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第21話 Merry Xmas②※
(どうして…こんな事に)
顎のラインで結んだ内巻きツインテールのフルウィッグは地毛の色に近い。店で習ったナチュラルなメイク。メガネはコンタクトに変えた。今の自分は朔未ではなくサクラだ。そう言い聞かせて男性客の好みに合わせた膝丈の白いワンピースに濃桃色のポンチョコートと可愛らしい装いで出かけたのは数時間前。今日は本来ならばHeimWaldのクリスマス兼、忘年会だった。それなのに、今自分の居る場所は男性客と行く予定だった店でもなく、libertàでもない。全く予定外の場所。
ピンクの壁がメルヘンな雰囲気を作り出すラブホテルの一室。薔薇の花びらが撒かれた天蓋付きベッド。ガラス張りのジャグジーバス。展望ラウンジまで付いて居てまるでお姫様の寝室のようだ。
異世界にでも引き込まれたようで目眩がしてくる。辿々しく歩いて部屋の中央に立ち尽くす朔未。その細い体を後ろから優しく抱きしめる腕。
「それじゃ休憩しようか、サクラちゃん」
この場所での休憩の意味を知らない朔未ではない。自分に絡む腕に手を添えて抱き締めて来た人物を見上げながら振り返る。
「正気ですか…」
驚き見開いた瞳に映るのは見慣れているのに初めて見るような、夜の顔をした善だった。
遡る事、数時間前。朔未は男性客から急な呼び出しを受けてHeimWaldのクリスマス会を欠席した。急いでいた為、マンションからサクラの格好をして人目につかないようタクシーで待ち合わせの場所まで向かう。男性客は店では紳士的で、外で会っても良いと思える数少ない客の1人。今思えばその先入観で油断して居たのだと思う。いつものように食事だけ。その筈だった。しかし、待ち合わせに現れた男性客は囁いたのだ。
『サクラちゃん、今日は枕しよう』と。枕、つまり体で客を繋ぎ止める行為だ。朔未は勿論、断った。それが男性客を一変させるスイッチとなり、気づいた時には首を絞められYESを迫られていたのだ。
夜の霧ノ堀という場所は、喧嘩など珍しくもない。道ゆく人は哀れみの視線だけ寄越して通り過ぎて行く。霞む視界の中で、ぼんやりと浮かぶ蓮牙のシルエット。
(……蓮牙くん)
「夕!よせ!関わるな!」
誰かの止める声が聴こえてから数秒。男性客の後ろから肩を引いて助けに入った人物の高そうな黒いコートが翻ったのが見えた瞬間、呼吸が取り戻される。
「!!」
「…気をつけてって、言ったのにな」
後ろ姿でもすぐにその黒いコートの人物が善である事は認識できた。霧ノ堀特有のレトロな通りと誘惑的な看板の光を背景にゆっくり振り返ったその端麗な顔にいつもの優しい笑みは無い。寧ろ見た事もない蔑むような表情をしている。目が合った瞬間、朔未はゾクッと身震いした。
「……ぜ、んくん」
名前を呼んでしまい朔未は口元に両手を当てて青ざめる。まだ朔未である事がバレているとは限らない。目が合っただけ。現実逃避するように朔未は自分に言い聞かせた。
「ちょっと何ですか…その子は俺の!」
「俺の何?サクラちゃんは…俺のだよ」
「え?サクラちゃん、ホスト通いしてたの?だってお金に困ってるって…何だよ!ホストに貢ぐ金かよ!ふざけるな!」
善がホストである事は格好で分かる。男性客は怒り任せに吐き捨てて何かブツブツ呟きながら立ち去って行った。
「夕!揉め事に突っ込んで行くんじゃねぇよ、自分でそう言ってただろ」
「ごめん、皇…でもさすがに人が首絞められてるのを無視は出来ないよ」
「自分の首も絞める気か」
「上手く追い払えたから…今回だけ許して」
「先に行くぜ、俺は巻き込まれたくないからな」
重量感のある白いファーコートを揺らして一足先にrosierに向かう皇。
「さて…と、大丈夫?サクラちゃん」
「え…」
「君はサクラちゃん、だよね?」
「…あ、あの…え?」
バレていないのかと思ったが冷静に考えれば、そんなわけが無い。善は分かっていて、あくまでもサクラに接しているのだ。
「それとも、別の誰か?」
善は名刺ケースから自分の名刺を取り出して初めての自己紹介のように差し出した。
「…サクラです」
善を真似て朔未もサクラの名刺を震える手で取り出すと名刺を交換する。互いに知っているのに何をしているのだろう、そんな事を考えていた。
「どうしてあんな事に?」
「あ!す、すみません…先程は危ない所をありがとうございました」
「うん…だから聞いてる、どうしてあんな事になったの」
「…いきなり、枕に誘われて…俺の断り方が悪かったのかもしれません」
「アフターにしては早いよね、店前同伴?」
「いえ、違います…今日はお休みで…営業外で会っていました」
「…なぜ」
「それは…ずっと連絡が止まらなくて…いつも高いお酒を頼んでくれる方ですし、断るのは失礼かと」
「彼は君の彼氏?…誘って外で会えるなら、ゲストはわざわざ店に来なくなるよ」
「でも…いつもは食事だけだったんです、だから良いお客様だと思って」
「いつも?…危ないよ、そんな接客してると相手が自分は客以上だと錯覚する」
「っ…そう、ですよね…俺の考えが甘かったです、すみません」
例えば足元を掬われて本気の恋に落ちたのなら、客が客以上になる事もあるのかも知れない。しかし朔未はそうではない、ただ誘いを断り続ける事を申し訳ないと思いプライベートな時間を多く提供しすぎている。この時間は店や自分の売上には繋がらない。それ所か客足を遠退ける事もある。そして味を占めた客は『外で会おう』とする悪循環を生む。デートから店に誘導する狙いで会うこともあるが、約束のない同伴は駆け引きが必要で朔未がそれをしているとは思えない。事実、先程の男性客も「その子は俺の」と口にした。
「…うん、少し落ち着ける場所で休憩しながら話そうか…サクラちゃん」
「でも、ぜ……夕くんは…これから出勤では」
「長話は出来ないかな」
「…分かりました、お話しします」
善は目を細めて朔未を見ると、踵を返して先を歩いた。大人しく後を着いてくる朔未に聞こえない声で呟く。
「ほら、言ってるそばから…」
善の言葉が、先程の男性客と同じ意味を隠している事に気付く様子も無い。簡単に罠に掛かる無防備さは闇夜の中ではあまりにも危うい。
お洒落なラブホテルは一見ではそれと分からない程だ。高級ホテルにも見間違う。その為、ホテル内のカフェにでも入るのだと疑いもせず、誘導されるがまま着いてきたのが、お姫様の寝室だったのだ。
「正気だよ、休憩しようと思って」
「休憩…あの、話をしようと…俺がなぜこんな姿でいるのか、話そうと思って」
「サクラちゃんの事情は俺には関係ない事…だよね?」
「…待ってください!説明させてください」
「話したいなら、ベッドでどうぞ」
トン、と背を押されてベッドに倒れ込む朔未。シーツに撒いてあった薔薇の花びらが舞った。
「?!」
善の指が白いワンピースの裾を指先に引っ掛けるようにして捲る。ボーダー柄のボクサーショーツに善は首を傾げた。
「あれ…下着は男性物なんだね」
「当たり前じゃないですか!」
ワンピースを捲る癖の悪い手を払い除ける朔未。
「騙されたみたいな顔してるけど…子供じゃないんだから、此処まで着いてきておいて、そんな気はありませんでしたは通じないよ」
「俺が貴方相手に合意すると思いますか」
「さあ、どうかな…」
「っ!する訳…」
「サクラちゃんの頑張り次第だけど、俺は貢がせるにはいい相手だと思うよ」
朔未の視線が動揺で揺れる。
「どういう意味ですか」
「俺は君ひとり買い続ける事くらい出来るし、関係も割り切れるから…必要なくなるまで利用していいよって言ってる」
「貴方に買われろと言うんですか?!それもこんな方法で…馬鹿にしないで下さい」
「良い話では無いけど、そんなに悪い話かな?誰かに襲われる前に俺が仕留めて楽にしてあげた方が良いと思ってるんだけど」
「俺の為みたいに言わないでください!…これは俺が自分で選んだ事ですから」
「そうだね、だけど…そろそろ限界がきてる頃でしょ」
ベッドに片膝を乗せた善に朔未は怯えた表情で枕元まで後退りして離れた。そして首を横に振る。
「そんな事ありません…俺は自分を犠牲にしてでもサクラになると決めたんです!助けた見返りが欲しいなら別の形で払います」
「認めたくない?そうだよね…じゃあ少し炙ってみようか」
「え?」
「…昼夜問わず鳴り止まないお客様からの連絡、誘いを断り切れずに好きでも無い人と好きでもないお酒を飲んで…睡眠時間も休日も、楽しみにしていた予定も潰れて行く」
「…確かに断れなかったのは俺の失敗だし、甘く考えていた部分はあります、でも」
「サクラちゃんになる為には失ったものもあるよね?」
真っ先に浮かんだ蓮牙との未来。愛する人と一緒にカフェを開くという夢。朔未の瞳に薄く涙が浮かぶ。
「後悔する事になっても…今の俺には自分の幸せより、守りたいものがあるんです」
「うん…真面目で優しいね、サクラちゃんは…だから余計に嘘を重ねる毎に罪悪感で心を痛めて、常に周りの目を気にして緊張が解けない…そんな生活していたら疲れて弱るのは当然だよ」
ぽんぽん、と優しくウィッグ越しに頭を撫でられて目を細める朔未。ぽと、とベッドに涙の滴が落ちた。
「俺は…きっと今日じゃなくても近い内に、同じ目に合っていたんですね」
「相手が俺か、俺以外かの違いでね」
とっくに失われていた余裕。朔未は自分の疲れは自覚しているつもりだった。しかし思考が麻痺しかけている事には今やっと気付いたのだ。少し考えれば避けられた筈の身の危険。男が夜に会おうと何度も誘うのに下心が無いわけがない。高い酒を餌に、客に釣られていたのだ。そんな簡単な事も感知できずに、この先に無事で居られる世界ではない。寧ろ下心を携えてやって来る客の方が多いくらいだ。
「うまくやっているつもりでした…最初は週に2日くらい、数時間だけの事でしたし…でも、アフターで朝帰りが増えて、誰かと会ってしまう度に喫茶店に行っていたとか、飲み会だったとか、嘘を吐いて誤魔化すようになって… 出勤日も増やすように言われた時に断れば良かったんです、でも一度引き受けてしまったら減らせなくなってしまって…寧ろ、休みの無い週まで…部屋に帰った後の記憶が無くて、気付いたら朝だった事もあります…恐怖を感じるほど余裕がなくなっていきました…だけどそれを認めるのは、もっと怖かった…俺はもう後戻り出来ないから」
朔未は話しながら濃桃色のポンチョコートの留め具を外して袖を抜いた。胸元が編み上げになっている白いワンピースの全体が露わになる。
「そこまでとは思わなかったな…ごめんね、もう少し早くブレーキ踏んであげれば良かった」
「さすがですね、甘い言葉で優しくして見せて…心の中では時間を気にしてるんでしょう?」
「……」
善は静かに笑ってベッドに上がるともう後がないところまで逃げていた朔未の身体を引き寄せた。
「…やめてください」
「否定する前に落ち着いて考えて…どうしても嫌だと言うなら放すけど、もう同じ話はしないよ」
チャンスは今だけ。迫られる選択にベッドに落ちる滴が増える。
「…疲れて、るんです」
「俺なら休ませてあげられる、サクラちゃんに無理はさせない…週に2日の数時間で充分だよ」
今の生活を続けるよりも、善に身を任せた方が楽なのかもしれない。衰弱した判断力。朔未は微かな理性で再び小さく首を横に振る。
「駄目です…今、辞めたら…店が困ります」
「辞めたいけど…?」
「ち、違います…そう言う訳ではなくて…すみません、すみませ…俺、今は本当に頭が回らなくて」
「ごめんね、偉そうに思うかもしれないけど…でも、その状態でゲストを楽しませる事が出来るとは思えない」
「ッ…」
「サクラちゃん…君は、どうして夜に迷い込んできたの」
「…えっ?…それは、求人を検索して…時給順に」
「そうじゃなくて…話、ベッドの上でなら聞くって言ったでしょ」
引き寄せられた身体が今度は抱き締められた。コートが無くなった分、より密着して体温まで感じられる。朔未は蛇に巻かれたように身動きが出来なかった。
「…時間が無いんです」
ぽつりと呟かれた言葉。
「時間?」
「いえ…やめておきます…話は、俺がサクラでいる必要がなくなった時に…貴方も時間が無いんでしょう?待たせすぎて、お客様を失っても知りませんよ」
「此処を出たら、店…辞めておいで」
「!!」
朔未の身体を解放して、折られた万札を手品の様に取り出して見せる善。
「いいね?」
「…あ」
胸元の編み上げ部分に差し入れられた現金に朔未は大きく目を見張る。サービスに対するチップのように与えられたこれは、チップではなく手付金だ。
「俺は酷いね、こんなに弱ってる子にまで対価を求めるんだから…卑怯で、強欲で、優しく無い…だから霧ノ堀でも生き残って行けるのかも知れないな」
言いながら2枚目を差し入れる善。朔未は胸元に生けられた現金に手を当てた。鼓動の振動と共に脆くなっている心が陥落していくのを感じる。この先、何人もの客の相手をし続けるより、例えベッドに沈められても善ひとりに買われた方が生活が楽になる。そう思ってしまったのだ。
「もうお酒はたくさんです…3桁の通知を見るのも嫌…毎日お客様の名前を必死に覚えるのも…夜通しカラオケに付き合わされるのも…」
「うん…」
「本当は全部、全部…辛くて…こんな筈じゃなかったって…毎日思いました…大切なものと引き換えた覚悟がこんなにも簡単に揺らぐわけない…認めたくない…なのに、なのに俺、夜はゆっくり眠りたいって思ってしまうんです…自分の弱さが、許せない」
「今夜からは…ゆっくり眠って、そして良い夢を見よう」
「……夕くん」
優しく見える微笑みを張り付けて、『夕』は弱った獲物を仕留めにかかる。そっと肩に手を置いて、ゆっくりと顔を近づけると『サクラ』は目を閉じた。口付けようと距離を詰めたところで、善の中に珍しく躊躇が生じる。それは一瞬、サクラを朔未だと意識したからだ。思い浮かぶ、自身の想い人。
『朔未さん』
尊敬する眼差しでそう呼んで、朔未を慕うアストの存在。善が唯一、欲しいと思うその人は、朔未に真っ直ぐな片想いをしている。自分が手を出そうとしているのは、サクラを装ってはいてもアストが大切に想う相手と同一人物なのだ。
「……」
自分を切り替える様に軽く首を振って、朔未の額に口付けを置く善。閉じた瞼に、そして頰に口付けて、唇に移ろうとして再び躊躇すると、そのまま顔を離した。目を開けて善と視線が交わると、困り顔で微笑む朔未。
「俺は…サクラです」
善に言ったのか、自分に言い聞かせたのか分からない一言。善はフッと息を吐く様に笑った。
「今日は時間が無いから…お手付きだけにしようか」
「何をすればいいですか…」
「じゃあ、今度はサクラちゃんが自分で捲って見せて…」
善が指差したワンピースの裾。朔未は視線を下に落として膝立ちになると、ふわふわした白い布を両手で掴む。手汗が滲み、逆に血の気は引いて行く。ドクン、ドクンと緊張する鼓動。下着は男性物。見られても大して恥ずかしくは無い。しかし自らワンピースのスカートを捲り上げてそれを見せるという行動には羞恥心が伴う。
「…こ、これでいいですか」
下着が少しだけ見えるところまで捲り上げたのが限界だったらしい。朔未は目を伏せたまま小さな声で確認した。
「そのまま持っててね」
もっと捲れと言われるかと思った朔未は要求が無いことに安堵する。しかし間も無く善は露わになった太腿を慣らすように撫でて、捲られたワンピースの下から忍ばせた手でボクサーショーツを引き下ろしたのだった。止める間もない出来事に朔未は顔を真っ赤にしてワンピースを掴んでいた手を離す。
「い…嫌!!」
肩を押されて拒絶されると善は一旦、触れるのを止めてくれた。
「離していいって言ってないよ」
「…い、いきなり脱がさないでください…心の準備が…」
ヴーっと着信を知らせるマナー音がして善がホストスーツのポケットからスマホを取り出した。
「ごめん、ちょっと出てくるね…その間に心の準備してて」
通話の為に洗面所に移動した善に朔未はホッと肩の力を抜く。改めて部屋を見回し、ベッドの上の薔薇の花びらを意味もなく手に取ったりしてみた。
「…そういえば…ここ…高そうな部屋」
そもそも、出勤前に少しの休憩で使うようなランクのラブホテルではない。恋人たちが特別な日の夜に奮発して泊まるような部屋だ。こうなる事を想定していたのならば、意図的に良い部屋を選んでくれたのかもしれない。せめて見える景色だけでも美しく、と。
『夕!お前いつまで引っ掛けてるつもりだ…早く来い!』
出るなり皇に怒鳴られてスマホを少し耳元から遠ざける善。
「ごめんね、いま心の準備中」
『はぁあ?!』
「うまく繋いでおいて…皇様の事だから俺が遅れるのは想定済みで動いてるでしょ」
『何が皇様だ、気色悪ぃ…どうせさっきの女食ってるんだろ、お前の得意そうなタイプだったからな』
「人聞き悪いなぁ…助けたお礼にって、少し休憩してるだけだよ」
『何をモタモタやってんだ、こっちは忙しくて全員休憩もままならねぇんだぞ!』
「この分は後で取り戻すから…もう少しだけ持ってて、それじゃ」
『テメェ、あと30分以内に来なかったら扱くからな!』
通話を切る間際に聞いた怒りを含んだ声に肩を竦めてベッドに戻ると、朔未は手のひらに薔薇の花びらを掬って微かに微笑んでいるように見えた。
「お待たせ、心の準備できた?」
「薔薇の良い香りがして、落ち着きます」
「気に入ってもらえたなら良かった」
「怒られてしまいましたか?」
「気にしなくていいよ」
「すみません…恋人でもない、俺なんかの為に」
「俺なんか…なんて、言わないで」
例え仮面だとしても、自分がしているのは身売りだという事実を麻痺させてくれる善の優しい形振りに朔未は救われた気がした。
「ちゃんとしますね…夕くん」
相変わらず顔は赤いまま、再びベッドの上で膝立ちになって言われる前にワンピースを捲る朔未。もうあと少しで見えてしまうというギリギリの所まで裾が上がって何とも誘惑的な姿だ。
「そのまま…持っててね」
先ほどと同じ指示。コクンと頷いて目を瞑り、緊張した様子の朔未を片腕で抱き寄せて、空いた方の手を内股の柔肌に這わせる善。急に触れないよう肌膚を撫でて、緊張を解そうとする。
「…ゃっ」
徐々に上がって来た善の手の甲に自身の中心が当たったのが分かって腰を引く朔未。しかし裾はしっかりと掴んだままだ。
「フッ、サクラちゃん…緊張して震えるから当たるんだよ、力抜いて」
「言わないで下さい…」
「大丈夫、今日は触るだけ…痛い事はしないから」
「は…はぃ」
その言葉に安心したのか、僅かに力が抜けた身体。
「もう少し脚開いて…そう、いい子」
言われた通りに出来ると、褒められる。まるで躾をされている気分だった。
「夕くん…っ、これじゃ…俺の方が奉仕される側になるのでは」
「ああ、大丈夫…俺、見るの好きだから」
「?」
「可愛い子が気持ち良くなってる所、見てるの好きなんだ…あんまり可愛いと、何度でもイかせたくなるから…気をつけるね」
「な…そんな」
それは今から、そんな姿を見せて貰うという意味で間違いない。朔未は閉じていた目を開いて浮かべた困り顔を深刻にした。
「そんなに怯えないで…今日は時間も無いし、そんな事しないよ…ほら、リラックスして」
「や、優しくして下さい…だって…俺…俺…誰かに触られるの、久しぶりすぎて」
「フッ、自分では久しぶりじゃ無いんだね…今度セルフでやってもらおうかな」
「嫌ですッ…人に見られながらなんて、恥ずかしくて無理です…出来ません」
「そうやって俺に弱点教えちゃ駄目だよ…」
朔未の耳朶を甘噛みして、内股を撫でていた手を中心に添えてゆっくり手中に納める善。まだ反応を示さない其処を指を動かして優しく揉む。
「ッん」
ワンピースの裾を捲る手に力が入る。膝がシーツを掻いて薄い口紅を引いた唇から息が漏れた。スカートの中、手探りなのに的確に感じやすい場所を撫でてくる指。
「いい感じだね、もっと息吐いて…力抜こうか」
「ゆぅ…く…っ、夕くん」
何度も呼ばれる名前。売買の成立は暗黙の別人格が行った事だという確認作業だ。
「サクラちゃん、前見て…何が見える?」
問われて伏し目がちだった視線を上げる朔未。その先にはガラス張りの風呂がある。
「あ…ぁ」
ガラスに映るベッド上の情事。胸元に万札を生けられて自らワンピースを捲り、その脚の間に善の手を迎え入れる自分の姿を見た瞬間、朔未の熱量がぐっと上がった。
「サクラちゃんは自分が触られてるとこ見るのが好きみたいだね…じゃあもっとよく見せてあげる」
「ち…違います…好きなんかじゃ…ないです」
スカートの中から出てきた善の手は濡れていて、最早申し開きの仕様がない。恥ずかしさに震える朔未の背後に回り込んだ善はついに獲物を自身の腕の中に掻き入れる事に成功した。
「ほら、見て」
「!!」
善の脚の間に座らされて、後ろから伸びて来た手が再びスカートの中へと侵入する。
「服、汚れちゃうから…もう少し上げて」
「ぇッ……は、ぃ」
そろ、とワンピースの裾を持ち上げる朔未。幕が上がるように白布の中に隠れていた部分がガラスに晒されていく。ドッドッと早打つ鼓動。興奮して火照る体。ガラスに映る自分を蕩けるように見つめる濃茶の瞳。
「うん…良くできました」
「っう…」
朔未の首筋に背後から甘く噛み付きながら、観やすいように指を広げて濡れた竿を撫でる善。
「脚、俺の膝に掛けて…開くの手伝ってあげる」
「あっ…」
脚を絡めて開脚させると、更に反応を返してくる素直な下腹部。それをガラス越しに観て愉しんでいるのは両者だ。
「気持ちいい顔、もっと見せて…サクラちゃん」
「ん…ぁっ…そんなこと…言われても」
困ります、と眉を下げた表情は善の望む顔そのものだった。優しく熱を促して愛撫していた指が帽状の先端を擽る。ビクッと反る細い腰。
「可愛い」
敢えて一度手を離し、あと少しで達しそうな其処をガラスの中で本人に見せつける。羞恥人と連動する熱量を測られて朔未は涙目で訴えた。
「ゆ、夕くん…はっ、ぁはや…早く」
「いいよ…今日はね」
朔未の訴えをすんなりと聞き入れる善。焦らし足りないような口振りだったが、時間に助けられたようだ。再び張り詰めた熱を手中に収めて、促すように上下に擦り上げる。結われたウィッグの髪が揺れて、強く握られたワンピースには皺が寄った。サクラの姿で感じる朔未の姿をガラスの中で鑑賞しながらも、もう焦らす事はしないお手付き。
「んッ……!!」
唇を噛んでぐっと声を堪える朔未。現実をシャットアウトするように目を瞑って、善の手に促されるまま吐精に達した。目を瞑った朔未には達した瞬間、善が見せた憂いの表情は見えていない。
「……」
不正解の契約。手の中に受け止めた白色。憂う者と乞う者。別の誰かに化けて行く夜の密会。
途中で間違えた計算式はどんなに足掻いても、もう正解には辿り着けない。
クリスマスまで、あと1週間。
しかしショッピングモールの裏側ではもうとっくに年越しに向けた準備が始まっている。季節の行事が先取りになるのは商人には仕方のない事だ。
「今日は店長の奢りだぞ!腹一杯食えよ!」
「奢りって…お好み焼きじゃん!そんなに食えないし」
クリスマスから年末にかけてRe:Dragonは繁忙期の追い込み期間だ。しかしクリスマス前後にはリアル充実の従業員達の希望休が重なり、殆ど龍樹と沙希のペアシフトが組まれている。今夜は仕事終わりに、龍樹が沙希の誕生日祝いも兼ねてソロ同士の慰め合いの食事に来たのだった。龍樹が道中の車の中で得意げに「誕生日祝いはご馳走と決まってる」と言うので沙希も少し期待したのだが、着いた店は庶民的なお好み焼き屋のチェーン店だった。
「ははは!お好み焼きはご馳走だろ」
「焼肉とか期待したー」
「それは、また店の皆でな」
「別に良いけどさ、お好み焼きも好きだし」
混ぜて焼くだけの状態で運ばれてくるお好み焼き。龍樹が鉄板に油をひいている間に沙希は材料を掻き混ぜる。
「俺は運転手だから飲まないが、沙希は飲みたかったら飲めよー」
「飲まない、俺、酒嫌いだし」
「そうなのか、俺の周りは飲まない奴ばっかだな…あ、違った…婆ちゃんザルだった」
「店長も運転しなくていい時は飲んだりすんの?」
「自主的には飲まないな、付き合い程度に嗜むくらいだ」
「そのくらいが丁度イイんじゃね」
沙希が混ぜ終わった材料を鉄板の上に広げると龍樹がヘラで形を整えた。
「いくつになるんだった」
「23…あ、店長そこにキャベツの芯ある!ヘラで細かくしといて」
「よっしゃー、店長に任せとけ!」
「てかさ、別に俺の誕生日とかどうでもイイし…今日は連勤前の景気付けって事で」
「何でどうでも良いんだ、沙希の生まれた記念すべき1日だぞ!1年に1日のハッピーなバースデーだ!遠慮なく祝ってもらえ!」
「はいはい、ありがと…メリークリスマース」
まるで他人事のように聞き流してお好み焼きが焼ける様子をボーッと見ている沙希。
「沙希よー…玲司が気にしてたぞ、お前が自分の誕生日蔑ろにしてるんじゃねぇかって」
「は?別にしてないし…俺が誕生日で浮かれんのは10年前に終わってんの」
「何ぃ?!俺は10年先でも浮かれてる気満々だけどな」
「あー、店長は最後の誕生日まで浮かれてそう」
「ははは!おうよ!…じゃなくて、何で終わっちまった」
「んー?何となく、だと思う…ただ覚えてるのは、あの年からケーキが1個になったんだよね」
「なるほどね、それがクリスマスケーキの方か…そういやバレンタインデー生まれのダチも似たような事言ってたなぁ、ケーキは決まってチョコレートケーキだって」
「あはっ、チョコ苦手になりそ…って言うかさ、みんな何でそんなに誕生日を特別扱いすんの?友達とか祝ってくれるし、その気持ちは嬉しいけどさ…俺の中では誕生日ってただの年取る日なんだよね…あ、でも店長には1番高いお好み焼き奢って貰うし、テイクアウトも買ってもらうけど!」
「しまった!テイクアウトメニューは隠しとくべきだった!」
「もう遅いし!残念でしたー」
「あーぁ、お土産付きになった…そりゃよ、誕生日は国民の祝日じゃなくて、個人の祝日だからよ」
優しい口調で話しながらヘラでお好み焼きをひっくり返す龍樹。
「店長らしぃね…祝日なんて大袈裟、ただの記念日だろ」
「祝日の方がめでたいだろ!でもって、その日は祝う側にとっても祝日になるんだぞー…祝いたい奴の誕生日は自ずとカレンダーに追加されるだろ?そういう事だ…ま、覚えやすいのはラッキーだったよな!ははは!」
「だったら、誕生日も休日手当て付くよな」
「そうなったら人数分かかるだろ!却下だ、却下!昼にチキン買ってやるから!年末年始の手当てはバッチリ出すからっ」
手を合わせて拝み倒す龍樹。希望休が多い年末年始の人手不足は深刻なのだ。
「あはは!必死じゃん!…しょーがないから、ぼっち仲間の俺が一緒に働いてやるか」
「沙希~!愛してるぞ!」
「うわ、やめろバカ店長!誤解される!」
少しして、綺麗に焼き上がるお好み焼き。
「ソースとかマヨネーズなんかは好きにかけろよ」
「俺マヨ多め~」
お好み焼きのトッピングを楽しそうに掛けている沙希。
「マブダチも、今年は珍しく隣が空いてるみたいだな…とびっきりの美人ちゃんだってペットショップの店長から聞いて会えるの楽しみにしてたのによう」
(そっか…明梨が店に来た時、店長は明梨が玲司の彼女だって知らなかったんだ)
「玲司ならすぐ次の女できるって」
「だな、常連マダムから娘さん勧められてるみたいだし…羨ましい限りだ」
「その娘って犬じゃないよな」
「ははは!まあ、玲司の事だから…またバストサイズ大きめの美人ちゃんと付き合うんだろうなぁ」
「……は?」
マヨネーズを掛けていた沙希の手が止まる。
「学生の頃から何人か知ってるけど、みーんなバストサイズ大きめなんだよ…玲司の彼女ちゃん達」
「……」
容器を強く握られてマヨネーズが大量に鉄板の上に飛散した。確かに明梨も当てはまる。
「こらこら沙希、掛けすぎは良くないぞ!マヨネーズの味しかしなくなっちゃうだろ」
「飲む」
「え?」
「アルコールメニュー貸して!奢りなら飲まなきゃ損じゃん!」
「お…おお、でもさっき嫌いって言ってなかったか?」
ギロ、と睨まれて龍樹はアルコールメニューを差し出した。
1時間後。龍樹が助けを求めて玲司に電話したのは言うまでもない。
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