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第16話
「まあ半分は当たっているけど、あの人には奥さんがいるもの。半分は、返し切れないあの人への恩義よ。……昔、彼に命を救われたから」
「命の恩人かよ。……そりゃあ、辛いな」
片思いの相手について、串崎はもう随分昔に吹っ切れてるのよと返すと、工藤は少しだけ納得いかないような表情を浮かべた。
「貴方にはいないの?甲斐」
こんな目にあっていて、もし恋人がいるのであれば、恋人には可哀相なことをしている。一度きりとは言えど、恋人が男でなくなるのだ。
串崎の心配をよそに、工藤は首を横に振った。
「俺には、ないな……。わかんねえんだ、そういうのは。守るものができたら、弱くなっちまう」
「どこがいけないの。強くなるかもしれないわ」
守るものができて、そのために強くなれるというのはよく聞く話だ。だからこそ、昔の極道は早めに所帯をもたせるという話もあった。
「親父はそれで死んだ。人間死んだら終わりだ。俺は生きる」
先代の話を串崎は佐倉から聞いたことがあった。とても強く仁義のある人で、佐倉が組に入ったのも返せない恩があるからだと言っていた。
先代の姐さんをかどわかされ、佐倉が救いに行ったが、姐さんの命を盾にとられて捕まってしまい、それを先代がやってきて相手と刺し違えて死んだそうだ。
涙ながらに自分が何もできなかったと嘆いていた佐倉を見たのは、8年くらい前だったか。
まだ自分も佐倉に救われたばかりで、佐倉になにもできないのがもどかしかったのを覚えている。
「それは弱くなったわけじゃないんじゃないの。それはそうと、甲斐、そろそろおしっこしたいんじゃない?」
工藤の仕草を見てとった串崎は意地悪く問いかけると、彼はちょっと唇をへの字にまげて頷く。
「……ああ……」
「いつまでたっても慣れないのは、本当に可愛いわね。じいさんに処女をあげるなんてもったいないわ。いっそアタシが奪ってしまおうかしら」
「アンタがしてえなら。俺は、別に……いいぜ」
工藤は軽く体を伸ばして、じっと自分の体を見下ろして鼻先で笑った。
「甲斐?」
工藤がどういうつもりでそう答えたのか分からず、串崎は問い返すと、工藤は天井を軽く見上げる。
「一回も二回も一緒だろう。それなら構わない。だいたいアンタが作った体だろう。味見するくらい構わないんじゃねえか」
味の良し悪しは保証しないけどなと続けた工藤の体を、串崎は思わず手を伸ばして抱き寄せる。
アタシが作ったのだから味は良いに決まってるでしょと、耳元で返してから、ちょっと困ったような顔をする。
「こう見えて、アタシは調教を頼まれはするけど、商品に手を出したことはないのよ」
「はん。それは、アンタのポリシーか」
工藤は意外そうな表情を浮かべて、串崎に問いかけるが、串崎は首を横に振った。
「ポリシーだなんて、そんなカッコいいものではないわよ。そうね、いままでは食指が動かなかったっていうのもあるわね」
「へえ。じゃあよ、俺にならその重たい指が動くっていうのか」
どこか面白がるような上機嫌な口調で首を傾げて、じっと串崎の表情と態度を伺うように見返す。
「そうね。貴方があまりにも……あの人に似ているからかもしれない。甲斐。貴方をあの人が育てたというからかもしれないけれど」
串崎が告げた理由を聞くと、工藤はちょっとだけ不快感を覚えたかのように眉を寄せ、肩を聳やかせると視線を床へと落とす。
「はん。そりゃあ、色々と複雑だな。なんだ。そういう理由じゃあ、アンタとは、やめとくかな」
情が移ったら大変だしと付け加えて、忘れていた尿意を思い出したのか、話を切り上げると同時に、工藤はひどく言いづらそうな口調で、串崎に排泄の許可を請う。
「……なあ……あのよ……しょんべんさせて、ください」
「そうだったわね。うふふ可愛く言える様になったわね。甲斐、いいわよ」
もしかしたら、今のくだりは工藤の嫉妬だったのかもしれないが、うまく逃げられたなあとか思いながら、串崎は惜しかったとは一瞬思う。
しかし串崎自身もこころの片隅に浮かんだキモチを、勘違いという名前の鍵で閉じ込めた。
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