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終章【選択・壱】理想の結③

「……太宰、話が有る」  燦々と太陽が照らす横濱の街中で太宰は足を止める。 「疲れたから御茶にしたいって? 駄目だなあ国木田君、そんな不真面目では」 「貴様の口から『不真面目』という言葉が出てくるとは思わなかったが……違う、そうじゃない」  巫山戯て振り返る太宰の腕を掴まれ、上半身は背後に立つ国木田へと向けられる。何時かの光景と重なる。自分よりも高い目線、真摯に注がれる双眸。 「何……」 「太宰、俺は……ッ!」  何かを告げようとしていた国木田の表情が固まる。其の視軸は太宰では無く、今太宰が向かおうとしていた進行方向に向けられていた。  太宰の心はざわついた。思いを断ち切った心算でも視界の端に入るだけで無意識に目で追って仕舞う。  目線よりも幾らか低い背丈。如何贔屓目に見ても悪目立ちしかしない出で立ち、年相応には見えない風貌。特徴的な帽子と肩に掛けた外套――其の姿が確かに在った気がした。 「…………中也」  目が追う儘に視線を移動させる。横断歩道の向こう側、其の姿は確かに在った。  脚は一歩も動かなかった。死んだと訊かされ、自らも其の死を確認した中也が確かに其処に居た。脚どころか、目蓋ですら一粍も動かす事が出来ずにいた。  往来の激しい交差点の横断歩道、まるで世界に向かい合う二人以外誰も存在していないかのように、時が止まっていた。 「……あの後ポートマフィアで蘇生が成功したそうだ」  国木田は背後で呟き、太宰の片腕を掴み俯く。 「云わなければ為らない事だと解っていた……然し、俺は……」  ――太宰を二度と失いたくないんだ。  其の言葉を国木田は呑み込んだ。太宰の頬を伝う涙を見たからだった。そして今自分がどれ程愚かな選択を口にしようとしていたかに気付き心に抑止を掛けた。  始まりは確かに正しくない形であり、其処に恋愛感情が伴っていないという言葉にも偽りは無かった。太宰は誰の物にも為らないだろうという理想が国木田にはあった。  あの時海岸で太宰が見せた表情。二年程の付き合いではあったが此処迄太宰の心を揺さぶる事の出来る存在が居たという事実に、国木田は驚きを隠せなかった。そして其れと同時に敦や芥川が何故此れ程太宰に固執したのかも解ったような気がした。  巫山戯けているが真面目な太宰は一度本気で了承すれば簡単に反故にはしないだろう。中也の死で簡単に自分に靡くとも思っては居なかった。代わりでも善い、穴埋めの存在だとしても。 「行っても善いんだぞ」  永遠に失って仕舞った筈の存在が間違い無く手を伸ばせば届く距離に存在している。太宰にとっては中也の存在こそが今迄生きてきた存在理由であり、其れを阻害出来るものだろうか。  生きていると知れば太宰は必ず中也を選ぶだろう。だから知らせたく無かった。渡したく無かった、太宰を誰にも。  屹度敦や芥川も同じ気持ちだったのだろう。国木田には其の気持ちが善く解る。だからこそ二人と同じ選択をして再び太宰を傷付ける事だけは避けたいとも思った。  ――行クナ。  そう強く思い乍らも奥歯を噛み締めて堪える。流した涙が如実に物語っていると爪が喰い込む程拳を強く握り締めた。  太宰の倖せが、自分ではなく中也に在る事は解っていた。其の対象が自分では無いと気付いた時、どれ程口惜しかっただろうか。

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