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第7話 取り引きしましょう

駐車場で文庫本を読みながら待っていた朔未が玲司に気付いて顔を上げた。 「お早うございます」 「ああ、お早うさん」 「沙希くん…寝坊でしょうか、最近は朝夕が寒いのでベッドから出たく無いのかもしれませんね」 「あいつの寝起きの悪さは年中だろ」 ビズ行きの出発時間ギリギリになっても来ない沙希に朔未は腕時計を何度か確認する。 「土曜はショートタイムだからって、いつもより少しやる気の上がってる日のはずなんですが」 「はぁ…仕方がねぇな、叩き起こしてくるか」 沙希を呼びに行く為に駐車場から戻って2階へ続く階段を上がった所へ、飛び込むように階段を下りて来た沙希と衝突する。沙希が急いでいたせいで勢いがついたままぶつかり危うく2人とも階段から落下する所だった。玲司が受け止め耐えて難を逃れたが、危機一髪だ。 「ッ!…なんでそんなとこ居るんだよ!事故ったじゃん!」 「危ねぇな!階段を飛ばして下りようとするんじゃねぇ!」 「…ごめん」 ほぼ同時に文句を付け合ったが昨日の明梨との悶着で気まずさがあるのか、沙希は早々に謝って玲司の横を素通りしようとする。 「ちょっと待て、その前に怪我してねぇか」 「してない、平気」 「沙希、おまえ今日は早上がりだろ…帰り待てるか?」 「先に帰る」 「なら、今夜部屋に来いよ…話がある」 「もう行かない方がイイんだろ…話したいなら玲司が俺の部屋来れば?」 「分かった、それでもいい」 「…行こ、遅れる」 話を聞いてくれる気はあるらしい沙希に玲司は安堵し、沙希の方も笑武のフォローで玲司から話を聞こうと思っていた所だったので素直に応じる事が出来て内心ほっとしていた。 「沙希くん!良かった、間に合いましたね!お早うございます」 「はよ…お前はいいよな、いつものほほーんとしてて」 「はい?」 首を傾げる朔未の背景には可愛い花が咲いていそうだ。まさに、のほほんとしている。 Biz Festの2階にあるメンズブティック『Re:Dragon(リドラゴン)』。通称リドラ。 沙希の勤め先であるこの店はリユースからローカルブランドまで幅広く扱う店だが、尖ったデザインのものが多く客層が偏るタイプの店だ。ライブハウスのような重低音のある音楽が懐かしのCDラジカセから流れている。 「~♪♪」 音楽に合わせて鼻歌を歌っているのはこの店の店長。ボリュームのあるグレーアッシュの長髪を鬣のように後ろへ流している。太い眉、吊り目に黄金色の瞳。190cmにもなる長身で並ぶと平均身長の男性が小さく見える程だ。ノーカラーのトレーナーに柄物のスタジャンを好み、その日の気分で色を変えて着ている事が多い。ドッグタグのペンダントには店の名前と開店日が彫ってあり店への愛着を感じさせる。長身の為、脚も長くサイズの合うボトムスを探すのに苦労しているらしい。店でもよく個人的に取り寄せたりしている。 「店長、値札の付け替え終わった」 輸入品の値札を国内の値段に付け替え終わった沙希がバック倉庫からフロアに戻って来た。 「ちょいちょい!こっち来いよ」 「何?」 「チラシが出来たから見てみろよ、いやーうちのモデルは出来が良くて服が負けちまうなぁ」 店頭で配布している店のチラシ。モデルは沙希が担当している。シーズンごとに更新されるこのチラシ目当てで来店する女性客も多い。 「ああ、いつものやつじゃん…触りたい?ってとこが変だけど、うちの店長チラシのセンス無いのバレてるからイイんじゃね」 「オメェ店長に向かって失礼だな、もこもこの服を着てたら触りたくなるってもんだろ!」 冬のチラシでは「触りたい?」というキャッチと共にもこもこの綿菓子みたいなアウターを着ている沙希の写真が目を引く。 「店長の性癖だろ、それ」 「んな事ねぇよ、玲司に見せたら刈り上げたくなる服だなって褒めてたぜ!」 「見せなくていいし!って言うか、それ褒めてんの?」 「ははは!そりゃあオメェ、俺と玲司はマブダチだからよ…紹介したヤツの働きっぷりは気になるだろうから報告してやらないとな…サボったら叱ってもらうぞ」 「ウチでサボってんの店長だけだから」 「店長のいいところはサボっても叱られないところだなぁ」 「送迎されてるから無断欠勤も出来ないし…おかげで俺、ちょー真面目に働いちゃってるじゃん」 「良いことじゃねぇの!真面目がいちばん!ただし店長は除く!」 チラシをフリーラックに入れる店長に沙希は呆れ顔だ。 「あ、いらっしゃいま…せ」 出したばかりのチラシを取って持参したクリアファイルに挟む女性客。俯き加減でマスクをして顔バレを必死に防いでいるが白石だ。沙希が声を掛けると「ひえああ!」と奇声を発して店に入ることなく恥ずかしそうに走り去っていった。 「なんだなんだ?」 「今の朔未のとこの店員じゃね?」 朔未に沙希の居る店とチラシの事を聞いてこっそり来たものの、不自然すぎてバレてしまったようだ。 「朔未?おお、本屋のかわい子ちゃん!今度、見に行かないとな」 「は?なんで可愛いって知ってんの?」 「ははーん、やきもちか?ビズのかわい子ちゃんの情報を共有し合ってる店長仲間がいるのよ、もちろんウチのかわい子ちゃんの自慢もしておいたぞ」 投げキッスをされて寒気を催す。 「あなたモデルもしてるのね」 不意に掛けられたその声に、別の寒気が背筋を走った。聞き間違いであって欲しいと願いながら振り向くとチラシを眺めていたのは思った通りの人物、明梨だった。 「……いらっしゃいませ」 「昨日は突然ごめんなさい、玲司と喧嘩した後で気が立っていたみたい」 「ああ…そう」 目を合わせないように答えて店の奥に引っ込もうとしたが、明梨は追いかけてくる。 「話があるの!」 「…は?俺に?…なんで」 「あなたにしか、頼めない事なの…お願い!時間ちょうだい」 「仕事中だから…悪いけど」 困惑する沙希に気づいた店長が追いかけ回す明梨の前に横入りして来る。 「どーもー、店長の羽島(はしま)龍樹(りゅうき)です、すみませんお客様…うちは店の決まりでお客様と従業員の個人的な交流は禁止してるんです」 店の責任者が出てきても明梨は強気だ。 「私、その人の知り合いなの…あなた店長なのよね、彼と話す時間をちょうだい」 「困ったなこりゃ…」 助け舟を転覆させられて頭を掻く龍樹。沙希は逃げ場が無いと判断して溜息をついた。 「俺、今日はショートだから…仕事終わってからなら話聞けると思うけど」 仕事の終わる時間を告げると明梨は急に嬉しそうな笑顔を見せる。 「いいわ、映画でも観て待ってるから」 「じゃあ、それで」 話す約束を取り付けて満足したのか明梨は映画館の方へと歩いていった。 「えらく積極的なお嬢さんだったな…2人で会って大丈夫か?」 「平気…ほんとに知り合いだから」 知り合いではあるが話をする必要が思い当たらない沙希には半休を奪われて不快でしか無い。機嫌が傾いてしまった従業員に店長の龍樹は再び頭を掻いた。 Biz Festの駐車場には歩道が設けられている。本館正面へと繋がるメインの歩道は並木道やベンチ、小さな噴水もあって駐車場に居ることを忘れさせる公園のような場所だ。 時間通り迎えに来た明梨と合流して、歩道を歩く。他人からは美男美女の恋人同士に見えるだろう。 「あなたの働いてるお店、このショッピングモール内のどこかだって事しか分からなくて探しちゃった…モデルもやれるわよね、あなた見た目は最高だもん」 「…どうも」 「あれから玲司と話した?」 「今夜、話す予定だけど…」 「良かった!じゃあまだ間に合うわ!」 「間に合う?」 明梨が足を止めたので、釣られるように少し先で立ち止まる。 「昨日、玲司と喧嘩してた理由…まだ聞いてないんでしょ」 「…俺が玲司の部屋に行きすぎてるって話?それなら昨日、もう行かないって言ったじゃん」 「違う!たしかに、それも思ってたけど…」 「じゃあ何?」 少し、苛ついて振り向くと明梨は謝るように両手を合わせた。 「お願い!助けて!…私、玲司のお金を盗んじゃったの!」 「………は?」 今、何と言った。とんでもない発言に沙希はすぐには反応すら出来ずに立ち尽くす。 「私、登録制の派遣会社で働いてるんだけど…今月は紹介してもらえる仕事が少なくて、ピンチだったの…親に頼むとすごく怒られるし…クレジットは止まっちゃってるし」 「…映画観たりネイルサロンに行く金はあったのにかよ」 合わせられた手の爪には明らかに最近サロンで仕上げられたばかりのネイルが施されている。明梨は自分の爪を見て泣きそうだ。 「しょうがないじゃない… MEMOMのフォロワーさんが私のネイルを楽しみにしていてくれるの!」 「……」 現実の生活に余裕が無いのにSNSの為に金を使って金欠になり、挙げ句の果てに恋人から金を盗むなんて、どこかでブレーキは効かなかったのだろうか。呆れて言葉も出ない沙希に明梨は続けた。 「玲司のお姉さんが赤ちゃんを産んで、出産祝いを用意していたのは知ってたの…それで、留守の間に合鍵で部屋に入って…」 「は?…てめぇ、玲司が姉さんの為に用意した金に手出したのかよ!そうじゃなくても許されないけどさ、あいつ甥っ子に会えるのどんだけ楽しみにしてたと思ってんの!玲司が家族大事にしてる事くらい、彼女なら知ってるだろ!」 「怒鳴らないでよ!…盗んだって言っても、たった数万よ…それに誤魔化せると思ったの」 「誤魔化す?…は?」 「置いた場所を間違えてるんじゃない?って言い切れば…会いに行くの明日でしょ?日にちも無いし、探して見つからなかったら、諦めてまた用意すると思って」 「…どうかしてる」 出てくる言葉すべてが信じられないと首を横に振る沙希。しかし、どうかしていると神経を疑うのは早かった。明梨は次に、耳を疑うような提案をしてきたのだ。 「ねぇ、お願い!あなたが盗んだことにして!」 「…な、に?」 あなたが盗んだ事にして?今、言われた事を頭の中でもう一度聞き返す。 「お願い…お願い!」 「…なぁ、ふざけてる?…そんなの、断るに決まってんじゃん」 怒りで声が震えた。甘えた声に吐き気すら覚える。 「分かってる…私って最低…その時は軽い気持ちで、このくらい大丈夫と思ってやっちゃうのよ…いつも後から怖くなるの、後悔しても遅いのに」 「分かってんなら謝れよ…玲司なら、正直に謝れば許してくれるからさ」 「それが出来たら頼まないわよ!お願い…あなたが謝って!玲司は許してくれるんでしょ?」 「断る、何も聞かなかったことにするからさ…マジでちゃんと謝れよな」 怒られるのが嫌で自分の犯した罪を他人に押し付ける。まるで子供だ。沙希はもう関わりたくないと背を向けた。 「お願い…私…大人になっても親に生活費助けてもらって、自分は好きなことして、仕事だって安定してないダメな人間なの…でも玲司は、こんな私にも優しくしてくれた…私、玲司と一緒なら変われると思うの」 「!!」 その言葉は全て少し前の沙希に重なる。親に生活費を支援してもらい、仕事もしないで悪い仲間と好き勝手遊びまわっていた。そして、そんな沙希にRe:Dragonを紹介してくれたのは玲司だ。今の充実した日々に沙希を導いてくれたのは玲司の存在が大きい。 「玲司と一緒に住みたいのも本音、そしていつか…2人で家庭を持って幸せになりたいの」 「……」 告げられた願望に沙希はゆっくり振り向いた。そこに居る、不安そうな顔の明梨は過去の自分のように思えた。 「お願い…助けて」 いよいよ目に涙を浮かべる明梨。 (ああ、もう…サイアク…) 「…俺に、どうしろって言うんだよ」 明梨はハイブランドのバッグから出産祝いの封筒を取り出した。一度開封した為か少し破れている。 「これ…返してあげて…入ってたお金は使っちゃったけど、ちゃんと新札を戻しておいたから…使ってないって事にできるわ」 「返すのは当然だし、使わなかったからって無かった事には出来ないの分かってるよな」 「でも…被害は無くなるでしょ?」 盗んでバレたら返せば済むと思っているところも子供だと思う。返せるのなら、盗まなければ良いのに。どうしてそんな事にも気付けないのか。沙希は出産祝いの封筒を受け取って溜息を吐いた。 「本気で変わる気あるなら、もう絶対に…玲司のこと裏切るなよ…それが引き受ける条件」 それは、過去の自分に向けた言葉だ。 「絶対に約束する!ありがとう!」 「じゃあ、この罪…もらってやるよ」 自分のように明梨に変わって欲しい。それだけの理由で沙希は無実の罪を自ら被った。明梨は心底、安心したようで嬉しそうな笑顔まで浮かべている。 「私も玲司にあなたを責めないように言うから安心して」 「…もう行けよ」 どの立場で言っているんだと言い返す気力も無い。何度もお礼を言って走り去る明梨が見えなくなると沙希は疲れ果ててベンチに腰を下ろした。 (何やってんの…俺) 手にした出産祝いの封筒を見つめる。 「だってさ…あんなバカ女、変えてやれるのお前くらいだろ」 それでいつか改心した明梨と玲司が幸せになれるなら、一度だけ代わりに謝るくらい何ともない。玲司は許してくれると確信しているからこそ、安易に罪を被る事を選んだのだ。 その頃、HeimWaldでは休日のアストが郵便物を取りに来ていた。ダイヤル式の暗証番号を入力すると開く仕様になっている。 (ん?) 一般の郵便物とは別に、紙が入っていた。交流会の知らせかと思い紙を見た瞬間、アストはその紙を放り投げた。 「な、なんですか!!これは!!」 紙には『姫 愛してる』とマジックペンで書かれていた。正確な宛名も差出人も書かれてはいない。ただ、姫という人物に宛てた事だけは分かる紙。昨日は入っていなかったので今朝から今までの間に直接、郵便受けに入れられたようだ。 「どうした?でっかい声出して…上まで聞こえてるよー」 「透流!居たんですか、ちょっと来てください!」 取り乱すアストの声を聞きつけて出てきた透流が手招きされて2階から下りて来る。 「到着、と」 気怠げにアストの元に歩み寄ってきた透流は足元に放られた紙に視線を落とす。 「コレです!コレが僕の郵便受けに!」 「姫?…アストの事?」 「知りませんよ!ヴァルトに女性は居ません、仮に別の部屋と間違えたとしても変でしょう!」 「確かに」 透流は苦笑いを浮かべて、下りてきたついでに自分の郵便受けも確認する事にしたらしい。 「悪趣味な悪戯の可能性があります、でも僕には心当たりがありません」 「そりゃあ無いだろうね…俺も無いから」 透流は自分の郵便受けから、アストとまったく同じ紙を取り出して見せた。 「!」 「こうなると全部に入ってるんでない?」 「な、なんですって…一体なんの為に」 「さあ?アストが言うように、ただの悪戯かもしれないし…ヴァルトの誰かに宛てた熱烈なラブレターかもしれない…今もどこかで見てるかもしれないよ?お目当ての姫が郵便受けを開けに来るのを…」 透流が妖しく笑った瞬間、ザッと強い風が吹いてアストが放った手紙を吹き飛ばした。舞い上がった紙を掴んでくしゃりと握り潰すアスト。 「冗談じゃありません、そんな事が許されると思いますか!朔未さんの所にも入れられているとしたら…どんなに怖い思いをすることか!」 「え、サクミン限定?」 「もちろん他の住人もですが、僕は特に朔未さんが心配です!」 「そうねぇ、サクミンは怖がりだから…けど、俺が心配なのは」 少し離れて郵便受け全体を見つめる透流。そして考えた後、ひとつの郵便受けを指さした。 「…え?」 「ココ…とか?」 アストは透流が指さした先にある郵便受けを見て意外そうに瞬きをした。 「1-D号室…ですか」 「いちばん姫って呼ばれる可能性が高いんでない?この子」 「そうなんですか?…僕は話した事も無いので、よく知りません」 「俺もそこまで親しい訳じゃないけど…他の住人よりは話したことあるかもね」 「そうでしたか…意外です、透流は誰とでもうまく付き合いはするけど誰にも深入りはしない人間だと個人的に思っているので、付き合いを避けている1-D号室の方と交流があるとは思いませんでした」 「ん~…っと、今、褒めた?貶した?」 「どちらかと言えば褒めていたつもりです」 「そう…ありがとう…入れられたものは仕方がないからね…勝手に取り出す訳にもいかないし」 「そうですね、しかし許し難い!続くようなら管理人さんに相談しましょう!ヴァルト全体に関わる事ですから!この手紙は一応、証拠として残しておきます!」 「アストは心配要らないかな…どう見繕っても姫では無さそう」 「何か言いましたか!」 「いんや何も…うちでお茶でもどう?落ち着くよ」 「む…いいでしょう、お邪魔します!」 揃って部屋に戻って行く2人を離れた家屋の影から小さな双眼鏡を使って覗いている男。 それは以前、笑武が見かけた中年の男だった。 夕刻。 デジタル時計が時を進めるのをただじっと見ていた沙希は鳴ったチャイムにゆっくりと立ち上がる。 昨日、無視をしないで話を聞いていたら、あるいは違う結果だったのかも知れない。一瞬、そう思って考えるのをやめた。 「お疲れ…」 「ああ、入っていいか」 「…相変わらず何も無いけど」 沙希の部屋は驚くほど物が少ない。ベッドと衣装ケース、折り畳める小さなテーブルと古い型のテレビ、ワンドアの冷蔵庫だけだ。ソファは無く、ただ大きめの青いクッションが1つだけ無造作に置いてある。ラグも敷いていないので床はフローリングだ。座る場所に困る。 「確かに、いつ来ても殺風景だな…」 「別に住めればいーじゃん…ベッドにでも座れば?他に座るとこ無いし」 「そうだな…」 「知ってると思うけど、飲み物とか出ない部屋だから…それより話があるんだろ」 「ああ、お前からしたら気分の悪くなる話になると…」 ベッドに腰掛けて玲司は言いにくそうに言葉を切った。 「……」 「いや、まずは謝らないとな…昨日は明梨が嫌な思いさせて悪かった…明梨の態度は俺がうまく話をしてやれなかったせいだ」 盗みがバレそうになって必死に誤魔化そうとしたのだろう。話にならないのは当然だ。 「俺はいいって…笑武には謝れよ」 「ああ、笑武にも俺から謝っておく…」 沙希は早く終わらせようとベッドの上に脱ぎ捨ててあった上着を取ってポケットに手を突っ込み明梨から渡された出産祝いの封筒に触れる。 「あのさ…俺も玲司に謝ることがあって…」 「沙希…誤解させたくねぇから先に言っておくけどよ、俺は絶対にお前じゃねぇって信じてる」 「っ?!」 「その上で、話聞いてくれ…」 玲司は謝れば許してくれるだろう。だから罪を被って謝る事くらい平気だと引き受けた。しかし沙希も明梨に泣きつかれて冷静な判断が出来ていなかった事に今になって気づく。 確かに、許してはもらえるかも知れない。しかしその代償はあまりにも大きい。許しと引き換えに失うものがあったのだ、自分を信じてくれていた玲司からの信用。失いたくないと思うのに、もう手は罪に触れている。 (…どう、しよう) 沙希は抱えた上着のポケットに手を入れたまま動けなくなってしまった。 「俺に甥っ子が産まれたのは知ってるだろ…明日、会いに行くんだけどよ、そのついでに姉貴に出産祝いを渡すつもりで祝金を用意してあったんだ…両替して新札を用意したから俺の記憶違いって事は無い…」 玲司の話がまったく入ってこない。用意しておいた出産祝いがこの数日の間にクローゼットから消えていた事。部屋に出入りしていた人間が限られている事。明梨に聞いた通りの事情を話している玲司の声が遠くに聴こえるようで。代わりにドクドクと激しく動揺する鼓動の音が大きくなっていく。 (…俺…今から、玲司になんて言うんだよ…) 「まったくの他人って可能性もあるし、俺は今でもそうであって欲しい…けど明梨はすぐに、お前かも知れないって言い出したんだよ…俺はそれを否定した、それで言い合いになって…気が収まらないまま、明梨がお前見つけて怒鳴りつけちまった」 (…こんなに、信じてくれてんのに) 玲司と明梨が喧嘩をしていたのは。消えた祝金を盗んだのは沙希か否かで対立したせいだと知る。 「確かに俺がお前じゃねぇって言ったら、明梨は自分が犯人だと言われている気になるだろ…そこまで考えてやれなかった…だから、昨日のは俺が悪い」 「……玲司」 「お前らが2人とも違うって言うなら、俺は信じる…だから明梨ともう一度話す為にも、お前と話をしておきたかった…こんな事で時間取らせて悪いな…沙希………どうした?」 今、全てありのままに話せば玲司は信じてくれるかも知れない。盗んだ出産祝いを持っているのは明梨に頼まれたからだと言えば、まだ信用を失わずに済む可能性が残っている。しかし沙希の手の中にある罪は明梨に協力したという契約の証だ。 (バカなのは…俺の方だ) 「沙希…?」 指先が冷たくなって行く感覚。沙希は震える手でポケットから出産祝いの封筒を取り出した。 「……ごめん…玲司」 「!!」 空気が、凍りついた気がした。目を見開いて瞬きもせずに沙希が手にしている封筒を険しい表情で見ている玲司。沙希の方はそんな玲司を見ていられなくて目を閉じる。 「…ごめん…信じて、くれてたのに」 「……お前…それ」 「…っ、ごめん…部屋に泊まりに行った時…ホントに一瞬…魔が差して…でも、すぐ後悔して…ずっと返そうと思ってた…開いてるけど…使ってねぇから…こんな大事な金…使える訳ないじゃんね…マジでごめん…俺…まだバカのままだった」 身代わりを演じているのに謝る事に違和感が無いのは嘘を吐いている罪悪感があるからだ。 「本当に、お前がやったのか」 「……ごめん」 「…沙希…ちゃんと目ぇ開けろ」 言われて沙希が目を開けると、真っ直ぐに視線がぶつかる。玲司が視線を一切逸らさないのに対して沙希は動揺して忙しく視線を泳がせた。 「もう…二度としないって誓うから…部屋にも、行かないし…だから」 「……」 玲司はやっと沙希から封筒を受け取ると、確かに自分が用意した物だと確認する。封筒の中には新札が入っていた。復元された出産祝いが玲司の目を欺く。 「……分かった、もういい」 「……玲司」 封筒から出した札を見て、玲司はフッと呆れるように笑った。 「…甘く見やがって」 「…え?」 「俺にも許せる事と許せねぇ事があるんだよ」 「!!」 「沙希…俺は盗みは許してやれてもな、大事な奴を傷つけられて許せるほど優しくねぇぞ」 「…れ、ぃ」 怒りを宿した表情で立ち上がって部屋を出て行こうとする玲司を沙希は思わず追いかけた。 「邪魔したな…明梨が来る時間だ」 「…待てよ…なぁ、玲司!」 「……」 必死の呼び声に立ち止まって振り向く玲司。呼び止めたものの何も言えずにただ見つめるだけになってしまった。 「……」 「どうした…呼んだなら何か言えよ」 「…ごめん…」 結局、出てきた言葉はそれだけで玲司は無言で部屋を出て行く。 (…許して…もらえない?) 謝れば許してもらえる。大前提のそれが、打ち消された。急速に焦り出した沙希は玲司に真実を説明しようとすぐに部屋を飛び出した。 1階へ通じる階段を下りると明梨は既に部屋の前で玲司を待っていたらしく2人の話す声が聞こえる。 「お前の言う通り…沙希が盗ったそうだ」 「だから、あの人だって言ったじゃない!もう部屋に入れないでね!」 (……嘘…だろ) 明梨は庇うどころか、あたかも本当に沙希がやったかのように話している。最初から、沙希に罪を擦りつけるつもりだったのだ。騙されたと分かっても玲司の部屋に入って行く2人になす術もなく沙希は階段にへたり込む。今までギリギリ堪えていた涙が頰に一筋こぼれ落ちた。 「俺じゃ…ない…俺じゃない!」 言うには遅すぎた、真実。

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