13 / 25

第13話 よく似てるって言われます※

深夜のコンビニ。人混みの苦手な花結にとっては安気に利用出来る数少ない店だ。深夜帯は客も少なく、店員も外国人で必要最低限の言葉しか交わす必要が無い。 今日もこれからゲームをするつもりで、摘む用のスナック菓子を購入していた。 「アリガトウゴザイマシタ」 外国人の店員から、購入した品を受け取って帰ろうとすると駐車場で紙袋片手にスマホを弄っていた人物が目に入る。 「あ…千代田氏…?」 丸顔に大きな黒い瞳。そして天然の癖毛でくるっと毛先がうねった黒髪。イエローグリーンの水玉柄が可愛いカジュアルシャツに葉の形をしたボタンが可愛い白ベスト。紐のネックレスには緑の蝶タイが付いている。裾を折り返したデザインのデニム。その姿は、千代田アストと認識される。 しかし、どこか違和感があり、花結は声を掛けるのを躊躇った。 「…あーあーあー…よしっ、こんな感じかな」 発声練習をして前髪を軽く整えるとHeimWaldの方へ歩き出すアスト。その際に、確実に花結と目が合った。しかし見知らぬ人物を見流すように前を通り抜けていったのだ。アストならば、必ず挨拶くらいはしてくるはずだ。 「…え?…え?」 ドッペルゲンガーでも見たように混乱する花結。遠ざかる後ろ姿は、やはりHeimWaldに向かって行く。 それなのに、アストがアストではないように感じる。自分でも怪しいと思いながら、距離を置いて後ろを尾いていく事にした。 「~♪♪」 アストらしき人物は鼻歌を歌って足取りも軽くご機嫌そうだ。いつも真面目で表情の固いアストに比べると、性格的にも少し違うように思う。 (見た目は千代田氏…なのに、背が少し高い…) 最大の違和感に気づく花結。前を歩くアストは本物より身長が高いのだ。やがてHeimWaldに到着するとアストは迷わず2階へと階段を駆け上がる。アストの部屋は2-D号室なので2階に行くのは当然だが、こっそり階段の端から覗いていた花結は開いたドアに驚いた。 「待ってたよ、アスちゃん」 背の高いアストが辿り着いたのは、2-A号室。つまり、善の部屋だったのだ。 「お邪魔します」 スイッチが入ったように本物のアストと同じように表情を固くして口調も冷たくする偽物。 (…ち、千代田氏の偽物が夕岳氏の部屋に…これは一体) 見てはいけないものを見てしまった。カタカタと小刻みに震えたせいで、コンビニの袋がガサッと鳴る。瞬間、善が視線だけ花結に向けた。急いで隠れたが、見られたかもしれない。自らの鼻と口を両手で塞いで呼吸を止め、息を潜める。花結は今にも酸欠になりそうだ。 「どうかしましたか?」 「なんでも無いよ、可愛い白猫が居たみたい」 クスッと笑う善。花結はいつも白いパーカーを被っている。あえて白猫と言ったという事は、バレたのだろう。呼吸困難になりかけて涙目の花結。2-A号室のドアが閉まった事で、やっと息を吸えた。 (今のは、一体…) アストのコスプレをした何者かが善の部屋へと入っていった。それが今見たことの全てだ。 2-A号室。偽物のアストはベッドの上で自分に甘えて抱きついてくる男の黒い髪を撫でた。 (メイドとか、スク水とか…コスプレ趣味のお客さんは時々いるけど、こんなに細かく服とか話し方とか指定してくるお客さんは珍しいよなぁ…ま、お金さえもらえれば良いんだけど…) 「ん、アスちゃんと同じ香りだ…」 「いただいたトリートメントを使いました」 顔立ち、髪色、体格。アストに近いその偽物は数万円払えば来てくれる一夜の奉仕人だった。 最初の名前はA、購入後は相手によって変わる。今夜の彼の名前は『アスちゃん』だ。 「おいで…今夜も、俺のものになって」 「はぁ…仕方がない人ですね…今夜だけですよ」 一夜単位の契約。するりと善の首に腕を回して見つめると、嬉しそうに目を細めて応えてくる。 (かっこいいなぁ…僕を買うのは相手に困る人が多いのに…何でこの人、僕を買うんだろう) 相手に困るとは思えない。そう思いながらも、奉仕人は強請られるままキスに応えた。噛み付くように情熱的に唇を貪ってくるのに侵入してくる舌は優しく絡んで唾液を試飲する。口内が熱い。 「…美味し」 「それはよかった…」 蝶タイを指先に引っ掛けて緩めるとシャツの前を開ける。善はいつも、服をこれ以上は脱がさない。全部脱がすと、アストらしさが減るからだ。痕をつける事は規約違反。その為、首筋に降る口付けは触れるだけのもの。 「柔らかい…アスちゃんは全部、可愛いね」 「柔らかい?僕はぬいぐるみじゃありませんよ…ほら、早く出してください」 偽アストは部屋着の善の下腹部を膝で軽く押す。 「っ…さすがに今のは、ちょっと痛かったよ…」 「え…す、すみません」 やり過ぎたかと本気で申し訳なさそうな偽アストに善はフッと笑う。 「ちゃんと、癒してね」 「…なんだ、全然平気そうですね」 痛かったと言う割に熱が衰えていない下腹部に目をやって四つん這いになる偽アスト。善が下着から取り出した雄に躊躇う事なく舌を這わせる。上目遣いに相手を見ながら、見せつけるように赤い舌で竿や裏筋を丹念に舐めて、両手は脚の付け根を撫でている。 「…ん」 ぞく、と身震いする善の反応に舌舐めずりして濡れた口元が笑う。 「気持ちよさそうですね…よくないわけが、ないでしょうけど」 「そう…だね、気持ちいいよ…アスちゃん」 「せいぜい感じてて下さい…僕は仕事を続けますから」 そう言って偽アストは勃ち上がった雄の先端を唇で挟んで、ゆっくりと口内に咥え込んでいく。細い顎で、器用に奥まで咥えてジュッと音を立てて吸うと口内で質量が増した。喉を開いて奉仕を繰り返し善を追い上げ、震える内股を軽く揉んで煽る。 「っ…く」 「ん…ん…今、少し、出ましたよ」 ちゅ、と先端に口付ける偽アストの後頭部を片手で掴む善。 「次は全部出すよ…」 「っ…ん、む!!」 頭を押さえつけられて喉の奥を何度も突かれる。慣れてなければえずく所だ。 「俺の中から出たものを、アスちゃんが飲んでくれるなんて…最高だね」 「…んっ…ぅ…ッ!」 何度目かの突きで、喉の奥に直接吐き出される白濁の体液。後頭部を押さえつけられている為、注がれるだけ飲み込むしかない。 嚥下する細い喉。 「ああ、全部飲めたね…偉いよ、アスちゃん」 褒めるように頭を撫でられて自由になった口元を手の甲で拭う偽アスト。 「…あなたって人は…」 少し怒りを含む口調は演技なのか本心なのか、分からない。 次の段階の為に持参した商売道具のオイルローションを開封している偽アストを後ろから抱きしめてシャツの隙間から差し入れた手で胸の小さな突起を玩ぶ善。 「こっちはあまり感じないんだったね」 「ええ…擽ったい程度です、感じるフリなら出来ますが?」 「しなくていいよ、でも…開発したいなぁ」 「簡単にはされませんよ…まあ何回か呼んでもらえたら、その内に感じるようになるかもしれませんけどね」 「指名の取り方が上手いね…」 「ふ、ありがとうございます」 行う事は頼まれたサービス料の分だけ。このアストにとって、善は金払いの良い上客なのだ。 「もう少し身長が低ければ、抱き心地も似るのに…」 「あ、急に抱きつくからオイル零したじゃないですか…抱き心地が気に入らないなら抱きしめないでください…だいたい身長はどうにもならないでしょう」 「フフッ…ごめん、身長の事は禁句だったね」 それは本物に対しても同じ事だ。 「ちょっと…あっ…あちこち触って…手癖の悪い人ですね」 「触りたくなるくらい可愛いアスちゃんが悪いんだよ…それとも、触れるのにも金額がつく?」 「…っ…別に、このくらいなら」 デニムの中に忍び込んだ手は偽アストの中心を包み込んで好き勝手に揉み上げている。その手つきのやらしさは、慣れた男のものだった。適当に動く指は形を確かめながら確実に感じるスポットを探り当てていく。 「反応してくれるの、嬉しいなぁ」 「く…っ、あ…そんなに触られたら、誰だって…」 「ああ、今また硬くなった」 「ふ…っは…早く、使ってください」 ペシ、と避妊具をシーツに投げつけて開封したオイルローションを傍に置く偽アスト。 「はいはい…そんなに急かさないで…すぐに欲しい所にあげるから」 「僕が欲しいのではなく、貴方の方が欲しいんでしょう?」 言いながら膝立ちになってデニムと下着を脛まで下ろして振り向いた顔は拗ねたように不機嫌で、それでも頰には熱が上がっていた。 「そうだね…今はレプリカでもいい…俺は、君が欲しいよ…アスちゃん」 善にとって、目の前で腰を上げて四つん這いになるアストのレプリカは、ままごとの人形と同じ。アストに見立てて、相手が出来れば充分間に合う玩具だ。 本物ならば、死んでも善の前で同じ姿は晒さないだろう。 「…貴方のものですよ、今夜だけはね」 無色無臭のオイルローションが、善の指と、柔らかな蕾をトロリと濡らす。常温なのに、やけに熱く感じる。 「毎晩、買ってあげようか」 「お断りします…体が保ちません」 偽物という認識はある。その上で、本物に見立てて遊ぶ。この大人のままごとはおそらく、異常だ。 円を描いて長い指が蕾を解してゆく。商売道具でもある其処は、力むこともなく素人よりはすんなり指を受け入れる。柔らかくなってきた所で二本目が入ると今度は中を広げるように動きを変えて、その度にローションがグチュ、と音を立てた。ポタポタと垂れた滴がシーツを汚す。 「フッ…こっちは素直すぎて、簡単だね」 「っ…簡単って…嫌がるフリは、必要無いんでしょう?」 「無いよ、こんな緩いクセに嫌がられても…ね?」 「ん、く…むかつく人ですよ、あなたは」 肩越しに振り向く偽アストに睨まれると、やはり善は嬉しそうに笑う。 「その顔、好き」 「…ッ」 突然ストレートな言葉を囁く善に偽アストの体温が上がった。 (ずるい…体は慣れてるけど、言葉は慣れてないのに) 「…すごいね」 「え…あ」 伝うほど内股を濡らすオイルとは別の粘液。覗き込まれてその量が増す。 「これはフリじゃないよね…アスちゃん」 「あっ…くッッ…!」 抜けた指と交代して先程より発情した熱が存分に解れた蕾を押し開く。どうしてもキツさは残るが、抵抗も無くすんなりと受け入れる其所に善はうっとりと見入った。 「俺のがアスちゃんの中に入ってく…このまま、ずっと繋がっていられたらいいのに」 「…はぁ…ぅ、貴方の場合…本気に聞こえて恐いですよ」 「本気で思ってるよ…しないだけ」 「…っふ…ぁ、あ」 きゅ、とシーツを掴んで腰を動かしながら中が傷つかないように奥まで誘導する偽アスト。着実に奥まで入ってくる熱は、またもやむかつくことに誘導するより早く感じる場所を探り当てて突いてくる。 「ココだね、鳴こうか…声、聴かせて」 「ひ…!!」 腰を掴まれて、焦らすように感じる場所をゆっくりと突かれる。オイルの効果もあって中が熱くなっていく。疼く内部に偽アストはハッと甘い吐息と共に唇を開いた。 「…いい感じだね」 「はぁ、あ…ぅん…ッ…僕の中…溶けそうです…熱くて…っ、焦れて」 「うん」 「早く…はやく、つ…突い、て…あ…っあ」 「突いてるよ…ちゃんと当たってるでしょ」 「違っ…そうじゃ、なくて…っ」 「うん?」 自分で動こうとすると腰を押さえつけられて制限される。あくまで焦らして遊んでいる善に偽アストはシーツを引き寄せて踠いた。 「っあぁ…は、嫌…ぁ」 「…可愛い」 「もっと…激しく、して…ください」 「…」 「っく、ぁ…は、激しく…しなさい!」 潤む瞳で懸命に睨みつけると、善の口元が無言で笑う。 (ああ、この人は本当に…遊んでるだけだ…) 生きた人形。それ用のドールと変わらない役目だ。 グン、と抉るように突かれて黒い瞳が揺れる。 「ひっ、ぐ…!!」 「焦らしてごめんね…」 「ぁ…あ、苦し…」 ほんの一瞬、我に返った事への咎め。突きっぱなしにされて呻く偽アスト。 「あれ?奥の方は…まだ不慣れみたいだね」 「はぁ…はぁっ、ぅ…動いて…あ゛ッ…ぁ!」 奥を抉られて喘ぐ声は悲鳴に近い。 「さ、そろそろ終わらせようか」 まるで飽きたように言って優しく笑いながら突き動く善。相手の感じる場所も、して欲しいことも、タイミングも。作業的に、そして的確に攻め立てて追い込んでいく。 「ッア‥いい!そこ…ん、ぁあ」 「…うん、知ってる」 軽く汗をかく程度。乱れる目の前の身体を眺める余裕のある客に、奉仕人が出来る事は、その目を楽しませる事くらいだった。 「はぁ…ぁん、ん…っ」 「いいよ、出して…一緒にイこ」 「く…ぅ‥ん、ぁあ!!」 ぎゅ、と一際強くシーツを掴む手。ビクビク、と痙攣する細い腰と内股。吐き出された白濁は遠慮なくシーツを汚した。ほぼ同時に中でも熱い雄が吐精した感覚がした。避妊具越しなのに、まるで孕まされた様な感覚になる。慣れている筈なのに、ゾク、と背筋が震えた。 「……怒ってる?」 紙袋に入っていた私服に着替えてからもシーツに突っ伏したままの偽アスト。 「…ええ、怒ってますよ…わざと焦らすなんて、あなた鬼ですか」 キッと睨まれて善は肩を竦めた。 「可愛いかったから、つい…」 シーツに身を滑らせて隣に添い寝してくる男に悪びれた様子はない。労りのつもりか腰を撫でられると、偽アストは不機嫌そうに睨んでいた目を逸らした。 「それは良かった…貴方を気持ちよくさせるのが僕の仕事ですから」 「君は優秀だね…それに働き者みたいだ」 「フン、緩くてすみませんね…掘れる穴さえ有れば良い人も居ますから」 言葉も、戯れもなく。ただ挿れるだけの行為。それも珍しくはない。 「お疲れ様、今度は俺が…いい夢見させてあげる」 「…え」 すっぽりと腕の中に抱え込まれて、偽アストは動揺して目を瞬かせた。 「君は君で、可愛いね」 仕事を終えて着替えた奉仕人は、もうアスちゃんではない。 「…ど、うしたんですか?僕は抱き枕じゃないですよ」 「……」 至近距離で微笑まれると改めて善の整った顔を認識させられる。そっと額に口付けされると不思議なことに全身から力が抜けた。 「…このベッド、寝心地良いですね」 「起こしてあげるから、眠っていいよ」 「じゃあ、仮眠だけ…あの、ひとつ聞いても良いですか」 「うん?」 「僕の他にも居るんですか?…偽物は」 「どうだろうね…だけど言ったはずだよ、君は優秀だって」 優秀と言うからには同じ分野で比べる対象が居るのだろう。その姿が、偽アストとは限らないが。 「……」 奉仕人の手が、遠慮がちに善の背に這わされる。いけないと思いながらも、身を預けてしまう。 セットが解けた髪を撫でられて。目蓋が重くなってくる。 「安心して…眠ってる相手には、悪戯したりしないから」 「…したら、お金貰うだけですから」 「しないよ…夢を見ている子の邪魔は、したくないんだ」 「…同類かもしれませんね、僕たち」 「そうだね」 「……また、呼んでください…貴方のリクエストに応えられるように努力しますから」 「…いい子だね、おやすみ」 ライバルの存在をチラつかせ、選ばれたいという競争心を煽り。知らず知らずの内に、気に入られたいと思わせていく。腕の中の体は、間も無く堕ちるだろう。 言う事を聞かせるには、都合が良い操り人形。結局、善はひとりで遊んでいるのだ。 「おやすみ…なさい」 その頃、3階では花結が部屋の前をウロウロしていた。 偽アストを目撃した後、自慢の逃げ足で3階まで駆け上がったのだが。その際に落とし物をしたらしいのだ。キーホルダーに付いていたお気に入りのフィギュア。耳の垂れた侍女風の白ウサギ。乙女ゲームのマスコットキャラクターだ。 「ぁうう…無い」 今にも泣きそうになってしゃがみ込む花結の頭上から人影が差す。視界に入った黒い靴の爪先。ゆっくり顔を上げると階段の非常灯に照らされて、強面が強調された勇大が見下ろしてきてきた。しかも怪訝そうに睨んでいる。ヒィィ!と細い悲鳴をあげて化物でも見たように震えだす花結。 「あんた…こんな時間に何してる」 「あ…あ…梶本氏…でしたか…脅かさないで下さい…」 「こっちの台詞だ、危うく蹴っちまう所だった…早く立ってくれ」 「す、すみません…自分は…落とし物を、探してました…キーホルダーに付けていた、白ウサギのフィギュアです…コンビニを出た時には絶対あったので、たぶんマンションに着いてから落ちたんだと…」 立ち上がりながら説明する花結に、勇大は思い当たったように階段を振り向く。 「白ウサギ?‥ああ、それなら見かけたな」 「え!」 勇大が階段を少し戻って手摺りに挟まっていた白ウサギを摘み上げると、そのまま戻って来る。 「ほら…コイツだろう」 「ほあ!!それです…あ、ありがとうございます」 大事そうに両手で受け取って嬉しそうな花結。 「ところで…あんた、パエリアは好きか」 「…ぱえ?…えっと…イメージは浮かびますが…食べた事は無いので分かりません」 「知らんか…なら試食だ、食べて感想を聞かせてくれ」 花結は勇大から持ち帰り用の簡易パックに詰められた魚介のパエリアを受け取った。まだ温かい。 「美味しそう…」 「メニューには無いが、オーナーから個人的に頼まれてな…試しに作ってみたが、オーナーに出す前に他人の舌の意見を聞きたい」 「…自分、量は食べますけど…グルメでは無いですよ…こんな、素人の試食で大丈夫なんですか」 「ああ、試しに作ったもんだ…思った事を言ってくれれば良い…店の従業員にも試食を頼んである、そう難しく考えるな」 「は…はい、梶本氏の料理は…とても、美味しいので…光栄です」 「光栄?…大袈裟だな」 「あ、ありがたき幸せです」 「…そうか」 やっと部屋に戻れる。そう思ってドアノブに手を掛けた時だった。2人とは別の足音が階段を上がってくる。 「…3-Aか」 「え…たしか留守中では…」 2人でなければ、3階に上がって来る可能性があるのは3-A号室の入居者だ。しかし最近、3-A号室は留守にしている。 夜中の訪問者は不自然だ。 「心当たりが無いなら、あんたは部屋に入ってろ…例の妙な手紙の件もある」 「は、はい」 言われた通りに部屋に入る花結。そして万が一に備えて護身になりそうなものを探す。 部屋を見回して、パエリアと持ち替えた花結の護身用の武器は、ハンディモップだった。 ハンディモップ片手にそっとドアを開いて様子を伺うと、階段を上がって来たのは笑武が駐輪場で見かけた怪しい中年の男。 「誰だ、あんた」 「!!」 勇大と対峙して中年の男はすぐに逃げようとした。人がいた事は予想外だったのだろう。しかも鉢合わせたのが勇大だ。凄い慌てぶりで踵を返す。 「待て!」 勇大の手が、中年の男のジャンパーを掴んだ。 「ぁ……か、梶本氏…っ」 小太りの中年男が全力で抵抗して暴れた為、大柄の勇大でも軽く突き離された。それを見た花結はドアから腕を伸ばしてハンディモップで中年男の腕をバシバシと叩く。無論まったくダメージにはなっていない。埃が舞ったくらいだ。中年の男は少し怯んだようだが、ハンディモップを花結から取り上げると通路に投げ捨てる。そして今度こそ階段を飛び降りる勢いで駆け下りて逃げていった。 「…おい、大丈夫か」 「は、はい…自分は無事です」 ハンディモップを拾って花結に返すと、念の為階段の方を確認する勇大。もう中年男の姿は見えなかった。 「誰だったんだ…」 「自分の知り合いでは無いです…たぶん」 「…3階に用があったのかは知らんが、あんたも夜中1人で出歩く事が多いなら気を付けろ」 「は…はい…あれが、手紙を入れた犯人…でしょうか」 「どうだかな…確か、姫が何とか」 「…姫」 互いに目が合い、すぐに逸らす。 (細っこいが…姫と言うより…それこそ白ウサギだ、違うとは思うが) (…も、もしや梶本氏が姫?…手紙の主は、ガチムチ系が好み…?) 夜の騒動。 冷え込む気温。ただひとりの姫を追い求めて、手紙の主は寒空の下を彷徨う。

ともだちにシェアしよう!