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航-14 止まらない震え

 あれから一言も話せないまま、翌日は学校へ向かった。  布団の中から様子を見計らってあの人が洗面所へ行った隙に着替えたりして。狭い部屋の中でコソコソ動くのは中々難しく、ふと我に帰ればなんておかしな事をしているんだろうと自分に呆れた。だけど顔は見れなくて、下手に逃げるしかなかった。  今日の昼食は購買のお惣菜パンにした。  朝食べられなかった分も買って、非常階段の踊り場で一人食べている。  教室ではいっくんどころか周りの子にも心配された。笑って見せても余計戸惑われた。本当に顔に出やすいんだな、オレ……。  最後の一口を飲み込んで腹を満たすと、昨日のことを思い返してみた。  名前を呼んだ後は何も言ってこなかった。震えていたのは、悪いことをしたと思っているからだろうか。  オレのこと好きって言ってくれたのに。  好きじゃなくなった訳でもないなら、なんで……。  ──「自分の意思は必要無く、相手の要求に応えて受け入れるのが当たり前だと思っている」  ──「俺の好きにしろと。……そう言われたのは初めてだった」  前に先生がそんな事を言っていた。  先生の過去が垣間見えて、もっと知りたいと思っていた。  今回の行動に理解できないのも知らない所為かもしれない。だからこそ本人の口から聞きたかったのに、開口一番にはぐらかされたのが悲しくて、結局オレは逃げてしまった。  水滴が水面に落ちて、波紋がどんどん広がっていくような不安に背筋がゾクッとした。  このままオレが逃げ続けても、あの人は……ただ消えてしまいそうな気がして。  今日先生が学校に出勤していたかも分からず、放心状態で一日を過ごした。  家のドアを開けると違和感を感じた。  何故か、部屋が広くなったような。  そうだ、馴染み始めていた先生の物が、無くなって……。  昔感じたものが蘇って、力を無くした手から鞄が滑り落ちる。  背を向ける母親と鐘人さんが重なって体が震えだす。大粒の涙がボロボロ溢れて自分の体を抱きしめるようにして縮こまる。  なんで。 「……なっ…んで……っ」  声を漏らしながら泣いてしまうと背後からドアの開く音がした。  反射的に振り返って見上げたら鐘人さんがいた。  確かめようにも視界はさらに歪んでいく。 「なっ……なんにも、言わないでっ…行こうと、しないでよ……っ!! どこにも…っ行がないっで……いっだぐせに……ッ! かねひどさんまでっオレを……っ…おいて、いがないで……っ」  涙が床板に染みていくのを見ながら喚いていた。頭の隅で傍観しているもう一人のオレは冷たい目をしている。幼い子供の様な自分に嫌気がさす。  鐘人さんは膝をついて、ゆっくりと腫れ物に触れるように抱きしめてきた。その温もりに強くしがみつく。 「オレの、側にいだいどかっ言っだじゃんか……ッ、そばにいでよ……ッおいでがないでよッ」 「……すまない」  鐘人さんの腕にも力がこもって一層胸が苦しくなった。  置いていかないで。鐘人さんだけは。  鐘人さんにだけは、背中を向けられたくない。  ただの想像でも怖くてたまらなくて、震えが止まらなくてひたすらすがって泣いた。  鐘人さんは謝罪と名前だけを言いながら、慰めるようにオレの頭を撫でつづけた。

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