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第22話 Merry Xmas③※

1年の終わりまで、あと1週間。この時期にはクリスマスと正月が混合する独特な街並みが見られる。 クリスマスイヴ当日。 「珍しいな、透流が1人でモーニングに来るなんてさ」 「来ちゃ悪かったかい」 「いえいえ、とんでもない…いらっしゃいませ、お客様」 libertàのモーニングタイム。来店自体、そう多くはない透流がふらりと立ち寄って来たのでわざとらしく接客してみせる蓮牙。 「今日はコーヒーもらえる?」 「えっ!今日は本当に珍しいな」 いつもハーブティーを頼む透流がコーヒーを注文したのは初めてだった。蓮牙は驚いた声を上げながらも、伝票にオーダーを書き込む。 「徹夜明けでね…あともう少し、やる事残してるから眠気覚まし」 疲れた声でそう言って眼鏡を外すと、透流は疲れ目なのか目頭を押さえて俯いた。 「売れっ子は大変だな」 「駆け込みのオーダーが入ったりしたからね…今日までに納品して欲しいって話だったから間に合って良かったよ」 「今日までに?じゃあクリスマスプレゼントかもな」 「さあ?俺は作るだけだから…大切にしてもらえたら本望だけどね」 「街とかで自分の作った物を持ってる人を観ると嬉しくなるだろ」 「まぁね…君だって自分の淹れたコーヒー、美味しそうに飲んでもらえた方が嬉しいでしょ」 「もちろん!特に美人に飲んで貰えると…って!口が滑った!今の朔未には内緒な」 「ははっ、どうしようかね」 「朔未、最近ちょっとは元気取り戻したみたいで安心したよ…歓迎会の時は顔色悪いし、疲れ切ってたから心配してたんだ…本人は仕事が忙しいとしか言わないけど、きっと何かあったんだと思う」 「元彼の勘かい?…まぁ、幼馴染の勘も同じだけど…そればかりは、それこそサクミンが口でも滑らせてくれないとね」 「……いいよな、透流は」 「何が」 「子供の頃からずっと朔未と一緒だろ…もう家族みたいなものだって言ってたよ」 「妙なヤキモチ妬かんでくれる?…俺はサクミンを君と同じ目で見た事ないよ」 「本当か?」 「何で疑われるのか逆に聞きたいね」 「似合うからだよ…俺と付き合ってた時も、朔未が困った時に1番頼りにしてたのは結局…」 「君、裁縫得意?」 「え?な、さ、裁縫?ボタンくらいなら付けられるよ…ギリ」 「DIYは?」 「う…それは…あまり…と言うか全然」 「君に頼れない事だから俺の所に来ただけでしょうに…俺としては、引っ掛けた服の手直しやら家具のリメイクやら余計な仕事増やされてるんで文句の一つでも言いたい所だけどね…まあ安心しなさいな、俺にはコーヒーの知識はないよ」 「……」 「ところでコーヒーと言えば、俺のコーヒーいつ来る予定?」 「え…あぁ!ごめんごめん!すぐ持ってくる」 話していて、肝心のオーダーが通っていなかった。蓮牙は本気で慌てたようで、急いでバリスタカウンターへと向かう。 「やれやれ…両想いなのに、何で別れてるのかね」 思わず溢れる苦笑。 バリスタカウンターのサイフォン。フラスコの中で沸騰する水を眺めていた蓮牙に厨房から勇大が声を掛けた。 「蓮牙…他の客が居る時は、顔馴染みでも長話するんじゃねぇ」 「っ、ごめんシェフ!気をつけるよ」 叱られた蓮牙にアルバイトの若い女性がクスクス笑ってフォローを入れる。 「シェフ、きっと蓮牙さん今夜の初デートが楽しみで浮かれてるんですよ」 「デートじゃないよ…店が終わってから、知り合いとお茶するだけ」 「店が終わってからですよー?今日ってクリスマスイヴじゃなかったですか?」 「だから違うって…たまたま都合が合う日が今日だっただけで」 「えー?フリーの男性をわざわざクリスマスイヴの夜に誘うなんて絶対、狙われてると思うけどなぁ」 「…行くのは構わんが、今は仕事に集中しろ」 釘を刺して厨房に戻る勇大。蓮牙は目を伏せて溜息を吐いた。 HeimWaldのエントランス。いつものように出勤前のBizFest勤務組と笑武が楽しそうに話していた。 「沙希さん、誕生日おめでとう…夜、楽しみにしてるね」 「あはっ、サンキュー!笑武の誕プレ最高じゃん!この映画観たかったんだよね!」 「うん…公開から日にちが経ってたしクリスマスにはちょっと合わないジャンルだからかな、けっこう席空いてたよ」 笑武が沙希の為に用意したのは映画のチケットだった。大人向けの特撮ヒーローものだが、一昔前の手作り感がある作品だ。その古風さが一部のファンに受けている。 「なんで?鶏頭の鳥人間が宇宙人のコックと戦う話じゃん!クリスマスにぴったりだし!敵のお決まりの台詞は、今日こそフライドチキンにしてやる!」 身振りも付けて悪役の真似をする沙希。 「あははっ、仕事終わったらビズの映画館で待ち合わせしよう…少し遅くなっちゃうけど、その後ごはんでも食べて帰ろうよ…そうだ!沙希さんの好きなタピオカドリンクも奢るね」 「食べる!飲む!」 嬉しそうに笑う沙希に笑武もヘラっと笑い返した。 「色々考えたけど、せっかくの誕生日だから…一緒に過ごせるのが1番楽しいかなって思ったんだ」 「優しー、これで俺のイヴもリアル充実するじゃん」 甘えるように抱きついて来た沙希をよしよしと撫でる笑武。まるで飼い主とペットだ。 「俺は朔と帰ってるから、迎えが欲しい時間になったら連絡しろよ」 「ありがとう玲司さん…あ!できれば今日、このまま一緒に乗って行っても良いかな?職場の先輩と会う約束があるんだけど…待ち合わせ場所がビズの近くなんだ」 「ああ、いいぜ」 「ふふっ…ラブラブで羨ましいですね、玲司くんと俺は帰りの車でドライブデートという事にしましょうか…ケーキでも食べていきます?」 「お前が食いたいだけだろ」 「はい、美味しいケーキ屋さんをチェック済みです」 「ったく、抜かりねぇな…まあ、お前は甘いものでも食べて疲れ取った方がいいけどよ」 朔未の頭をぽんぽんと撫でる玲司。 流れる景色の中には、いつもより恋人達が多い。プレゼントや花束なんかを手にして、愛おしい人と過ごす聖夜を待ち望んでいる。 知多書房。出版社の年末年始の都合によって前倒しに入荷されてくる書籍をチェックしている朔未と白石。この時期は入荷も予定とズレる事も多く、確認が大変だ。 「穂高君、今日は…その、誰と過ごすの?」 一方的な誤解により朔未に多数の彼氏がいると思っている白石。誤解に気付かない朔未は、その質問をただの予定確認と捉えて微笑んだ。 「今日ですか?玲司くんとドライブして来ます、ケーキ屋さんに寄り道してもらおうと思ってますよ」 「そう、トリマーの彼が一歩リードね」 「でも…夜はまた別の予定があって、地元の方へ行ってきます」 「え?まさか地元に帰ってまで会いたい人が…!」 「そうですね、今1番、大切にしたい人が待っていてくれる…と思いたいので」 切なげに呟いた朔未は白石には恋煩いをしている少女漫画のヒロインに見えた。 「思いたいって…待ってるに決まってるじゃ無い、今日はクリスマスイヴよ」 「そうですね、せめて今夜くらいは…一緒に、穏やかに過ごしたいです」 「穏やかにって…穂高君、大丈夫なの?その地元の彼は、いつも貴方に暴力的なの?」 心配そうに尋ねてきた白石に朔未は慌てて首を横に振る。 「いえ…!そんな事ないですよ、本当はとても優しい人ですから」 「本当はって……ダメよダメよ!穂高君!その人はダメ!トリマーの彼にしなさい!それか幼馴染の彼か…この際、ホストの彼でもいいわ!」 「えっ?!…し、心配してくれてありがとうございます…でも、俺が傍に居たいんです…鬱陶しく思われるかもしれませんが…会いにいってきます」 どうしても朔未の意思は変わらないらしい。白石は思った。 (恋は盲目なのね…誰か、穂高君の目を覚まして!) と。 「穂高君!頼まれた書籍、取り置き棚に置いてあるわよ」 別のスタッフに声を掛けられて朔未が手を止めた。 「ありがとうございます」 「でも、あの本…穂高君に必要なの?」 「いえ!頼まれ物です」 「そう、良かった」 レジの後ろにある取り置き棚。在庫が無かった為、朔未が取り寄せた書籍が置いてある。 そのタイトルは『終末期患者への接し方』だった。 仕事が終わる頃には外はもう夜並の暗さ。キンと冷えた空気で澄んだ空には星が輝いている。 映画館の前に張り出された上映中の作品ポスター。沙希は自分たちの観る映画のポスターを観ながら笑武を待っていた。誕生日に物よりも、一緒に遊ぶ時間をくれた笑武。沙希はそれが嬉しかった。中学に上がって初めての誕生日。家でひとり過ごした、あの夜から誕生日は特別な日では無くなった。しかし龍樹に言われて、少しだけ考え方が変わったのだ。笑武の気持ちを素直に受け止めて祝ってもらおう。今夜は少しだけ、クリスマスイヴではなく自分の誕生日を優先してみようと。 「パンフ買おうかな〜」 そんな事を言いながら待ち人を行き交う人の中に探す。しかし約束の時間になっても笑武は現れなかった。今まで何度か遊んでも、約束の時間に遅れる事は無かった笑武。心配になって、スマホを見ると1件のメッセージ通知。遅れるという連絡だろうと開いて、沙希は小さく「え…」と呟いた。 『沙希さん、俺から誘ったのに一緒に映画行けなくなってごめんなさい…俺は一緒に居られないけど、まだ誕生日は終わってないよ!楽しい時間を過ごしてね』 沙希は2回読み返して、メッセージを閉じる。楽しそうな人々の声が耳に響いて、独りの自分が虚しくなった。その気持ちは、暗い家で、ひとり留守番をしながらクリスマスケーキを夕食に食べた、中学1年生の誕生日と同じだ。 「…やっぱ、こうなるじゃん………帰ろ」 ぼそっと呟いてポスターの前を離れる沙希。スマホの画面にはスケジュール機能がご丁寧に映画の上映時間が近い事を知らせている。せっかくチケットがあるのだから、ひとりで観ようか。少しでも楽しい時間を過ごそうと迷った末にもう一度映画館を振り向くと、沙希は目を見開いて驚いた。 「悪い、待たせた」 「……え?」 映画館の前から真っ直ぐ沙希の方へ歩いて来たのは、家に居るはずの玲司。その手には笑武が朝、持っていた映画のチケット。理解できずに、声を掛けられたのは自分なのか確認するように周りを見る沙希。そして他に誰も居ないと分かると改めて玲司を見る。 「何キョロキョロしてるんだ?…笑武から連絡あっただろ」 「え…れ、玲司…?笑武…なん…は?」 混乱で言葉が細切れだ。 「笑武から車に映画のチケット忘れたって連絡があってよ…届けに来たら、今度は急用で行けないから代わりに行ってくれだぜ…まぁ、職場の先輩が貧血でぶっ倒れたんじゃ放っておけねぇよな…お前も許してやれよ?」 「………笑武」 沙希は、この展開こそが笑武の本当のプレゼントだと気付く。朝、珍しく車に同乗したのも、わざとチケットを忘れていく為で、玲司をこの時間に映画館へ向かわせる為の口実に使ったのだ。沙希は自分の気持ちを笑武にはっきりと話した事はない。ただ笑武は沙希の気持ちをなんとなく察していて、誕生日に好きな人と過ごせる『時間』を贈る事にしたのだった。 「上映時間もうすぐだろ…観るとするか、そのチキン南蛮星人とやらを」 「っ……ぜんっぜん違うし!鶏頭の鳥人間と宇宙人のコック!タイトルはクックウォー!」 「分かった分かった…ドリンクは?買ってくか?」 「買うに決まってんじゃん!映画といえばでっかいジュースとポップコーン!」 「ドリンクだけにしとけ、観終わったらメシ食うんだろ」 「あ!そっか…それも玲司が引き継ぐの?」 「引き継ぐしかねぇだろ、俺も晩メシまだなんだよ」 「あはっ!じゃあさ、とりあえずケンタのフライドチキン買って帰ろ!あとローストチキンとビーフシューと、ポテトとピザが有れば、かーなーりクリスマスっぽくはなるけど…そんなに並べても食べきれないじゃんね…花結いれば話は別だけど」 「クリスマスは明日でもいいだろ…今日はお前が食いたいのにしろよ」 「え…でも、さ…それだとクリスマスイヴなのにクリスマスっぽくないじゃん」 「別にそれで良いじゃねぇか…今日はお前の誕生日だろ、特別に甘やかしてやるから好きなの食え」 幼い頃からそうしてきたからか、沙希の中では自分の誕生日はクリスマスとセットになっていた。いつもクリスマス『兼』沙希の誕生日をイヴの夜に祝う。もちろん、食卓に並ぶのはクリスマスの定番メニュー。食べたいものなど聞かれた事はない。それが伊吹家では当たり前になっていたからだ。確かにクリスマスとは本来イヴの日没から当日の日没までの期間だ。今夜でなくても構わない。しかしその提案に沙希は困惑して狼狽えた。 「…や、ダメだって…それは」 「?」 「まとめれば1日で済むじゃん…店長に言われて、誕生日くらい少しは浮かれようと思ったけど…クリスマス後回しで誕生日祝われるとか…何かさ、申し訳なくなるんだよね」 「一丁前に遠慮なんかしやがって…じゃあ決まるまでレストラン街連れ回してやるとするか」 Biz Festの中には、レストラン街と呼ばれる食事処の店ばかりが並ぶ通りがある。和食から洋食、中華、バイキングまで選び放題だ。 「ッ…映画終わるまでに決めとく」 「ああ、けどよ…これ観たらチキンは食べたく無くなると思うぜ」 鶏頭の鳥人間が描かれたポスターを見て笑う玲司。 「あはっ、パンフ買おうか迷ってるんだよね…行こ!」 映画館の控えめな照明のおかげで、にやける顔を上手く隠せた沙希は、もう既に浮かれている自分に気づいた。 『ママー!』 『ワタシはオマエのママでは無い!次に会う時には、必ずフライドチキンにしてやる!』 特撮映画のラストシーン。敵である宇宙人コックに盗まれた卵から調理寸前で孵化したヒヨコ。宇宙人コックの事を母親と認識して後をついて回り、最初は邪険にしていた宇宙人コックも徐々に情を移していった。 しかし鶏頭の鳥人間との戦いに敗れ、他の卵を取り返された時。ヒヨコも置いて行く決断をして宇宙に逃げ帰る宇宙人コック。転がりながらも必死に追いかけてくるヒヨコを振り切って宇宙船は飛んで行く。 宇宙船の中でヒヨコが孵った時の卵の殻を手に、寂しそうな宇宙人コック。 エンドロールでヒヨコは他の卵から孵ったヒヨコ達と仲良くしている様子が流れる。 「うぅー…」 ラストシーンからずっとハンカチを握りしめて号泣中の沙希。 「大丈夫か?」 「だって…何で置いてくんだよ、地上に置いて行ったら、いつか本当にフライドチキンになっちゃうじゃん」 「あの世界観なら大丈夫だろ」 「…そうだけどさぁ…っひ、く…絶対?あいつフライドチキンにならない?」 「ああ、ならねぇよ」 作品のその後など玲司に分かる訳がない。しかし聞かずにはいられない沙希に玲司は苦笑して1番、安心する答えを返した。 「はぁ…泣いたら、めっちゃ腹減って来たし」 「意外と面白かったな」 「だろ!マジ神作」 観覧後、映画館の売店でパンフレットを購入した沙希は満足げだ。 「さて、メシ行くか」 「あれ…?玲司もちょっと目赤いじゃん!あはっ、もしかして泣いてた?!」 「泣いてねぇよ」 嬉しそうに顔を覗き込んでくる沙希に玲司は顔を背けた。 「もう今日は絶対チキンなんて食べないし!俺、気分的に鍋焼きうどん食べたい」 「ああ、いいな…鍋ものはハズレがない」 「玲司の家、でっかい土鍋とかありそ」 「あるぜ、店の団体客用みたいなサイズのが」 食事の話をしながら1階にあるレストラン街へ向かっていた2人の背後から予想外の声が掛かる。 「あら…お似合いね、デートかしら」 「「!」」 振り向くと長身で顔立ちの良い男性と腕を組んでいる明梨が居た。 「明梨…」 明梨は沙希が持っていた映画館のショップ袋を見て鼻で笑うと髪を掻き上げる。 「親ならともかく、他人の脛齧ってるくせに映画なんて贅沢しないで、家でテレビでも観てインスタントラーメンでも啜ってなさいよ」 「やめろ、俺が沙希と観たくて誘ったんだ」 「私に振られて相手が居ないからって、イヴに男と映画なんて可哀想ね…本当は私が他の男に連れられてるのが悔しいんでしょう?目が痛いんじゃ無い?」 玲司は呆れたように小さく溜息を吐く。 「…クリスマスまでに新しい彼氏が見つかって良かったな、仲良くしろよ」 柔軟な言い回しで、もう未練はないと伝える玲司。しかし明梨はどうしても玲司がまだ、自分に気が残っていると認めさせたいようだ。 「強がっちゃって…本当は私を映画に誘いたかったくせに」 執拗な態度に黙っていた沙希が前に出た。 「あのさ…彼氏の前で、元彼にそういうこと言う神経が分かんないんだけど」 「は?何よ偉そうに」 「別れた恋人に執着してんの…フツーに見苦しい」 「私が執着?!見苦しいですって?!」 見た目には異様なほど気を配っている明梨。見苦しいという言葉に怒りを露わにする。沙希は態度の事を言ったのだが、分かっていないようだ。形相を変えた明梨から沙希を遠ざける様に自分の方に引き寄せる玲司。 「沙希、行こうぜ…腹減ったろ」 「ぁ…うん」 「玲司!彼ね、作曲家なの、有名人!それにイケメンでしょ?」 自分にだけ新しい恋人がいる事で、どうしてもマウントを取りたいらしい明梨は今度は彼氏自慢に切り替えてきた。玲司は再度振り向いて短く答える。 「ああ、良かったな」 「今日もこれから予約した店に行くのよ、クリスマスイヴだから夜景が見える展望レストラン」 「楽しんでこいよ」 「ねぇ、羨ましいでしょ?」 「…これ以上、こっちの邪魔しないでくれるか」 「え?邪魔って何よ…!」 やり取りを見て表情を曇らせてしまった沙希の方に向き直ると優しく笑いかける玲司。その笑顔は少し前まで明梨に向けられていたものだ。それが自業自得とはいえ別れる引き金になった沙希に向けられている。自分にはもう見向きもしてくれない玲司に明梨は奥歯をギリっと鳴らした。 「明梨ちゃん、予約した店…早く連れてってよ」 「え?」 他人事のように他所を向いていた明梨の彼氏が漸く口を開く。 「今日クリスマスイヴだからさ、僕マーチンの靴が欲しいな」 売れている訳ではないが中途半端にファンの付いている作曲家は貢がれ慣れていて自分が貢ぐという考えは無いようだ。明梨の事を彼女だと思っているかすら怪しい。 「ッ…ちょっと待っててね」 明梨は青ざめて玲司の元に追い付く。そして縋るように腕を掴んだ。 「…今度は何だよ」 「ねぇ、玲司がまだ私を好きなら彼と別れてやり直してあげてもいいわよ…あの時の喧嘩は、お互いに悪かった事だし」 釣り合わない相手を無理をして繋ぎ止めている明梨にとって、自分の我儘をたくさん聞いてくれた玲司は以前より魅力的に見えて、出来れば取り戻したい存在だった。そして偶然イヴの夜に沙希と居るのを見かけて、まだ玲司がフリーだと分かり食い付いたのだ。 「玲司は何も悪く無かっただろ…彼氏、置き去りにして…マジで何してんの」 「あなたは黙っててよ…私が居なくなった分まで玲司に貢がせてるくせに」 「貢がせてる…?ッは?一緒にするなよ!…俺は一度もアレが欲しいとか、コレ買ってとか、次から次に高いもの強請ったことないし!だって…お前と同じになりたくなかったから」 「な!」 「!」 その言葉で玲司は、先月に沙希と交わした会話を思い出す。 『弟と、下の妹がまだ小学生だ…口を開けば遊びに連れてけ、あれ買って、これ食べたい…ってな、ふたり同時に相手にするのは相当体力使うぜ…ん?確かに言うこと同じだな、沙希と』 『誰が小学生と同じなんだよ!それに、あれ買っては言った事ねぇし!』 『買い物にくっついて来ると、アイス買ってとか言うだろ』 『それは、これ食べたいの方じゃん!』 『屁理屈こねやがって』 『沙希くん、来月は言うチャンスですよ…あれ買って!って』 『なんで?』 『来月でしたよね?沙希くんの誕生日』 『…あー、うん』 『そう言えばそうだったな…沙希、何が欲しい』 『え?…う、ん…考えとく』 あの時は屁理屈だと思われた言葉は、沙希にとってはわざわざ訂正したい程、大きな違いだったのだ。 「…食費や…生活費、節約させてもらってんのは否定できないけどさ…」 「そ、そうよ!大体、私は玲司に愛されてたから何でも欲しいものを買ってもらえたの…あなたは野良猫と同じ!同情でエサ貰ってるだけじゃない!そっちこそ一緒にしないでよ」 「…ッ」 「ふっ、貴方は知らないと思うけど、玲司はね…プレゼントは何がいいか教えて欲しい男なの…その方が助かるって言ってたもの、だから私は欲しいものを教えた…何が悪いの?」 「……だからって…駄菓子でも買うみたいにブランド品ばっか」 「貴方の感覚とは違うの!」 沙希の実家が裕福な事を知らない明梨には、沙希の言葉は貧乏性から出ているように思えた。 「……」 「それにね、質屋に売ったわけでもないわ、今も身につけて大切に使ってる!」 見れば明梨が着ている服やアクセサリー、持っている鞄、履いている靴。それらは全て玲司が明梨に贈ったブランドものだった。何も言い返せず俯く沙希。 「……」 「このピアスを付けるとね、玲司に買ってもらった時の事を思い出すの…服も、靴も、楽しかったわ…ねぇ、玲司…貴方が忘れられないの、貴方も本当はまだ私が好きでしょう?」 甘えた声で言いながら胸を寄せて玲司を見上げる明梨。よりによって先日、龍樹から玲司は胸の大きい女性が好きだと聞かされたばかり。自分には無い魅力で誘惑する明梨に沙希は俯けた顔を逸らした。 「明梨…そのピアス、どこで買ったか覚えてるか?」 「え?」 返された質問。明梨の口元が引き攣る。今さっき思い出の品だと言ったばかりなのに即答できない。思い出そうとしているのか、目が泳いでいる。 「お前は、いちいち覚えてねぇだろ…俺の事も忘れていいぜ、次は見かけても声かけて来るんじゃねぇぞ」 腕を掴む明梨の手を振り払って、今度はハッキリと拒否する玲司。 「ちょ…っと、待ってよ!玲司、ねぇ!」 「それから……新しい彼氏はピアスのひとつも買ってくれないみたいだな」 「!!」 図星を突かれて明梨は悔しそうに引き下がる。復縁したい理由まで見通されてはもう追い縋る事も出来ない。 「明梨ちゃん、いつまで待たせる気?もう僕帰るよ!」 「え!だ、だめ!イヴに1人なんて絶対に嫌!お願い!待って!」 機嫌を損ねて帰ろうとする彼氏を慌てて追いかけていく明梨。やっと解放されて玲司はやれやれと息を吐く。 「相変わらずだな…」 「ごめん…関係ないのに、2人の事に口出しして」 「いや、あーだこーだと話し出す前に、あの件を謝らせるのが先だった…悪い」 「それはもういいって…あれは玲司に嘘ついた罰だったと思ってる!それより、それを理由に玲司が明梨と話す事になる方がヤだ!」 「…沙希」 「もう気にしてない…だから」 「…分かった、お前がそう言うなら…もうアイツと話す事はねぇよ」 「…あとさ…俺と居たせいで、あんな風に言われて…」 「ごめん、って言うなよ」 「!」 言おうとした言葉を奪われて声を飲み込む沙希。 「目が痛くなる訳ねぇよな?連れてる美人なら負けてねぇんだよ」 「な?!な…何言ってんの…!」 「ははっ!何で照れてるんだよ、お前が自分で言ってたんだろうが」 「あ…」 『…俺も暫くはフリーだろうから、デート相手はお前で我慢しとくか』 『あはっ、ちょー美人のデート相手じゃん!玲司には勿体ないし』 『自分で言うな』 玲司が明梨と別れた翌日。そんな会話を交わした事を思い出す。 (そうだった…やば!ガチ照れして俺すげー恥ずかしい人じゃん) 気持ちを切り替えて、レストラン街の和食屋で鍋焼きうどんを食べる2人。会話は先ほどの映画の事だったり、笑武の事だったり。そんな何気ない時間が沙希は嬉しかった。 実家の豪華なディナーや高級レストランの料理よりも、ショッピングモールにある和食屋の鍋焼きうどんが美味しく感じる。 「なぁ、沙希」 「ん?」 「俺は同情でお前と一緒に居る訳じゃねぇからな」 「…うん、分かってる、友情じゃんね」 同情ではないが、愛情でもない。どんなに親しくても、この関係は友情止まり。友達以上にはなれない。沙希は考えかけてやめた。 駐車場。助手席で映画のパンフレットを家で読もうと楽しみにしている沙希を横目に玲司は運転時用の眼鏡を掛けながら優しく笑う。 「いつ見てもビズのイルミネーションは本格的だな」 「この位置、ちょうどイイ感じに観える…あ!もしかしてこの辺だけ停まってる車が多いのって、みんなカップル乗っててイルミ観てたりしない?」 「マジかよ、早いとこ空けてやるか」 そう言って車を出す玲司。 「あははっ、俺らは仕事帰りに見慣れてるしな…んー、空腹も満たされたし、幸せー…あとケーキ有れば完璧な誕生日かも」 「お?じゃあ朔に感謝しろよ」 「え?」 「朔とケーキ屋寄ったから、部屋にあるんだよ」 「マジ!朔未ナイスッ」 「メシ食って来るって言ってたから、帰ってきたら渡すつもりだったけど…結局いつもと同じになったな」 「ホントだ…俺って結局いつも玲司と連んでんね」 「笑武の性格だと気にしてるだろうから…ちゃんと映画、楽しんで来たって言ってやれよ」 「あ、うん!実際、楽しかったし」 「俺も言っとくか…沙希が大泣きしてあやすのが大変だった、ってよ」 「なんでそこ報告すんの!」 むっと膨れる沙希。玲司は視界の端でそれを観て、また笑う。些細な会話で笑い合える、親友。ただ玲司には1つ気掛かりが出来ていた。それは明梨との会話で判明した、沙希の気持ちだ。 「…沙希」 「何?」 「お前…俺に気遣いし過ぎてねぇか」 「え…それ、どういう意味?いまさら玲司に気なんか遣う訳ないじゃん!」 「その口振りだと俺の気のせいだったのかもな…何となく、本当は言いたい事があるのに飲み込んでるように思えてよ」 赤信号で止まる車。 「……言いたい事?別に…無い」 「それなら、良いけどな…俺はよく鈍いって言われるから、たぶん言いたい事は言わないと伝わらないぜ…何かあったら、ちゃんと声に出せよ」 「それは次の彼女に言えよ、欲しいものとか…行きたい場所とか、して欲しい事を言えるのは恋人の特権…さっきのは明梨が正しい…俺はご近所さん!そんなの言える立場じゃない」 「…立場?」 赤信号を見つめながら考える様に呟く玲司。 「…え、何?俺、なんか変な事言ってる?」 「いや…そうじゃねぇけど…」 「玲司?…ぁ、もしかして疲れたとか?…そう言えば仕事して、何往復も運転して…それなのに、こんな遅くまで付き合わせて…普通に疲れるよな…年末で忙しいの知ってたのに、俺…自分の事ではしゃいでて気づかなかった…マジで気遣えてないじゃん…」 「ごめんって言うなよ?」 「ッ…なんで?」 再び止められる言葉。声にならなかった謝罪を飲み込み、申し訳なさそうに眉を下げる沙希。 「別に疲れてねぇよ、働き盛りなめんな…あー、けど今ので分かった…お前、俺に嫌われるの怖がってるだろ」 「え?」 突然、ひた隠しにしている気持ちを本人に暴かれそうになって沙希は映画のパンフレットをギュッと握り顔を窓の外へ向けた。 「否定なし、か…」 「き、嫌われるのは誰でもヤじゃん!っと、友達に嫌われようとする方が変だし」 (やばい…やばい…やばい…どうしよ…声、震える…体も) 「まあ、そうなんだけどよ…寒いか?」 沙希の細かく震える姿を見て車の暖房の強さを上げる玲司。震えは寒さではなく極度の緊張からきているものだが季節に救われて誤魔化せた。 「俺、寒がりなんだよね…さっき鍋焼きうどん食べて温まった筈なのに…もう冷えたっぽい」 「俺の上着が後ろにあるから膝にでも掛けとけ」 「う、ん…ありがと」 赤信号が青に変わり、走り出す車。まだ顔は窓に向けたまま沙希は平常心を保とうとひとり奮闘していた。 「半年前、不良達と連んで何の遠慮もなく口を開けば喧嘩売ってきてたお前と違って…今のお前は、伊吹沙希に戻ってるんだよな」 「…ずっと伊吹なんだけど」 「実家に居た時のお前って意味だ…前に、親父さんから電話かかって来た事があっただろ…それまで悪ぶってたくせに電話口で急に背筋伸ばして、声まで大人しくなった…怒らせない様に言葉選んで、少し叱られただけで狼狽えて…親父さんに嫌われるのを、見放されるのを怖がってた…毒が抜けた今、俺に対してもそうなってねぇか?」 「…そ、ういう意味」 好き嫌いの意味に恋愛感情が含まれていないと分かりホッと力を抜く沙希。まだ不安定な平常心を取り戻しながら後部座席から玲司の上着を取って膝掛けにする。 「大丈夫か」 「うん、あったかい…」 「俺は、半年前のお前を知ってる…今のお前に何言われても可愛いもんだ、だから言いたい事は吐き出せよ?恋人だろうが家族、友人だろうが…我儘上等、俺で聞ける事なら聞いてやる…無理ならそう言うから、ダメ元で言ってみろ」 「ふっ、あはは!喧嘩上等みたいに言うじゃん…じゃあね、俺プライベートジェット機が欲しいなぁ」 「ミニチュア模型なら買ってやるぜ…23歳児さんよ」 冗談で和んだ空気。沙希は握りすぎて少し皺の寄ったパンフレットに視線を落として小さな声で呟いた。 「…いっこだけ、あるかも……ダメ元のやつ」 今度は冗談ではないリクエストがあるらしい沙希の様子に玲司は嬉しそうに目を細めて笑った。 その頃、笑武は家でコンビニスイーツを食べて時計に目をやっていた。 (沙希さん、玲司さんと楽しく過ごせてるかな?俺がドタキャンした時は、きっと凄く残念な気持ちにさせちゃったよな…でも、その分…玲司さん来てくれた時は嬉しかった筈だし…サプライズ成功してるといいな…) 敢えて沙希を驚かせるよう企てたサプライズ。結果は成功していたが、楽しいが故に笑武への連絡は後回しにされている。その為どうしても気になってしまうのだ。 (好きな人と過ごす時間は何をしてても楽しい…苦手な勉強だって楽しくなる…俺は毎日がそうだった…例え兄さんが俺の事を本気で好きじゃなくても、俺は…) 『兄さん…そんな結び方、しないでよ』 『こら、動くな…動くとキツくするぞ』 クリスマス。学矢に言われて選んであったクリスマスカラーのリボンを渡すと、ベッドの上で服を全て脱ぐよう指示されて笑武はそれに従う。学矢の前で肌を晒す事にもう抵抗は無くなっていた。何をさせても器用な学矢は受け取ったリボンを何本かに切り分けてプレゼントである笑武の体を優しく縛る。頭の上で両手を縛り、胸元はクロスさせてわざと乳首を強調させ、臍の下から脚の間をTの字に通ったリボンは右足をくるくると螺旋状に飾りながら足首で蝶々結びを結われた。 余ったリボンで楽しそうに小さな蝶々結びを作った学矢。それを仕上げに笑武の髪へと飾った。 『うう…髪にリボンはやめてよ』 『可愛いって!うん、カンペキだな』 『メ、メリー…クリスマス…兄さん』 『メリークリスマス、笑武』 可愛い弟に贈られたプレゼントを腕の中に抱き締めて学矢は至極嬉しそうに笑い、2人は優しい口付けを交わす。何度目かも分からない禁断の行為。 『に、兄さん!…まさか解かないつもりじゃないよね』 『ん?終わったら解いてやるから心配するな』 『終わっ…うそぉ』 プレゼントを開けるのにリボンは外すもの。見て満足したら外してもらえると思っていた笑武は涙目になる。本気で動けば外す事はできる緩さ。それでも兄を喜ばせたくて弟はなすがままを受け入れた。 『お前は本当に素直だな、兄さんちょっと心配になるぞ』 『そんな事ないよ…俺だってたまには反抗的になったりするよ?』 『そうなのか?俺に比べたら真っ直ぐだぞ…まあ、でも反抗期は今のうちに済ませとけ』 過ぎた夜の事を思い出して、火照り出す身体。笑武は小物入れに片付けてあったリボンを取り出して熱っぽい視線でそれを見つめた。 (どうしよう…思い出したら、ダメだった)

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