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夏道-13 大事な人

 帰ると、今日も家の中は真っ暗だった。静かな空間で靴を脱いでいるとドアの開く音がして、姉貴が顔を見せた。  Tシャツ短パンでアイスバーを頬張っているいつもの姿だ。玄関で突っ立っている俺に「おかえり」と言う。 「来てたんだ」 「うん」 「彼氏と同棲してんじゃないの」 「毎日泊まるつもりは無いから。ちょくちょくうちにも来るよ」  姉貴は言いながら、部屋の明かりと小さなテレビをつけて畳の床にどっかりと座った。 「母さんの為……?」  いくら俺が鈍くても、それは分かる。  姉貴が完全に家を出てしまったら、いよいよ二人だけになって露骨なまでに避けなきゃいけなくなるだろう。それはきっと、お互いにつらい。  姉貴は首を捻って俺を見上げた。 「アンタの為」  目を合わせつつも、ぶっきら棒にそれだけ言ってまたテレビを見た。側に座って同じ方を向く。 「なんで俺」 「案の定そんな顔してるし」 「どんな顔」 「子供みたいな顔」  いや、分かんねぇよ。 「アンタは十分頑張ってるよ。負い目を感じる必要は無いさ。そろそろ……、ちゃんと向き合わなきゃいけないのは母の方なんだよ」  撮り溜めしてあるお笑い番組に特に笑わず淡々とした口調だ。横目で見ると、真剣な顔をしている。食べ終わったアイスの棒を隅のゴミ箱に飛ばし入れた。 「そんな訳で今日はこっちで寝るから」 「……家出た意味なくね?」 「部屋、広くなったでしょ」 「あぁ、そっち。それだけ?」 「そこはお前、私にも彼氏がいるんだから察しろ」 「まぁ、一緒には居たいわな」 「惜しい」 「何が」  姉貴は昔からずっとこんな調子だ。俺の態度に呆れたりはするけど、怯えるような顔を向けた事は一度も無い。  母さんと俺の間を取り持つようにして居てくれる。自分も酷い目にあったのに……、すごい人だと思う。 「私がアンタに一度も怯えなかったのはね」  考えてる事バレてるし……。 「自分より年も身長も下でいつでも捻り潰せると思ってたからだよ」 「こえーなオイ」 「アハハッ」 「依とはどうなの?」  全く別の話だけど、今の気分は変えられなかった。姉貴は、黙りこくった俺を少し見つめて視線を前に戻した。 「俺、依に嫌なことしてる……かもしれない……」  言い出すと気持ちがどんどん沈んで頭も下がった。 「暴力は…――」  最初の言葉を即否定する様に顔を上げて訴えると、呆れた顔で息をつかれた。 「どうせ好き放題ベタベタ触ってるんでしょ」 「………うん」 「でもアイツは嫌がってないでしょ」 「……俺の事で、悩んでるって……おばさんが」 「へぇー。だからってアンタが自重する必要はないと思うけど」 「なんで」  ふと、歯を見せた笑顔を向けてくる。 「絶対、嫌がる事はしないんでしょ?」  うん。しない。 「アンタは大丈夫だよ」  それは……、分からない。姉貴はどうしてそう言えるのか。また色々分かった故の言葉だろうけど、自分のことでもやっぱり俺は分からない。  でもその言葉はすごく、安心できた。  嬉しくなった。  何か悪巧みしている笑い方なのが可笑しくて、つられて笑った。 「うん。絶対しねぇ。依のこと好きだから」 「おお、やっと自覚したんだ」 「は?」

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