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依-34 ことはなし

 今なんか言ったかなと、口から勝手に出た言葉を聞き逃してしまった。でも、記憶としてすぐに起こされる。  なんて事を言ってしまったんだ。しかも、夏道相手に。  爆発した様に火照る顔を上げたくなくて、胸元に頭を貼り付けた。しばらく抱き合った状態のまま、嫌な沈黙に包まれる。  夏道が今どんな顔をしてどう思っているのか知るのが怖かったけれど、徐ろに身を剥がされてしまった。  観念して顔を上げる前に、大きな手が頭にポンと置かれる。 「……何されてもいいとか、滅多な事言うもんじゃねぇよ」  静かで少し暗い声だった。見上げてみると、その顔は微笑( わら)っていても瞳は陰っている。  頭に置かれた手は髪を撫でながらゆっくり下におりて、親指で頬をなぞった。他の指が耳に被さって、自分の体は空気を読まず軽く跳ねてしまう。違う意味で戸惑いを隠せない俺は、夏道と目を合わせても何も言えなかった。 「安心しろ。お前の嫌がることは絶対しないから」  口を開けても言葉は出てきてくれずに、手が離れていく。  待ってくれ。  何か、言わなきゃいけない気がするんだ。  何を……、何を言えばいい。  狂った調子のままでは、どんな言葉が浮かんでも出すことはできない。  夏道は、曇ってしまう俺の顔を覗くと慰めるようにもう一度頭を撫でて、「じゃ、行ってくる」と軽く手を振り駆けて行ってしまった。  完全に、言葉足らずだ。

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