両手で受け取った。 「ああ、よろしく頼む…もういいか?…ゆっくりして行ってくれ…」 のしのしと厨房へと戻って行く勇大。笑武は腰が抜けたように座り直した。少しだけ残っていたカプチーノを一気に飲み干す。 「はぁ…はぁ…緊張した!」 「あれがデフォルトだから…怒るとちょーぜつ恐ぇの」 「お、大きい人だね」 「客がビビるから普段は厨房に引きこもってんだよね…正解だけど」 「今日、挨拶できて良かったよ…ヴァルトでは会うの難しかったみたいだから…ありがとう沙希さん」 「ってか俺もさっき気付いた、そう言えばオッサンに会うのっていつもココだなって」 「梶本さんにとってはリベルタの方が家なのかもな」 「だと思う、オーナー夫妻にとってもオッサンは息子同然だって言ってたし…」 店内をぐるっと見回して、改めて思った事を口にする。 「良い店だな…リベルタ」 話している間に客が2組入って来た。そろそろ忙しくなる時間だろうと席を立つ。約束通り伝票は笑武が持って会計に向かい、レジ横のショーケースから持ち帰りでロールケーキを2つ頼んだ。 「お二人さま、帰るのか?」 店を出ようとした所に蓮牙が現れる。 「はい、ごちそうさまでした!また来ます」 「笑武にロールケーキ買ってもらった」 「お?良かったなぁ、沙希」 「デザートゲット…やば!外、寒いんだけど!」 ロールケーキを買ってもらって上機嫌の沙希は先に外に出て店との温度差に驚いている。 「本当だ、空も暗いね」 「風邪ひくなよ!じゃあな、お二人さま…ありがとうございました、またお越し下さいませ」 帰りだけ店員らしく見送ってくれる蓮牙。2人は徒歩1分の帰路を歩く。 「ごちそさま」 「ううん、こちらこそ付き合ってくれて助かったよ、1人じゃ入れなかったと思うから」 「連れメシ大歓迎!また誘えよな」 「そうだね、また行……」 話しながら歩いていると、すぐにマンションに到着したのだが1階の通路で様子のおかしい玲司と明梨を見つけて足が止まる。 「ねぇ、こんな所出て私と一緒に住めるマンションに引っ越してよ」 「今はそんな話してねぇだろ」 「だって泥棒が居るかもしれないんでしょ!」 「…とにかく、今日はもう帰ってくれ…送る」 「いい!1人で帰る!」 その言葉に偶然とは言え聞いてしまった笑武と沙希は顔を見合わせた。 「どうしたんだろう…」 「さぁ?…何か喧嘩してるっぽくね」 「今、泥棒って…」 此方へ歩いて来た明梨は普段の愛らしさを消して怒りの形相だった。そして2人を見つけると立ち止まる。 「あなた!あなたがやったんでしょ!最低!」 突然、指をさされて沙希は思わず身構えた。 「は?…何を」 「あなた困るといつも玲司の部屋に来てるじゃない!この泥棒!正直に言いなさいよ!」 問い詰めるように怒鳴られて気迫負けした沙希が身を引く。そしてやはり泥棒は聞き間違いでは無かったようだ。 「マジで何?言ってる意味が分かんないんだけど…」 「ちょ、ちょっと明梨さん…どうしたんですか、やめてください」 「うるさいわね!あなたには関係ないでしょ!」 怒りがヒートアップしそうな勢いの明梨から沙希を守るように笑武は2人の間に入った。 「落ち着いてください、まず説明を…」 「この人を庇う気?分かった、あなたもグルなのね?!」 「えっ?!な、何のですか」 「明梨!」 追って来た玲司が明梨を引き離したことで、何とかヒートアップは中断された。 「…玲司、引越しのこと考えてね…泥棒が居るマンションなんて怖いもん」 そして途端に先程の形相が和らいで、甘えるように抱きつくという変わり様だ。しかし玲司は抱きついて来た腕をすぐに剥がした。 「玲司さん…何があったんですか」 「騒がせて悪いな…明梨、沙希と笑武に謝れ」 「え?何で私が謝るのよ!ねぇ玲司!ちゃんと言ったほうが良いよ!もう部屋に来るなって!」 「今のを謝る気がねぇなら、お前こそもう部屋に来るな」 珍しく声を強めた玲司に明梨は悔しそうに赤い唇を噛んだ。 「何よ、私は玲司の為に言ってあげてるのに!」 「あのさ…さっきから何なんだよ!俺が玲司の部屋に行くのやめれば解決する話してる?!だったら、もう玲司の部屋には行かないし、俺には謝らなくてもいい…変な痴話喧嘩に巻き込むなよ!…行こうぜ、笑武」 「え…でも」 「食後のデザートターイム」 沙希に腕を引っ張られて、明梨達を気にしながらもその場を離れる事にする笑武。 「沙希!」 玲司が呼び止めていたが、沙希が振り返る事は無かった。 食後のデザートタイムはどうやら自分の部屋で始まるらしい。たどり着いた先が1ーB号室の前で、笑武は急いで鍵を取り出しドアを開けた。そして先に沙希を通す。 「ッ…はぁ…サイアク、もうちょっとでキレるとこだったぁ」 「俺もビックリした…まさか明梨さんが、あんな酷いこと言うなんて」 「…笑武、慰めてー」 急にぎゅう、と抱きつかれる。驚いてロールケーキを落とす所だった。 「う、ん…キレなかったのは偉いけど…本当に何だったんだろう」 「そんなん知らない」 「ちゃんと玲司さんの話は聞いた方がいいよ、さっきも無視しちゃったし…な?」 「…今は無理」 「そうだね…今日はやめておこうか」 慰めるように抱きついている沙希の背中を撫でる笑武。 「気分変えたい!ゲームしよ!」 「はは…いいよ、でも…負けてもキレないでね」 「勝つから大丈夫ー」 それからは最近流行りのバトルゲームを繰り返し遊んだり、ロールケーキを食べながらテレビのバラエティ特番を観たりして何事も無かったように過ごした。沙希も普段と変わらない様子で笑っていたので笑武も安心する。 「このロールケーキ…覚えちゃダメなやつだ、他のが食べられなくなる」 「あはっ、もう遅いけど」 「くぅう…美味しい」 libertàのロールケーキは、口の中を甘く支配してクセになりそうな程美味しかった。 「……」 ひとり、部屋でテーブルに置かれた出産祝いの封筒を見つめる玲司。そこには無事に出産を終えた姉に渡す祝金が入っていた。これを用意したのは2回目だ。事前に用意してあった1回目のそれは、この数日で置いてあったはずの部屋のクローゼットから消えていた。 部屋に出入りする人間は少なくない。ただ、この数日では限られている。 明梨か沙希か、2人だけだ。恋人と友人、そのどちらも疑いたくはない玲司は重い溜息を吐いて再度用意した祝金を片付けた。

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