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第4話

ある日の放課後。 今日は部活もないし、遊ぶ予定もない。 そろそろ帰ろうかと荷物をまとめていると、廊下を軽やかに走る足音。 何度も聞くその軽快なリズムに、ヒナの姿が目に浮かぶ。 外階段の掃除を終え、俺のために走ってきてくれてる。 その音を聞きながら、ふと悪戯心が芽生えた。 ――寝たふりでもしてみたら、どんな反応するかな? そんな軽い気持ちで頬杖をつくと、勢いよく扉が開く。 息を弾ませながら、ゆっくりと近づく足跡。 声をかけられると思ったのに、その様子はなく ただ足音だけが傍にある。 すぐそこに、気配を感じる。 その証拠に、髪から漂うシトラス系の匂いが鼻先に。 でも、そこから動く様子はない。 ――あれ、無反応……? つまんないなぁと思いながら目を開けようとすると、予想よりもすぐ傍にヒナの顔があった。 今まで見たことがない程切羽詰まった表情で、息遣いまで感じる距離。 こんな至近距離でヒナのことを見るのは初めてで…… というよりも、誰かをこんな傍でまっすぐに見つめたことはない。 ――あ、睫毛長いんだな……。 そんな暢気なことを考えていると、伏し目がちだったヒナの瞳がこちらをまっすぐに捉える。 ピリピリとした妙な緊張感を肌に感じ、薄目を硬く閉じ直す。 再び、肌で感じる息遣い。 ――え、何……今の? 触れたか触れてないかも、分からない。 そんな数コンマの出来事で…… 感触すら覚えていない。 風が唇を触れたのではないか、髪の毛が触れただけかもしれない。 でも、温もりは確かに唇に残っている。 ――今、キス……された? ――でも、なんで……ヒナが? 混乱しながらも、唇がみるみる熱くなる。 感触もないような、淡すぎるファーストキス。 それなのに、身体すべてが心臓になったよう。 ドクンドクンと脈だつ度に、俺の中の何かが弾ける。 弾けたものに名前をつけず、誰もいなくなった教室で 静かに目を開けた。 校庭からはサッカー部の声が響いていて 静まり返った教室で、俺の心臓だけが破裂しそうな程響いている。 ――何、これ……? シャツの上からぎゅっと心臓を掴んでも、鳴り止まずどころか徐々に音量が増している。 机に額をつきながら、遠くなっていく足音に耳を澄ませた。 *** 手を伸ばせば届く距離にいたはずなのに…… あの時すぐに目を開けてしまえば、今は大きく変わっていた。 キスという行為に対する興味だったんじゃないか、とか 単なる悪戯だったんじゃないか、とか 勝手に決めつけて、アレを終わりにしたのは俺のほうなのに。 あの時ヒナに告白していたら、今と全く違う未来が待っていたのかもしれない。 素直に好きだと伝えることが出来ていたら、もしかしたら今もこの腕の中にいたのかもしれない。 目を開けると、先ほどと同じカフェにいた。 キンキンに冷えていた氷は全て溶けて、グラスは汗をかいている。 その汗を拭いながら、ぬるくなったアイスコーヒーを口に含む。 苦みもなく、旨味もなく 濁った水と化したそれを見つめながら、再びイヤホンで耳を塞ぐ。 気がつくと…… また、同じこと考えている。 同じ悪夢を何度も見るように、毎日同じことを繰り返している。 今を見るのが辛いから、過去に浸っているなんて なんて情けない。 ヒナは違う道を探して進んでいるのに、俺だけその場に立ち竦んでいる。 When the night has come and the land is dark And the moon is the only light we'll see No I won't be afraid, no I won't be afraid Just as long as you stand, stand by me So darlin', darlin', stand by me, oh stand by me Oh stand by me, stand by me でも、今はまだここにいたくて。

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