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第20話 Merry Xmas①※

クリスマスイブの文字を消したカレンダー。中学一年生だった沙希は毎年自分の誕生日を楽しみにしていた。いつも大きな兄達の背中を追いかける事しか出来ない自分が主役になれる数少ない機会なのだ。 その年は雪が散らつき、ホワイトクリスマスイブだった。 当日。いつもより早起きをして2階にある自室からホテルのような広い階段を駆け下りる沙希。沙希の実家は有名なデザイナーが設計したデザイナーズハウス。ビルトインガレージや中庭付きの豪邸だ。主に母親の好みを取り入れて夫婦の寝室にはミニキッチン、リビングにはホームシアターと内装にもこだわりが多い。来客が最初に入る玄関のイメージはホテルラウンジ。大理石の柱が視界に飛び込んでくるので来る者を感嘆させる。沙希の部屋もHeimWaldの部屋より数倍は広かった。 『おめでとう!』 階段を降りきるとフライング気味に聴こえた母親からの祝福に満面の笑みを浮かべる。しかし、その「おめでとう」は沙希に向けられたものではなかった。 『大した事じゃないよ』 『そんな事ないわ…忘年会のくじ引きで旅行券が当たるなんて、とても運がいい事よ』 『俺は普段から出張で飛び回ってるから、母さん達で使って』 『嬉しい、貴方は最高のサンタクロースね』 前日の忘年会から朝帰りした長男が引き当てたくじの特賞を持ち帰り、母親にプレゼントしている。年が離れているため、長男は既に成人済みだ。若手だが大手企業に就職している為、稼ぎも良い。 『それとは別に…これは本当のクリスマスプレゼント』 『きゃー嬉しい!ママの好きなブランドの最新作じゃない』 沙希の母親はハイブランド好きである。受け取った最新作の赤いバッグを至極嬉しそうに見ていた。 『メリークリスマス母さん』 『ありがとう…今夜は家に居られるの?』 『ごめん、彼女と約束が』 『あら、ずるい!今夜はみんなデートなのね…ママもパパとデートに行こうかしら』 『え?沙希の誕生日は?毎年、家で祝ってたのに』 『あの子、もう中学生よ…お誕生日パーティしてもらって喜ぶ年じゃないわ』 『クリスマスパーティは?』 『いつも一緒でしょ?あの子ったら予定日に遅刻してイブに生まれてくるんだもの』 クスクスと笑う母親。兄は「そっか」と簡単に納得して会話が流れていった。沙希は1人、駆け下りた階段を重い足取りで戻って行く。 それでも微かな期待を捨てきれずに、夕方両親の所へ行くとすっかりドレスアップした母が時間に追われて髪をセットしていた。当日キャンセル分で良いレストランの予約が取れたようだ。 『沙希』 『あ…父さん』 『父さんと母さん、今夜は遅くなる…良い子で留守番してるんだぞ、冬休みだからとだらけるなよ』 『俺、今日…』 『冷蔵庫に食事入ってるから食べてね、それにケーキがあるわよぉ、愛してるわ…メリークリスマス』 ちゅ、と沙希の頬に口づけて父親と共に急ぎ足で出かけていく母親。ガチャ、と玄関の鍵の掛かる音がした。 『……ケーキ』 沙希は空腹を満たそうと言われた通り冷蔵庫を開ける。中には「Merry Xmas」と書かれたクリスマスケーキと1人分の食事。欲しかった言葉は、クリスマスに掻き消された。 酷く気分の悪い目覚め。沙希はベッドから起き上がってスマホで時刻を確認する。アラームが鳴る予定より1時間も早い。それでももう一度、寝る気にはなれず沙希はちょうどゴミ出しの日だと気付いて可燃ゴミの袋を手に部屋を出た。 「…え」 「さ、沙希くん…?!お早うございます、今日は早起きなんですね」 ゴミ出しを終えて部屋に戻ろうとした所で、何処からか帰宅した朔未が珍しく早起きの沙希に驚いて立ち止まる。 「朔未じゃん…お前こそ、朝帰り?」 「え…ええ、この時期はお付き合いで」 「あー…忘年会的なやつ?」 「そんな所です」 「ふーん、お前もオールで飲んだりするんだな…意外」 「ふふっ、こんな時くらいですよ…沙希くんは、職場のお付き合い予定は無いんですか?」 「集まりは無いけど店長が仕事終わった後、ゴハン連れてってくれるらしい」 「それは楽しみですね、たくさん労ってもらってください」 「うちの店、俺と店長以外のスタッフが、みんなカップルだからさ…クリスマスとか正月は揃って希望休取んの…それで店長が寂しがって、独り身同士の慰労会するぞーって」 「ふふっ、それじゃあクリスマスはお仕事組ですね、俺も同じくです」 「俺なんかクリスマスから年末まで休み無いし、仕事納めは大晦日…元旦はビズ自体が休みだから休めるけど、たぶん疲れて1日寝てる」 「皆さん忙しい月ですね…あ!クリスマスと言えば沙希くんのお誕生日もありますね、それじゃあクリスマス会と忘年会と沙希くんの誕生日会をまとめて…」 「それはマジで勘弁」 「え?」 「ごめん、だってさ…俺、まだ誕生日祝ってもらえる程、全員と仲良い訳じゃないし」 「でも…だからこそ、良い機会になると」 「俺の誕生日もやるなら、行かねぇから」 「……分かりました、沙希くんの誕生日は個人でお祝いする事にしますね」 強い拒否反応に朔未は早めに引き下がった。ゴミを狙うカラスが電柱の上からガァガァと鳴き声をあげている。それを見上げた朔未が、目眩を起こして足をよろけさせた。咄嗟に沙希が抱き留める。 「ちょ、どうしたんだよ」 「すみません…急に上を見たら、目が眩んでしまって…きっと寝不足のせいですね」 「慣れないオールするからじゃん…歩ける?部屋まで肩貸すし」 「ありがとうございます」 幸い朔未の部屋は1階の角部屋だ。正面玄関からは1番近い。沙希は朔未に肩を貸してゆっくり部屋の方へと足を進める。 「もしかして酒飲んだ?残ってるなら水とか飲んだ方がいーよ」 「ええ…本当に、慣れない事はするもんじゃありませんね…ふふっ、面白いくらい目が回ります」 「それ笑い事じゃねぇから!」 「今日は休みなので、1日倒れていても大丈夫なんです」 「誰か付き添ってくれるヤツいねぇの?蓮牙とか透流とか」 「…それはマジで勘弁です」 先ほどの沙希の言葉を返す朔未。 「でも…フラフラじゃん」 「だからです、こんなみっともない姿…元彼や後輩に見せられないでしょう?」 「それは、分かるけどさ…部屋ついた、鍵出して」 「……」 「朔未?」 「すみません…目が回りすぎて気持ち悪くなってきました」 「ほら、やっぱ誰か付いてた方がいいって!」 「寝ていれば治りますから」 朔未は自嘲の笑みを浮かべて部屋の鍵を取り出すと解錠した。 「…なぁ、ホントに1人で大丈夫かよ」 「ええ、もしどうしても駄目そうな時は透流くんを呼びますね…彼には一方的に合鍵を押しつけてありますから…起きられなくても助けてもらえます」 「…それならいいけど」 「だから心配しないでください、ありがとうございました」 壁に手を付きながら部屋に入る朔未を見送って2階への階段を上がる沙希。自分の部屋の鍵をじっと見つめる。 「……合鍵、か」 バサ、という羽音と共に先程のカラスが飛び立っていった。 ひらり、と腿までめくれる赤いスカート。スマホの液晶画面の中でサンタガールの衣装を着ているのは綺麗めのセクシー男優だ。誘うように真っ白なシーツに寝そべっている。シミュレーションタイプの映像。 時々「もう大きくしてるんですか?」と敬語の煽り文句がイヤホン越しに聴こえる。 その画面を見つめて大きな目を細めるアスト。彼の目に、セクシー男優は映っていない。代わりに脳内で差し替えられた朔未が映っているのだ。敬語の作品を選んだのも、イメージの入り易さからだった。 (美しいです、朔未さん…) 愛おしそうに架空の朔未を呼ぶ声。 「似合ってますか?もうすぐクリスマスだから着てみたんです」 (貴方は何を着ても、似合います…) 声さえも脳内では朔未に変換される。映像の中の朔未は立ち上がってゆっくりと安っぽいサンタガールの衣装を脱ぎ始めた。背中のマジックテープで簡単に着脱できるワンピース仕様の為、袖を抜けば後は一気に足下に落ちる。おまけ程度のコスプレは早々に終われて本番のランジェリー衣装がお目見えした。赤い総レースのガーター付きショーツに黒のストッキング。白いファーのカフス。ブラジャーの代わりに赤色の透けるベビードールを着けている。その装飾がアップで順に映し出されて行く。透けているため常にモザイク処理されたショーツの膨らみが特に過激だ。 「これも似合ってますか?」 「っ」 シーツに足を開いたまま膝を着いて上目遣いに見つめてくる男優に重なる朔未の姿。 「貴方も、脱いでください」 (いけないと思うのに、どうしても朔未さんを想像してしまう…僕は、最低だ) おそらくカメラマンを兼ねている別の男優の勃起した性器が画面下から現れて、それに手を添えて上目遣いのまま嬉しそうに咥える朔未。アストは今度は自身をカメラマンへ脳内変換して下腹部へと手を忍ばせた。 「ん、ん…」 口いっぱいに男のモノを咥えていても苦しそうな表情を見せないプロの仕業。細い指が竿を擦ったり脚の付け根や睾丸を揉んだりと常に慣れた手つきで愛撫している。その動きを真似て自身がされている様に感じるアスト。 (はぁ…朔未さんの口の中に、僕のが) 普段、会話している時の朔未の唇を思い出すと余計に熱が上がる。 「ガマン汁、美味しいです」 うっとりと先端を舐め回す朔未の幻影に煽られてアストは眉を寄せた。 (いけません…そんな) 「あれ?先っぽ擽られるの好きなんですか?」 こちょこちょと先端を指先で擽って悪戯な笑みを浮かべるシーンでは。朔未の「ふふっ」という笑い声も勝手に再生された。 (ぁ…貴方になら、何をされても感じてしまいそうです) 「んー…んっ」 奉仕している側も気分が乗ってモザイク越しでも赤いレースの中で雄が勃ち上がっているのが分かる。 (なんて…やらしい) 本当は触れたい。しかしどんなに精巧でも映像は観る事しか出来ない。そんな気持ちを弄ぶ様にカメラマンの視点は時折、今にもはみ出しそうなレースのモザイクにズームアップして行く。 「んっ、んっ、んっ」 くちゅ、じゅ、と唾液と男の汁が溶け合い滑る音。その音に合わせてアストも自身を慰める手を速めた。息遣いも荒くなって行く。 (っあぁ、朔未さん……僕、は……) 「んぁ、ん!」 「く!!」 ドクドクと血管が張り限界を迎えたカメラマンが、俳優の顔面に吐精した。わざわざ竿を振って顔全体に浴びせている。俳優の方も口を開けて舌を突き出し、浴びせてくれとばかりに顔を上げて応えた。同じタイミングでティッシュを当てて達するアスト。 「わぁ、いっぱい出ましたね」 (朔未さんの、顔を…汚すなんて) ぽたぽたと頰から滴る白い粘液は赤いランジェリーを雪の様に汚した。口元に掛かった分は舌で舐め取り口の中をカメラに見せつけてから飲み込む脳裏の朔未。カメラマンの手が伸びて汚れた赤いランジェリーを脱がしに掛かる所でアストは映像を閉じた。そしてゆっくり目を閉じて溜息を吐く。 「朔未さんを汚したいなんて、僕は何を考えてるんだ…痴がましい」 アストは自分が朔未に振り向いてもらえるとは思っていない。朔未の元恋人は蓮牙だ。自分とは何もかも真逆と言っても良いタイプの彼が朔未の心を射止めたのなら、自分の方には可能性が無いのだとどこか冷静に悟っている。だが、朔未が誰かに辱められている姿など想像もしたく無い。アストにとって朔未の清純さは色恋抜きで、ただ護りたいものなのだ。 『サクラちゃーん♡』 昨晩の客は店に来た時点で、既に酔っ払っており酷い臭気を放っていた。テーブルの下で衣装であるスカートの中に無理やり手を突っ込んでくる迷惑客で、普段よりも気疲れしてしまった。 (年末のお店が、こんなに忙しいなんて…) 初めての繁忙期に目が回る。ぐるぐると回って世界が逆さまになった。 意識が現実に戻り、目を開けると天井がぐらりと回った。起き上がろうとしたが頭がふらついて無理だ。朔未は不鮮明で揺れる視界の中、必死に意識を保とうとした。また夢へと引き戻されるのだけは嫌だ、麻痺する思考の中でその嫌悪感だけは感じ取れる。 「……夢?」 「っと……お目覚め?」 意識の混濁を払拭する気怠げな声。あまりにも親しみのあるその声に朔未は定まらない視線を動かして声の主を探した。 「…透流くん?」 「今朝ゴミ出しに行こうとしたら、部屋の前で沙希君に会ってね…サクミンが忘年会で飲み過ぎて気分悪そうだから見て来てやってって言われてさ」 「…俺、どうなってました?」 「廊下で倒れてたから驚いたよ、吐いた物でも詰まらせたのかと思った…慌ててたから1回土足で上がったのは大目に見てもらえる?」 「すみません、ベッドまで辿り着けなくて」 「コートはハンガーに掛けといたよ、眼鏡はキャビネットの上」 「ありがとうございます…透流くん、どこですか」 探すように手を伸ばすとベッドの横に居た透流がその手を繋いで優しく掛布の中に戻す。 「ははっ、眼鏡掛けてないと見えない?大丈夫…すぐ側に居るよ」 「目が回って…酔いそうなんです」 「酔ってるから回ってるんだけどね」 「……ふふっ、そうでした」 「俺がコッチにいる日で良かったよ…沙希君にも感謝しないとね」 「はい…大丈夫と言ったんですが、きっと大丈夫に見えなくて心配してくれたんですね」 「うん、誰が見ても大丈夫には見えないね…疲れた顔しちゃって…暖房勝手に付けたよ、あと必要な事あったら言って…しばらく付いてるから」 少し開いていたカーテンを閉じ直す透流。その気配だけで朔未は安心感を得た。 「…こんな所、お見せしてすみません」 「うん?サクミンの失態は割と見慣れてるから今更気にする事ないよ」 「そうですね…透流くんにはいつも助けられてばかりです」 「葵君に付き纏ってたおじさんは退治したでしょ、まだ眠れてない?」 「いえ、ただ今月は仕事が忙しくて」 日に日に増して行く朔未の疲労感。声にも溜息が混じる事が多く、話しかけても反応が薄い。いくら仕事の繁忙期とはいえ度が過ぎている。 「それだけかねぇ…」 「…透流くん、小さい頃の夢って覚えてますか」 「俺は物心ついた時から親の背中追っかけてるから」 「俺、サンタクロースになりたかったんですよ…ふふっ、子供なのに」 「まあ分からんでもないけどね、サクミンは人を喜ばせるのが好きだから」 「でも、もし欲しい物にお金って書かれたら…さすがのサンタクロースも破産しちゃいません?」 「ははっ、家とか、車とか…」 「ええ、だから諦めました…夢を叶えるのって難しいですね」 「フッ、いいんでない?代わりに、いつかカフェを開いてオリジナルブレンドコーヒーを作りたいっていう夢が見つかったんだから」 「…はい…でも、その夢も、もう」 朔未は目を伏せて消え入りそうな声で答えた。 「サクミン?」 「なんでもありません…」 「…さてと、サクミンの部屋はちょっとしたライブラリーだからね、何か読んでようかな」 「新刊は右側の棚です…あ、暗かったらスタンドライト使ってくださいね」 壁一面が本棚になっている朔未の部屋。入りきらなかった分は別の壁に階段のように置いてある木製のキューブボックスに詰められている。巻数順に並べられ、ほぼ全てにブックカバーが掛けられている所は朔未の几帳面な性格を表しているようだ。 「しかし役に立っちゃうもんだねぇ、合鍵」 「無理やり預けておいて正解でした」 「俺で良かったの?預ける相手」 「え?」 「蓮牙の事、本当はまだ好きなんでないの?」 「そんな事聞くなんて透流くんらしくないですね」 「ははっ…そうだねぇ、他人様の恋沙汰には興味ないんだけど…あまりにも急に別れましたの事後報告貰っちゃったから、これでも一応…心配してるつもりなんだけどね」 「……好きですよ」 「うん」 「でも、俺にはもう…彼と付き合う資格は無いんです」 「ほお…あの剽軽者と付き合うのに資格が必要とは知らなかった…いんや、絶対要らないね」 「ふふっ…透流くん、蓮牙くんの事は容赦なく言いますよね…俺はもう彼の好きな朔未じゃないんですよ…こう見えて、変わったんです」 「……」 眼鏡を正して朔未の事を凝視する透流。間違い探しでもしているようだ。 「探しても見つかりませんよ、見た目じゃないですから」 「…君らの開くカフェに行くの、楽しみにしてたんだけどね…割と本気で」 「!」 自分のカフェを開く。その夢は朔未と蓮牙の共通点だ。付き合っていた頃はいつか2人で店を開こうと将来の理想を語り合ったりもした。その時間は幸せで、尊く、朔未は思い出して息を詰まらせる。 「…サクミン」 「酷いです、透流くん…こんな状態の時に、そんな事言わないで下さい」 「だね、ごめん」 「着替えだけ済ませます…」 「まだ起きない方がいいよ、俺が取ってくるから寝てなさいな」 「…そこの引き出しに部屋着があるので取ってください」 「りょーかい」 指をさされた先の収納スペースの引き出し。透流が手を掛けた瞬間にハッと目を見開きベッドから飛び起きる朔未。 「待っ…だめ!」 「え?」 引き出した中には部屋着ではなく、明らかに女性物の私服が入っていた。引き出しは二段。部屋着は下段に入っている。しかし透流が開けたのは上段。サクラ用の服が入っている場所だったのだ。 「すみません…そこは母の服が入ってるんです」 「ああ、そう…それは失礼」 玲司の所と違って、朔未の母親が来ている所は見たことも聞いたことも無い。そして幼なじみの透流は朔未の母親の趣味も何となく知っているが、引き出しに入っているような露出の高いデザインを好むタイプでは無い。透流と目を合わせないように朔未は結局、自分で部屋着を取り出した。 「俺の言葉不足でした、大きな声を出してしまってすみません」 「……」 「……あの、着替えまで見てるつもりですか?」 部屋着を抱えて困り顔の朔未。透流はクスッと笑って背を向けた。 「見ても何とも思わないけどね…じゃあ廊下にいるから、着替え終わったら声かけて」 「はい」 一度廊下へと退出した透流は玄関の横にある靴箱を静かに開けた。隠すように奥に入れられたヒール付きのパンプス。一見、女性ものだがサイズは女性にしてはやや大きい。 (…何があって、どういう事になってるんだか) 靴箱を閉めて、溜息を吐く透流。 クリスマスまではまだ半月以上あるが、当日が近くなるにつれ忙しさも増していくlibertà。その為、HeimWaldのクリスマス兼忘年会は早めに行われるのが恒例だ。 笑武の歓迎会の時とは違い、この時期は都合を付けられる住人が少ない。グループテーブル席で足りる為、料理もオードブル以外は個別に用意されていた。 「「梶本のおじちゃーん!」」 「…む、来たのか」 HeimWaldの住人以外にも、今年は迅地と美鈴が来ている。玲司の所に来ていたのを連れてきたようだ。勇大が珍しく厨房を出て2人の相手をしている。 「悪いな、コイツらまで連れて来ちまって」 「構わん、クリスマスは子供が1番楽しむもんだろう」 「でっかいクリスマスツリーだ!すっげー!」 「迅!触るんじゃねぇぞ」 「梶本のおじちゃん、サンタさんに会ったことある?」 「いや、無い…寝てる間に来るらしくてな」 天使のような子供達にキュンと胸を鳴らす笑武と律紀。 「2人ともはしゃいでる、可愛いなぁ」 「ホントね、なんて可愛いのかしら、母性が疼くわ」 ((母性…?)) 律紀の言葉に疑問を抱く一同。しかし突っ込む者は居なかった。 「朔未さんが急に来れなくなってしまったのが残念です」 「この時期だし、この時間だし、ひょっとしてデートかしらぁ」 「な!デ、デート…?!」 「夜の急用がデートとは限らないですよ、この時期はお付き合いも多いだろうし」 「そ、そうですよね!コホン…とにかく!全員揃ったのでクリスマス、そして忘年会を始めましょう」 「梶本さんを入れて6人と、迅地君、美鈴ちゃんか…今日は蓮牙さんも居ないし、みんな忙しいのかな」 「それだと俺たちヒマみたいじゃん!」 「あはは…そんな事ないよ、仕事帰りの人も多いし、みんなお疲れ様!」 「勇大君、今日は料理のおかわり気にする必要ないんだから一緒に食べましょうよ」 「いや、俺は客じゃねぇからな…」 「細かいことは気にしない!いらっしゃいな!」 律紀に煽られて勇大は渋々と同席した。 「「いただきます」」 子供達は嬉しそうに早速2人でピザを分けている。 「子供らの分は奢りだ…俺はプレゼントは用意して無いからな、代わりにしてくれ」 「分かりました、梶本さんが良いと言うならそれで計算します」 「梶本、ありがとな」 「ありがとう!梶本のおじちゃん!」 「美鈴、おじちゃんの料理大好き」 「…そうか、いっぱい食ってでかくなれよ」 「んふふ、勇大君ってばいつもカチカチの頰が緩んでるわよー」 「揶揄うな」 「梶本さんと律紀さんって普段からよく交流あるんですか」 「そうね、勇大君にしてはある方よね」 「…階が同じだからな、あと年も近い」 「ちょっとちょっと!年のことは言わないで!」 シーっと人差し指を立てている律紀。年齢を気にしているらしい。 「…そうか、だが別に隠すほど年くってねぇだろ」 「でもヴァルトでは年長さんだもの、乙女心は繊細なのよ!」 ((乙女?)) またしても疑問を抱く一同。 「玲司兄ちゃん、お正月はお家に帰ってくる?」 「ああ、いつも通りな」 「「やったー!」」 「玲司のとこは正月、賑やかそうだよな」 「今年は爽太も産まれたしな…遠方からも親戚が集まるから賑やかどころじゃねぇぞ」 「お祭りみたいだよ」 「お年玉が楽しみだぜ!」 「そっか、じゃあ玲司さん年越しはヴァルトに居ないんだ…」 「どうした笑武、寂しいか?」 「えっ、あはは…俺は帰らないから、お正月どうしようかなーって」 「はいはい!年越し蕎麦作って!俺とぐうたらしよ!」 挙手する沙希。 「また蕎麦作り?でも、楽しそうだね…そうしようかな」 「俺、笑武の作る蕎麦好きだし」 「私はパパと登山よ、初日の出を見に行くの!晴れるといいけど」 「良いですね、登山…僕も山は好きです、と言っても年に数回登るくらいですが」 「ノン!か弱い私が夜の山道を登れる訳ないじゃない、もちろんロープウェイよ!年越しは夜中も動いてるの」 「ロ、ロープウェイ?それは登山と言うのですか」 「うふっ、一応山は登るじゃない?夜景も綺麗よ」 「正月より先にクリスマスだよ!俺、サンタにゲームソフト頼んでるんだ!」 「美鈴は笑武兄ちゃんとお揃いのクマのクッション…」 ポッと頰を赤らめる美鈴に玲司が複雑そうに苦笑する。 「美鈴ちゃんアレ気に入ったんだね…確かオフィシャルストアに売ってたよ」 「サンタさん、ちゃんと黄色の買ってきてくれるかな」 「大丈夫、美鈴ちゃん良い子だから伝わってるよ」 「美鈴は笑武兄ちゃんが好きだから同じ色のが欲しいんだよな!」 「ふええ!」 遠慮のない迅地に美鈴は驚いて真っ赤になった。しかし笑武はあくまで、お兄ちゃんみたいに好きだと言われたと思っているようだ。ニコニコと笑って嬉しそうに応えている。 「俺も美鈴ちゃん好きだよ、俺にも美鈴ちゃんみたいな妹が居たら良いのに」 「あはっ、にっぶいの…玲司にど突かれても知らねぇから」 「え?何?え?」 横から沙希に頰をつつかれてキョトンとする笑武。 「ねえ!プレゼント交換しましょうよ!今年は善ちゃんが居ないから平等ね」 「ええ、今後あの人には予算を桁まで正確に伝える事にします」 (善さん…感覚が桁違いだったんだね) 「あはっ、俺のやつ笑武に当たるといいな!一緒に遊べんの」 「沙希さんのはゲームセンターの袋に入ってるから、何となく察してたよ」 「ちゃんと予算内で取れたし!」 「ハーイ!リッキーお手製のくじ箱よ!私が1番、アストちゃん2番ね、沙希ちゃんは3番、笑武ちゃんが4番、玲司ちゃんは5番!引いた番号の人のプレゼントが貰えるって仕組みなの、自分の番号を引いたら箱に戻してね!」 「わぁ、すごい箱…楽しそう!」 くじ箱は律紀がこだわって作ったらしく市販のものにわざわざHeimWaldの文字プレートや森をイメージした緑のペイント装飾を施してある。 「これからも色々使えるように気合い入れて作ったの」 「引く順番は?」 「オレも引きたい!」 迅地がくじに興味を引かれたようだ。 「じゃあ俺の分は迅に引いてもらうとするか」 「迅地兄ちゃん頑張ってね、1等引いてね」 クジの仕様を勘違いしている子供達。 「それなら、玲司からで良いでしょう…元々少ないですが、引けるクジの枚数が多い方が子供達も楽しいでしょうし」 「意義なし!それじゃ迅地ちゃん、頑張って引いてね」 「5番だったら箱に戻せよ」 箱を傾けて迅地にクジを引かせる律紀。ゴソゴソとよく掻き混ぜて引いたクジ。 「やったー!1等だ!」 「すごーい!」 「1番な」 1の数字に大喜びの迅地。微笑ましい。 「はーい♡1等賞よ」 律紀がクリスマス用のラッピングをされた赤い箱を迅地に手渡した。その間に笑武もクジを引く。 「あ…3番」 「あっは!マジで俺の引くじゃん」 話していた通りの展開に沙希が嬉しそうに笑う。 「それで沙希さん、何をくれるの?」 「ミニホッケー!ちょー指疲れそうなやつ!」 「あはは、よく取れたね…年越しはこれで遊ぼうか」 「それ最高」 沙希がクジを引いている間に律紀のプレゼントを開封した迅地は固まっていた。出て来たのは子供達にはまだ必要のないサウナスーツだったのだ。 「それ良いのよぉ、すっごい発汗作用!お肌つるつるになるんだから!」 「ああ、お袋行きだな」 サウナスーツは最近ダイエットに励んでいる玲司達の母親に回される事になりそうだ。 「俺2番なんだけど」 「ああ、それは良かった…貴方にピッタリですよ」 アストはラッピングされた6号鉢の観葉植物を出して来た。ドラセナという札が立っている。 「ドラセナ?」 「幸福を招くと言われる植物です、初心者でも育てやすいですよ…これで少しは良い運気を招いてください…貴方が招くものと言ったらいつも面倒事ばかりですからね」 「何か嫌味っぽいけど…ありがと、飾る」 「僕は5番です、と言うことは律紀さんが4番ですね」 「笑武ちゃんのプレゼントね!何かしら?楽しみだわ!」 「律紀さんなら、喜んでもらえそうです」 笑武はサンタ柄のラッピング袋を律紀に渡した。 「玲司のは貰う前に分かりますね、なぜショッピングモールで働いているのに職場以外で買おうとしないんです」 「俺の職場は別館だぞ、ペットショップとホームセンターしかねぇよ」 「動物病院もあるじゃん」 「本館と隣接してるでしょう!」 見覚えのあるペットショップの包みを見てアストは溜息を吐く。 「やだ!これって…可愛い~~♡」 「色々迷ったんですけど、結局無難な物にしちゃって」 笑武の用意したプレゼントは調味料入れと小皿のセットだった。誰に当たっても良いようにシンプルな白色単色の物を選んである。 「さっそく使わせてもらうわね」 「沙希さんに当たったらどうしようかと思ったよ…」 「え?確かに使わないけど…なんとなく飾るし!」 アストは可愛らしいパグの卓上カレンダーと蓋付きマグカップを真顔で見つめている。 「既視感しかありませんね」 「去年は柴だったろ、今年はパグだ」 「犬種が違うだけじゃ無いですか!何でまた僕に当たるんです!」 「知るかよ、お前が自分で引いたんだろ」 「玲司兄ちゃんにプレゼント買ってもらうときは、何が欲しいか言ったほうがいいよ」 「うんうん!じゃないと全部それになるぞ!」 どうやら経験済みの弟達。 「何でも良い、が一番困るんだよ」 「あら、プレゼントとかお土産って選ぶのって楽しいじゃない?」 「気持ちが1番、嬉しいですよね」 「笑武君の言う通りですね、まあ…僕も犬は好きですし、どちらも使わせてもらいますよ」 そんな和気藹々としたやり取りを勇大は無言で見守っていた。 「勇大君、なぁに?嬉しそうね」 「一時はどうなる事かと思ったが…お前さん達がこうして笑い合えるようになって良かったと思ってな…これで暫くは安泰、と願いたいもんだ」 笑武が越して来る前には関係が悪かったと聞く沙希とアスト。今も仲が良いとまでは言えないが、それでも会話を交わし、交流を重ねて、関係は改善されている。 「そう次々とトラブルが起きては困りますよ」 「ふふっ、そうね」 クリスマスまで、あともう少し。一時の安泰。 願いは、冬の厚い雲に阻まれて天に届く事はなかった。

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