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第23話 Merry Xmas④※

学矢に贈ったリボンで拘束されて触れられた記憶は笑武の情欲を掻き立てた。 あの時のものに似たリボンで蝶々結びを作る。 「だめだよ、そんなの」 それを髪に飾ろうとした自分を止めた。ソファに横になり、リボンを絡めた指を見つめる。 リボンが擦れる感覚を思い出すように、そのまま自分の指を服の中に忍ばせる笑武。はぁ、とコンビニスイーツの甘い香り混じりの吐息が漏れた。 「だ、だめだって」 意志と行動が対立する。リボンを纏った指が鳩尾から胸へと這い上がり、小さな突起を擦った。さら、とリボンの布がもどかしい快感を呼ぶ。 「……っだ、め」 『だめじゃなくて、イイだろ?』 脳内で再生される学矢の声が行動に味方する。あの夜も、リボンのせいで身動きを制限され、直に触れてもらえない事に焦れていた。 「兄さんのせいだよ、俺がこんなに…縛られるの好きになっちゃったの」 拘束を解いてもらえなかったら、という恐怖は間も無く支配される喜びへと変えられて。自身の中に芽生えた新しい感覚を別居している今も求めてしまう。だめ、と否定しながら指は止まらない。 学矢は噛み癖があり、よく肌に歯形を付けられた。犬歯が当たる痛みを気持ちよく感じるようになったのは、何回目からだろう。笑武は胸に触れていない方の手の甲を自分で甘噛みしてみる。 「う…っ、く」 胸の突起が厚めのシャツ越しに形を主張すると、指はまっすぐ臍を降りて窪みを擽った。ぴく、と歪む眉。 『ここ擽ると、臍の下がひくついてそそるんだよな』 『やっ…お臍の穴に指入れないで』 『でも笑武、嬉しそうに勃ってきたじゃないか』 『あぅ…う』 リボンを押し退けて勃起した中心。そこに学矢は最後のリボンを結びつけて、恥ずかしそうに目を潤ませて赤くなる弟の顔を堪能した。 「あ…ッ」 意志が敗北する。パンツを下着ごと下げて窮屈になった前を開放するとリボンの絡んだ指で握った。 擦るのではなく、揉むように動かすと腰も揺れ始める。 「兄さ…ん」 手の甲についた歯形を舐めて息を荒くして行く笑武。やがて、指からリボンが解け落ちて激しく波打つ快楽の飛沫。振動で空になったコンビニスイーツの容器がテーブルから転げ落ちた。 降り出した雪が窓の外で音もなく散って行く。 ピーーーーーーー 鳴り響く電子音。地元のバス停に降り立った瞬間、病院からの着信があり駆けつけた朔未は入院中の父親に付き添っていた母親と共に目の前の光景に立ち尽くしていた。個室の病室。ドラマのように行われる心臓マッサージ。時間外の急変に駆けつけた担当医が白衣を纏いながらやって来た。 「父さん…」 「嫌…嫌よあなた!私達を置いていかないで!」 重い病の末期と診断され、他人には想像もつかないであろう辛い闘病中の父親にずっと付き添っていた母親。せめてクリスマスイヴの今日くらいは2人に笑って欲しいと用意していたケーキの箱が朔未の手から滑り落ちた。 その後、医師たちの懸命な蘇生により朔未の父親の心肺は再び動き出した。その報告を喜ぶ前に続けて受けた説明はもう意識が戻る事は難しいという非情なものだった。 集中治療室に移された父親は数時間前まで話せていたとは思えない姿で、無数の管やコードに繋がれて人工呼吸器で命を繋いでいた。 「呼吸は人工呼吸器をつけている為、先に止まる事はありません…次に心肺が止まった時に蘇生を希望されますか?」 それは延命の選択。泣き崩れる母親。朔未は答える事が出来ず、ただ父親を見つめていた。 「父さん…俺は…貴方に安心してもらいたくて…治療に専念してほしくて…」 朔未の父親は余命の宣告を受けると、何よりも先に残される家族の事を心配した。そして病室からも可能な限り仕事をこなしギリギリまで務めたが容態が悪くなり辞職。その後から、情緒が乱れる事が多くなり朔未に冷たく当たる事も増えていった。 『早く死んだ方が治療費がかからない、お前達にも保険金が入る』 ある日、父親が荒々しく言った自暴自棄の言葉に朔未は珍しく怒り喧嘩になってしまった。悪い言葉は病気が言わせている事。そう分かっていたのに『馬鹿な事言わないで下さい』と呆れたような口調で返してしまったのだ。 何も心配いらない、父親の分まで自分が稼ぐ。だから治療に専念して欲しい。本当はそう言いたかった朔未は今度こそ、そう伝える為にサクラになる道を選んだ。何を言っても、何をしても自分の命を諦めるようになった父親を、驚くほどの大金を用意すれば、きっと安心させられると縋るように信じて。 「朔未、見て!お父さん瞼が動いてる!きっと目を覚ますわ!」 医師に瞼が開いたり体が動くのは反射的なものだと、先ほど説明された。それも忘れるほど嬉しかったらしい母親の声に朔未は頷く。 「奇跡が起こるかもしれませんね、だって今日はイヴですから」 「そうね、そうよ!きっとお父さん大丈夫よ」 長居は出来ない集中治療室を出て、連絡通路の窓から舞う粉雪を母親と眺めながら朔未はただ奇跡を祈った。 雪はこんこんと膨らんで本格的に降り始めた。積もる前にHeimWaldに到着した玲司達は寒さから逃げるように1-C号室に帰宅する。暖房の効いて来た室内。沙希はカーテンを開けて雪を観ていた。 「めっちゃ降って来た」 「ああ、雪積もった日は朝いつもより早めに出るから遅れるなよ」 「はぁ…布団から出れる自信無い」 「安心しろ、引っ剥がしてやる」 「普通に起こせよ!」 「普通じゃ起きねぇだろ」 沙希のすぐ後ろに来て同じように雪の降る空を見上げる玲司。 「玲司の実家って山の方じゃん?やっぱこっちの方より積もる?」 「そりゃあな、男手は朝一番で雪掻きに駆り出されるぜ」 「うわー…大変そ」 「危なくねぇ程度に残すけどな、チビ達が喜ぶから」 「雪ってテンション上がるよな!俺も小学生の時に兄さん達に小さい雪だるま作ってもらって…溶けるのが嫌で冷凍庫入れてさ、母さんに怒られた…汚いでしょって」 「…環境の違いだろ、積もったら作ってやろうか?雪だるま」 「俺もう23!」 「そうだったな…ケーキは?いつ食べたい」 「クリスマス特番のバラエティ観てから食べる!あ!もう始まってんじゃん!」 時計を見て急ぎソファに向かうとテレビを点ける沙希。お目当てのチャンネルを見つけて嬉しそうだ。開けっぱなしにされたカーテンを閉じて玲司は飲み物を取りにキッチンへ向かう。 「この時期は特番多いよな」 「あははっ!やばっ!サンタが憧れの俳優でしたドッキリやってる!」 「沙希、何飲みたい」 「ココアの気分!ケーキ前に、お腹を甘さに慣らしとくってこと!」 「意味あるか?それ…ちょっと時間かかるぞ」 「うん、ありがと!あ…あ!パンフ車に忘れた!取ってくる!」 「すぐそこでも上着着てけよ」 「うん」 ジャケットを羽織り玲司の車の鍵を手に部屋を出る沙希。寒い寒いと嘆きながら駐車場まで小走りで向かい無事に映画のパンフレットを手に取ると、行きと同じように嘆きながら戻る。すると行きには気づかなかった人影に遭遇した。 「やあ…キミ、ここの住人?」 「え……うん、そうだけど…誰?何してんの?」 ワイルドツーブロックにしたグレーアッシュの癖毛の髪。吊り眉の下で人を見下す細く切れ長の双眼は。その黒に近い紫色の瞳は例えるなら闇色。何かスポーツでもしているのか男らしい骨張った骨格。大きな口は笑うと犬歯が覗いて、まるで牙に見えた。着ている黒いコートに雪が少し積もっている。 「気にしないで、ちょっとこの辺りで探しものしてるだけだから」 「傘いる?ビニール傘で良ければ、あげよっか?」 「優しいね、それに美人さんだ」 「…や、別に…それに顔ならそっちも」 「ありがとう、だけどもう行くから大丈夫…近くに車停めてあるんだ」 「そっか…早く見つかるといいね、その探しもの」 「そうだね、とても大切なものなんだ」 短い会話を交わして、別れる2人。戻りの遅かった沙希に玲司が完成したココアを差し出す。 「…遅かったな、そんなに探したのか」 「あ…ううん、ちょっとヴァルトの前で声かけられて」 「誰に」 「なんかカッコいい人!」 ココアを受け取ってソファの定位置に戻る沙希。玲司も隣に座ると一息吐く。テレビのCMもクリスマスのものが多い。 『メリークリスマス!』 21時。バラエティの出演者たちのコールで雪に見立てた紙吹雪が舞って番組は締められた。その後は一変して報道番組が流れ出す。 「面白かったぁ!早くケーキ食べよ!」 「言っとくけど4号だぞ、でかいの期待するなよ」 「大きさより味!何ケーキ?俺サンタクロース食べて良い?」 クリスマスケーキには大抵乗っているサンタクロースのチョコや砂糖菓子。沙希はそれを狙っているようだ。 番組が終わるとすぐにケーキを催促する沙希に玲司は冷蔵庫からケーキ屋の箱を取り出す。 「その前に、車で話してたダメ元のお願い、それ言ってみろよ」 「え……あ、今?」 「今」 テーブルにケーキの箱を置く玲司。それを開ける前に話を聞こうと沙希の隣に座り直した。 「…う、ん…あのさ」 沙希の声のボリュームが急激に下がった為、玲司は聞き逃さないように雑音のテレビを消す。 「ん?」 「この前…朔未、体調悪くてさ…でも1人暮らしじゃん…それで、誰か呼んだ方が良いんじゃないかって話してて」 「そういや朔、明日仕事休むって連絡来てたな…ここんところ疲れてたみてぇだし」 「俺も心配でさ…そしたら、朔未が透流に合鍵渡してるって聞いて、ちょっと安心したんだよね」 「合鍵…か」 「何かあった時に、合鍵持ってくれてる人が…近くにいたら…いいなって思った…俺、鍵落としたり無くしたりもするし」 「…そうだな、俺も何かあった時の為に親には渡してある」 「……俺は、家あんまり帰んないし…あっちも来たこと無いから…だから」 沙希はいつもそのまま持ち歩いている鍵をポケットから出して玲司を見た。不安そうに眉を下げて少し震える手でそれを差し出す。 「これ、お前の部屋の…」 「……持ってて、くんない?…合鍵…」 「そういう事か…だったら、それはダメだろ」 あっさり断られてサッと青ざめる沙希。沙希なりに勇気を振り絞って言った事だが緊張する間もない即答。 「……だよ、な…あの、ごめん…家族でも、恋人でも、幼馴染でもないのに渡されても困るよな…い、今の忘れて!」 「なんでいつも人の話を最後まで聞かねぇんだ、お前は…それはお前が使う分だろ、俺に渡したら次にどうやって部屋入るんだ?まさかさっそく俺に開けさせる気か?」 「……え、あ!」 玲司に合鍵の事を渡す予定など先程まで無かった。伝えると決めて、つい自分が普段使っている鍵を渡そうとしてしまったのだ。 「いや、ちょうど良いか…」 「…?」 玲司は立ち上がってクローゼットから白い箱に緑のリボンでラッピングされたプレゼントを取り出した。男性の手のひらと同じくらいのサイズだ。 「これは俺からの誕生日プレゼントな…」 「っは?!な…お菓子でいいって言ったじゃん!」 「まあ、一応それも用意はしたけどな…そっちはサンタクロースが枕元にでも置いてやるってよ」 「っだ、だって合鍵…持って欲しいっていうのが…俺のほんとのリクエストだし」 「そうらしいな、俺も今さっき知ったとこだ…明日にでも持ってこいよ…お前の合鍵なら預かってもいいぜ」 「あ…う」 自分でプレゼントを考えるのが苦手な玲司がプレゼントを用意してくれていたと知って沙希は嬉しくて言葉が出なかった。 アレが欲しい、コレ買って!と強請って買ってもらう物よりも、価値がある気がして。 「開けてみろよ、今すぐ使えるぞ」 「え…う、うん」 受け取ったプレゼントを丁寧に解くと沙希は息を呑んで目を見開いた。 それはシルバーリングのオーダーメイドレザーキーホルダー。カラーのグリーンは沙希の瞳の色だ。 「な?」 キーホルダーなのは、いつも鍵をそのまま持ち歩いて落とした事もある沙希への落とし物防止対策でもある。 「かっこいい!これ…もしかしてオーダーメイド?!」 「運良く近所に腕の良い革職人が住んでてよ…相談したら「まあ、そのくらいなら」って急ぎで仕上げてくれたんだよ、出来立てだぜ」 「あ!」 沙希は隣に住んでいる透流の存在を思い出して納得する。 「落とすなよ」 「絶対、落とさないし!ありがと!めっちゃ大切にする!そうだ!店長に自慢しよー」 さっそく自分の鍵を付けて喜んでいる沙希。余程嬉しいのか用もないのになかなか片付けない。 「ほら、締めのケーキだろ」 「締めとか言うなよ、デザート!」 「皿取ってくる、開けていいぜ」 皿を取りに離れた玲司を見て、沙希はわくわくと目を輝かせてケーキの箱を開ける。 「……え?」 それは四角い4号ケーキ。いちごがたくさん乗ったデコレーションケーキだが、どこにもサンタクロースが見当たらない。いつもMerry Xmasと書かれていたプレートにはHappy Birthdayの文字。 これはクリスマスケーキでは無く、誕生日ケーキなのだと主張している気がした。 「サンタクロースを食べるのは明日な?…誕生日おめでとさん、沙希」 「…ありがと…玲司」 目を潤ませながら、嬉しいと笑った沙希は玲司の目に一段と美しく映る。 イヴの夜。そのまま泊まっていつも通りソファで眠る沙希の枕元に約束通り菓子の詰め合わせを置いて、幸せそうな寝顔を見つめる玲司。 『それは次の彼女に言えよ、欲しいものとか…行きたい場所とか、して欲しい事を言えるのは恋人の特権…さっきのは明梨が正しい…俺はご近所さん!そんなの言える立場じゃない』 「……」 立場。その言葉がずっと引っかかっていた玲司は考えた。自分の中の沙希の立場とは。 他の住人たちと同じ友人に等しいご近所さん、それはそうだ。しかし沙希はその中でも特に仲が良く半同棲に近い生活をしている。どちらかと言えば家族に近い感覚だ。しかし年下の弟妹達に抱く可愛さとは別物の可愛さが、沙希にはある。その可愛さは愛情を含んだ明梨に対して抱いていたものに近い。 しかし、沙希は恋人では無い。では親友、だろうか。その言葉で思い浮かぶのは龍樹が先だ。いつも顔を合わせればマブダチと言ってくるので刷り込みもあるのかもしれないが。龍樹に対する強い友情とも、何かが違う。 (俺にとって…沙希は…) とても大切な人。それ以上の細かいカテゴリーが見つからない。沙希の寝顔を見つめていると形の良い唇から目が離せなくなる。その時、ドクンと一瞬だけ湧いた衝動に玲司は僅かに唇を開く。 「…それは違うだろ」 すぐさま否定して、それ以上考えないようにベッドへ入った。 雪は願いを乗せて。世界を白色へと導く。

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