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鐘人-2 記憶の底
物心ついた頃から家の事は全て自分がしていた。後ろには母親と父親がいて、テレビを見たり酒に入り浸っていた。その人達と言葉を交わしたことは殆ど無かった。
自分の名前は「お前」か「おい」だと認識していた。呼ばれてはアレを作れ、これを片付けておけなど言われ、黙って従っていた。
物言いたげに見上げるとすごく嫌そうな顔をされた。
「お前の言うことなんか聞いてない」
言いながら歯を剥き出しにして睨み下ろしてくる顔をよく見ていた。
時折観ていたテレビで言葉を覚えていた気がする。段々と自分の感情を言葉に出来るようになった。
「やりたくない。つかれた」
何日もろくに食べておらず、少しの力も入らずに疲れきっていた日、初めて言うことを断った。
途端、その顔から全ての感情が消えるのを見た。なによりも恐ろしく感じた。
「じゃあ、いらない」
直後、あっさりと外へ放り出された。
寒い真夜中だった。
地面も冷たく天井は遥か高い。テレビで見たような景色が広がっていた。
家から出たのも初めてでどうしていいか分からずに座り込んだままでいると、知らない人に声をかけられた。
その人の声や眼差し、握ってくる手が、とても優しく温かかったのを今でも覚えている。
児童養護施設に連れて行かれた時には七歳だったらしい。
「君は親に捨てられたんだ」
俺がしていた事されていた事、外に出された事全てを結びつける言葉をはっきりと言われて、初めて悲しいと思った。
施設に入って暫く経つと、ある男性がそばに来て挨拶をした。柔らかい物腰で目線を合わせてくるこの人に、俺は引き取られ養子になった。
「鐘人。かねひと、と読む。君の新しい名前だ。気に入ってくれたかな」
名前で呼ばれ、優しげな表情を向けられて嬉しかった。「やっと笑ってくれたね」と言われて自分が笑っていることに気づいた。
新しい父親との生活はどれも苦しくなるほどに眩しかった。
家事は手伝い程度、誰かの作った料理を食べ、家庭教師に勉強を教えられた。休みの日は父親と出かけ、水族館や動物園など様々な所へ遊びに連れて行ってくれた。
父親の眼差しは春の木漏れ日のように温かく、時に熱を帯びていた。
「鐘人、自分のことは『私』と言うんだよ」
「鐘人、髪は切らなくていい。綺麗な髪だからね」
数年経ったある日、いつも同じベッドで眠るだけだったのが少し変わった。
徐に跨がれ、素肌を撫でられてそのまま深く体を重ねてきた。最中も優しく頭を撫でてくれて、荒い息や熱が落ち着いてくるといつものように一緒に眠った。
そんな不思議な晩が週に何度かあったが、昼間の様子は変わらなかった。絶え間なく注がれる情に安息した。
俺は……、私は、この人に必要とされている。
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