7 / 8
貴方が好きだと俺は宣言する
結局俺は翌日も、西尾さんと話すことはできなかった。
西尾さんは本当に忙しいみたいで、しょっちゅう電話やなんかで連絡が来てその対応をしたり、出たりしている。時には出たまま直帰という事もあるし、一緒にいられても打ち合わせがほとんどだった。
そしてどんどん、疲れていくのが見て取れた。眼鏡を外して眉間を揉んだりはしょっちゅう。それ以上に、とても苦しそうにしているのを見ると心配になった。
そうして新社屋のレセプションパーティー。俺たちは受付業務の手伝いをして、小冊子や何かを来客に手渡してという仕事が主な内容で、その後はパーティーを楽しんでいいそうだ。
「楽しんで」とあるが、実際は客人達の相手をすることになる。俺は西尾さんを探したけれど、すぐに見失ってしまった。
「岡野さ~ん!」
もの凄くアウェイを感じた俺は岡野の側で大人しくしていたが、その岡野に向かって手を振って近づいてくる人物があった。首から関係者がつける社員証をつけているから、きっと本社の人だ。
若い茶髪の軽そうな人は岡野の側にきて、人好きのする顔で俺にも会釈をしてくる。
「あぁ、牧田さん。お疲れ様です」
「お疲れ様です、岡野さん。いやぁ、人いっぱいで疲れますよね。俺、人見知りなんでもう帰りたいですよ」
「えっ、面白い冗談ですね」
「あっ、酷いですよ岡野さん。俺、実はコッミュ障なんですよ」
そんなことは一切思わせない顔で牧田という青年は笑っている。これが最近のノリなんだろうかと、ギリギリ20代の俺は思うわけだ。
「あぁ、沖野紹介しとく。本社の担当で俺との窓口の牧田さん」
「初めまして、牧田です。貴方が沖野さんですか! このレセプションの小冊子、いいっすね! 重厚感もあるけど古くさくなくて。うちの担当、相当助かったってPCの前で拝んでましたよ」
「え? 俺にはもの凄く事務的な『お疲れ様でした。有難うございます』程度の返ししかきてないけど」
「マジで! あの人もコミュ障さらにこじらせたみたいな人だからな。でも本当に、こっちの都合で納期かなり前倒しにしちゃったのにこのクオリティで仕上げてくれて助かったんですよ。ぶっちゃけ、本社の方も予想以上の早い進行にパニクってたんで」
互いに名刺を交換しながら、俺と牧田はそんな会話をしている。それにしてもあの塩メールからは想像できないのだが。そんなに感謝してるならもう一言くらい添えろっての。
「新社屋の完成、そんなに早まったんだ」
岡野が感心したように言うと、牧田は「そうなんですよ!」とやや大げさな様子で伝えてくる。こいつのノリ、俺はけっこう付き合いやすいな。
「このプロジェクトの中心にいる先輩が優秀っていうか……まぁ、デキる人で。元々建物の方は早く仕上がる事になってたんですけれど、内装とかも急がせたみたいで。でも実はオフィス部分はまだ内装終わってないんですよ」
「その状態でお披露目?」
「ショールームが完成できていればお客さんに見せられるって。早く見せて、一緒に商談とかもして利益に繋げようとしてるみたいですよ」
確かに遊ばせておくよりは中途半端でも稼働させた方が利益にはなる。オフィスは現社屋がまだあるから、そっちで出来るわけだし。
それにしても牧田の言い方がなんだか……その責任者って人の事が嫌いな感じがする。俺は声を潜めて牧田に聞いた。
「その責任者、嫌いなのか?」
こそっと聞いたら、牧田は苦笑して同じくこそっと話してくれた。
「優秀なんですけどね。なんて言うか……やり方が強引っていうか。下の苦労とか考えてないんじゃないかっていうか」
「あー、そりゃしんどい」
所詮平社員の俺も、そういう上司はちょっと勘弁してもらいたい。それこそ西尾さんの前の課長がこのタイプだった。突然大量の仕事を持ってきて、俺たちは深夜まで残業なんてザラだった。それこそ泊まり込みの寝袋持ってくる奴までいたのだ。
それが西尾さんになって、無理な営業とか外注を取るんじゃなくて一つずつのクオリティを上げていった。俺たちは忙しいけれど残業は減って、一つの仕事に打ち込む事ができるようになった。前回の俺の仕事が特殊だったんだ。
西尾さんは、俺たちの事をちゃんと考えて上とも話をしてくれる。だから、俺たちはちゃんとした仕事が出来るんだと思う。
「前から俺たちみたいな下からは人気がなかったんですけど、緩衝材だった人が出向したら余計にキツくなって。でも、上への受けはいいんですよね」
「仕事はできるんだろ?」
「出来る出来る! でも、自分と同じレベルを平の俺たちにも求める感じでちょっとね」
「あー、なるほどね」
牧田の言うことに、岡野も俺も頷いた。
そしてふと、気になった。緩衝材になった人は、出向したんだ。それって……
「あの、牧田さん。その、緩衝材になった人って……」
俺の質問を、牧田は正しく理解したらしい。俺と岡野にグッと近づいて、目配せをして頷いた。
「西尾さんですよ。あの人なんだかんだで気遣いが出来たから、暴君の命令をやんわりと伝えてくれたし、手伝ったりもしてくれて。だから我慢できた部分があるのに、1年前に突然出向したから。だから俺たち、暴君が何か上に取り入って西尾さんの事を飛ばしたんじゃないかって」
「マジか」
岡野がひそひそっと返している。けれど俺はそんな余裕もなくて、腹の中が熱くなっている気がした。
そいつが、西尾さんの元カレなんじゃないか?
「今回のプロジェクトだって、西尾さんが結構な所で頑張ってたのに締めの所で突然いなくなって、結局暴君が手柄にしたから下は疑い持ちまくりでさ。上も流石に下からの不満が多いってことで、この機会に呼び戻そうとか」
「え?」
俺は思わず声を上げていた。同時に、ギュッと嫌な感じで胸の奥が締まるような感じがした。
西尾さんが、本社に呼び戻される? ってことは、いなくなるんだ。
思ったら、「嫌だ」と俺は強く反発していた。
「俺達としては西尾さんが帰って来ると助かるんですけどね。でも、それも都合良すぎっていうか。こっち戻ってきたらまた、暴君が西尾さんを取り取り込むんじゃないかって気もしてるんですよね。それ、可哀想だなって」
「結婚するから別れる」なんて一方的な理由で西尾さんを傷つけた奴が、戻ってきたらきたでまた利用するってのかよ。そんなの……許せるわけがない。
けれど実際の俺はそんなこと言える立場にない。ただの部下で、ちょっと親しい遊び仲間。恋人でもなんでもないし、仕事じゃとてもじゃないけど大きな顔が出来る実力もない。俺は結局、西尾さんの何者にもなれていない。
そんな時、こちらへと近づいてくる西尾さんを俺は見つけた。
「沖野、ちょっといいか?」
声をかけられて、俺は返事を返す。すぐ側まで来た西尾さんはその場にいる岡野と牧田にも視線を向けた。
「お疲れです、課長」
「お久しぶりです!」
「牧田、元気そうだな。岡野も、お疲れ」
「はい、それなりに頑張ってますよ」
「相変わらずだな、牧田。まぁ、無理のない程度にな」
軽く笑った西尾さんが俺に視線を向ける。仕事の顔をしている。
「沖野、ちょっといいか?」
「はい、構いませんが」
「すまない」
そう言った時だけ、ちょっと弱った顔をする。やっぱり元気がなくて、疲れている感じがした。
西尾さんは俺を連れてどこかへと向かっていく。その間、会話らしい会話はないままだ。なんとなく気まずくて、俺は自然と視線を下に向けていた。
そうしてたどり着いたのは、なんだか高級そうなスーツを着たおっさんと若いエリートっぽい人がいる所。どうにも居心地の悪い視線で、俺はそれこそ怯んでしまう。
西尾さんは俺の背中に手を添えて、丁寧に一礼した。
「西尾くん、彼が沖野くんかい?」
グレーのスーツを着込んだ50代っぽい人が俺達に視線を向ける。西尾さんは素直に「はい」と肯定だけした。
状況が飲み込めない俺の前に来た人が、俺に名刺を出す。そこには常務と書いてある。マジかよ、この人日本支社の常務かよ。すげーな。
その人の少し後ろには、もう一人エリートっぽい人も控えている。黒髪に切れ長の目をした、いかにも「出来ます!」という風貌の、長身のイケメンだ。
「沖野」
「あっ、すいません!」
俺は慌てて名刺を返す。常務のおっさんはそれを一応受け取りはしたが、興味なさげにポケットに突っ込んだ。
「今回のパーティー用小冊子は、君が作成したものだったかね?」
「はい」
「なかなか、悪くなかった。今後もよろしく頼むよ」
「……はい」
常務のおっさんは、結局何がいいたかったんだ? 俺は頭の中では疑問符だらけだ。そして西尾さんはどうして俺をここに連れてきたんだ?
隣をチラリと見れば、西尾さんは緊張した、とても辛そうな顔をしている。
ってか、俺はこんな所でこんな人達と話してないで、西尾さんに確かめたい事が沢山あるんだ。まずこの黒髪が元カレなのかとか、本社の事とか。
「まぁ、楽しんでいってくれたまえ」
鷹揚な感じで常務は俺の肩を叩いてどこかへ行ってしまう。けれど黒髪のイケメンはこの場に残ったままだった。お前こそどっか行け。
「ふーん。西尾、随分な鞍替えだな」
「っ」
低い声が明らかに、馬鹿にしたように西尾さんへと言葉を発する。多分俺もバカにされてるけれど、今は自分の事はどうでもいい。
顔を上げて睨み付けた俺を見て、その男は僅かに片眉を上げた。
「ほぉ、威勢はいいか。だが、こんなのが趣味だったのか?」
「三原さん、やめてください。彼はそんなんじゃありません」
否定するけれど、それはとても弱い。なんていうか、意見しづらいみたいな。
そしてこの二人が何のことを話しているのか、俺は分かった。ということはやっぱり、この三原という男が西尾さんを傷つけた奴だ。
「ほぉ? お前が本社に戻る条件に彼も連れてくる事を譲らないから、てっきりそうだと思っていたんだが」
「……え?」
俺は呆然として西尾さんを見て、西尾さんは苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
そんな話、聞いていない。そしてやっぱり本社に戻る話はあったんだ。
「違うのか。それならまた、遊んでやってもいいぞ」
顎を撫でながら俺を観察するように見ていた三原が、ふっと口の端を上げてはっきりと言い、西尾さんに一歩近づいた。本当に触れそうな距離に来ても、西尾さんは拒絶しない。
いや、気持ちでは拒絶しているのかもしれない。嫌そうな顔をして、三原を睨んでいる。
「ほぉ、いい顔が出来るようになったじゃないか。俺に逆らえなかった少し前までとは大違いだ」
「やめてください、三原さん」
「どうしてだ? フリーなら、問題ないだろ?」
「貴方は結婚するんでしょ。常務の娘さんと」
「まぁ、そうだな」
「それなら!」
「遊びは構わないだろ?」
二人の会話を聞いていて、俺は腹の中が煮えるような感じがした。そして気づいた時には二人の間に割って入って、三原を突き放して睨み付けていた。
「やめろよ。アンタ、最低だ。西尾さんがどれだけ傷ついたかなんて知らないくせに……勝手な事言うな!」
「沖野」
驚いたような西尾さんの声。そんな俺達を見て、三原はニッと笑った。
「いいのか? 本社勤務がなくなるぞ」
「んなもん、最初から願い下げだ!」
啖呵を切って、西尾さんの腕を掴んで俺は会場の出口を目指す。色んな人が俺達を見て驚いたし、「何事だ?」という声も聞こえた。何より西尾さんの焦った声が聞こえて、俺はそれにも苛立っていた。
会場を飛び出して、更に新社屋からも飛び出して、俺は西尾さんの腕をずっと掴んで近くの公園まできていた。ここを突っ切ると駅なのだ。
「沖野!」
強く呼ばれて、ようやく立ち止まる。西尾さんは掴まれていた腕をさすって俺を不安そうに見ていた。
「沖野、戻ろう。今ならまだ……」
「その気は無いです。それに俺、本社なんて行きませんよ」
「沖野……」
振り返ってちゃんと向かい合った西尾さんは、泣きそうな顔で項垂れていた。
「西尾さんは、本社に戻りたいんですか?」
ふるふるっと、首を横に振っている。
「それならどうして」
「……常務からの命令みたいなもので、断ったら今の会社にも居られないと思ったんだ」
「だからって」
「今の会社を追われたら、沖野との接点がなくなってしまう。それに……今の会社が、チームが好きだから。俺の事で全体に悪い影響があるのは、嫌なんだ」
「っ!」
そんなの、単なる脅しじゃないか!
俺は憤って……ふと、冷静になった。
「あの……俺との接点がなくなると、西尾さんは嫌なんですか?」
問いかけたら、ぎくりとする西尾さん。そういえば俺も一緒に本社にって主張してたみたいだけど、その理由って……
「……三原さんが、元カレですよね」
「あぁ……」
「元に戻りたいですか?」
「そんなことは絶対にない!」
「じゃあ、俺の事はどう思っていますか?」
西尾さんは、固まった。とても切ない目が俺を見て、何かを言いたげに口を動かしては止まる。頬が徐々に赤くなっていく。
そんな顔を見ていたら、俺の方が我慢できない。なんだよ、ちゃんと言ってくれないと俺だって動けないじゃないか。
「俺は、西尾さんの事好きです」
はっきりと伝えた。そうしたら、ビクッと西尾さんは震えて俺を見た。信じられないものを見るような目で。
「俺も、沖野の事は好き……」
「言っときますけど、友達の好きとか、信頼しているとかじゃありませんからね」
「え?」
「俺は、西尾秀一さんが好きです。likeじゃなくてloveのほうです」
俺はやっと言えた事にスッキリした。もうずっとため込んでいた。その間に何回この人でオナニーしたと思ってんだ。俺の鉄板DVDは箱に入れてクローゼットの中だよ畜生。
でも西尾さんは、信じていない感じだった。作ったような笑みが口元に浮いて、目は泣きそうな感じだ。
「冗談は止めてくれ。俺の事を知って言っているなら、悪趣味だ」
「どうして信じないんですか? 西尾さん、初めてのドライブの時俺にキスしましたよね? あれって、俺の事が好きって事じゃないんですか?」
「分かってるなら!」
「だから俺も好きだって言ってるじゃないですか! なんで信じないんですか」
目の前の西尾さんは、怯えたように固まっている。俺はその人に強引に一歩近づいて、腕を引いてキスをした。
想像以上に柔らかい。それに、いい匂いがする。俺はちっとも嫌じゃない。それどころか、切なくて熱くてたまらない気持ちだ。
「西尾さん、信じてよ。俺、冗談で男にキスできる奴じゃないですよ」
「だってお前、ノーマルだろ」
「今でもノーマルですよ、基本」
「それなら!」
「西尾さんだから、好きになったんです。西尾さんだから嫌じゃないんですよ、俺」
離さないように捕まえたまま、俺は力説した。俺はこの人だから好きなんで、別にゲイじゃない。この人限定で、まったく平気なんだ。それは立証済みだから。
「俺じゃ、駄目ですか? 頼りないかもしれないけれど、側にいます。今の会社にいられなくなったら、俺もついていきますよ。だから、無理して本社になんて戻らなくてもいいです。嫌な思い出のある場所で我慢して働くアンタを見てる方が、俺は辛いです」
「沖野を道連れになんて」
「そのくせ本社行きは俺を連れてくつもりだったんでしょ? 同じっすよ」
西尾さんは震えていて、顔を俯けたまま。俺が抱きしめたら、肩に額を乗せて震えている。泣いて、いるみたいだった。
「俺の気持ち、伝わりましたか?」
「嘘や、冗談じゃないんだよな?」
「どんだけ疑り深いんですか。本気ですよ」
「……お前はノンケだから、こんな日は来ないと。それでも側にいて、たまに一緒に食事をしたり出来ればそれ以上は望んじゃいけないと、思っていた」
「キスしたくせに」
「すまない」
「気持ちよくてドキドキしました。寝たふり、大変でしたよ」
「気づいてた。それでも知らん顔して次の約束をしてくれたから……奇跡だと思った」
「どんだけだよ。ってか、その時点で押せばよかったじゃないですか」
多分あの時もう少し押されていたら、俺はもう一度間違い起こしたんじゃないかと思う。
けれど西尾さんは俺の肩に額を乗せたまま、首を振るようにした。
「もうこれ以上、傷つくのが怖かったんだ。振り回されてもこれだけ傷ついたのに、自分からいって玉砕されたらもう……立ち直れないと思ったんだ」
西尾さんの気持ちは……分からないではなかった。俺も告白する前からフラれた時の事を考えて動けなかったヘタレだから。
それでも今回、こんなに強引にいけたのはきっと、それだけ離したくないと思ったからに違いない。俺は本気で、西尾さんの隣にいたかったんだ。
「西尾さん、俺の事好きですか?」
今ならきっと言ってくれる。俺も聞きたい。この人の声と言葉で、この人の気持ちを。
「好きだ、沖野。もうずっと前から、好きだったんだ」
「よかった。なんか、ほっとしました」
互いに望む言葉、望む気持ちを確認できた。それだけで俺は安心した。
西尾さんが顔を上げる。予想通り涙に目元が潤んでいて、それがまた色っぽかったりする。
今度はゆっくりと近づいた。キスの予感に長い睫を震わせた西尾さんが瞳を閉じるのを見て、俺もゆっくりと恋人みたいなキスをした。
ともだちにシェアしよう!