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第7話

 下駄箱からする異臭に理人は開けるべきかどうか悩んだ末、 ゆっくりとそれを開いて ―― 閉じた。 (……なに、 これ……。 なにがぶちまけられてたんだ……?)  もう一度それを開き、 鼻をつまんだ状態で下駄箱に顔を近づける。 (ヘドロ……? え? この学校ヘドロなんてもんがあるわけ? そしてそれを誰がオレの下駄箱にぶちまけたわけ?)  結局正体がわからないまま理人は下駄箱の蓋を閉じ、 靴を脱いで靴下の状態で職員室へ向かった。  理人が通っていた中学校ならば生徒用玄関の隣に来客用玄関があったためスリッパを無断で拝借できたが、 この学校は来客用玄関は別の場所にある、 らしい。 理人はまだこの学校の校舎を把握できていない。  職員室に入り、 いち番近くにいた教師に簡単に下駄箱の現状を伝えると教師は目頭を押さえて理人の肩を優しくたたいた。 「筧、 足のサイズは?」 「26,5です」 「わかった。 そこのソファに座って待ってて。 新しいスリッパ持ってくるから。 ヘドロまみれのはあとで先生たちで片付けておくよ」 「ありがとうございます」  新しいスリッパまでくれるとは、 なんて大盤振る舞い。 ヘドロスリッパを洗ってまた使うしかないか、 と考えていた理人はほっと息を吐いた。  教師が持ってきた真新しいスリッパを履いて理人は職員室を出た。  朝礼には間に合いそうだな、と考えながら歩いていた理人の前に、数人の集団が立ちはだかった。 理人の嫌いな女モドキたちだ。 「アンタ、 調子にのんなよ」  唐突の罵倒だ。 される謂れなどないはずだ。 「随分な挨拶だな。 あんたら誰? もしかして、 オレのスリッパをヘドロまみれにした犯人? すごいね、 堂々と出てくるとか。 そこ職員室だけど、 言いに行っていい? 犯人が来ましたって」 「いいわけねえだろ! ふざけんじゃねえよ!」  男にしては可愛らしい顔を歪めて、理人の頬を打った。 「……ほんと、 すごいね、 あんた。 そこ、 職員室だってわかってんの? 器物破損に傷害? これって暴行とも言うっけ? なあ、 これが普通に犯罪だって、 わかってんの?」  はあ、 と深く溜息を吐く。  女モドキたちは犯罪という言葉にびくり、 と肩を揺らしたが猛然と理人を睨みつけてきた。 「あ、 あんたがっ、 あんたが真人様に近づかなければ、 ぼくたちだってこんなことしなかった! もう二度と、 真人様に近づくなっ」 「何様だよあんた。 オレと真人が仲良くしてるからって犯罪行為? 馬鹿なわけ?」 「うっ、 うるさい、 うるさいっ。 いいから、 もう二度と真人様に近づかないってぼくたちに誓えっ」 「断る」  ばっさりと、 はっきりと言い切った理人に、 女モドキたちはぽかんと間抜けな顔をした。 「もう一回言うけど、 おまえら、 何様なわけ? なんでおまえらにそんなこと言われなきゃなんねえんだよ」  まったく動かないその表情が女モドキたちを見下げているように、 女モドキたちには見えた。 「なあ、 お前らになんの権限があって、そんなことを言ってんの? 真人がそんなこと言ったか? 真人がひと言でも、 オレが近づくのが嫌だと、言ったか? なあ、 どうなんだよ?」   言葉を重ねるたびに女モドキたちに迫る理人と、後じさる女モドキたち。  顔を真っ青にさせて、 何も言えずに口を開けたり閉じたりを繰り返す。 「……お前らにとったら最悪に嫌なことかもしれねえけど、 真人が今、 一番大好きなのはオレだから」  もうすぐ、 それも変わってしまうかもしれないが、 それをこいつらが知る必要はない。  言いたいことを言って満足した理人は女モドキたちをよけて自分の教室へと向かった。 * * * *  今朝のことは誰にも言わずにいよう。 そう思っていた理人だったが、 部屋に帰ってきた青梅がなぜかそのことを知っていて、 心底驚いた。 「筧、 俺が所属してる委員会忘れてる? 風紀委員会だよ? 先生から連絡くるからね?」  なるほど納得。 教師経由で情報が流れるとは思わなかった。  はあー。 と大きなため息を吐いた青梅は理人にデコピンを食らわせてから自分の寝室へと行った。  着替えて戻ってきた青梅は理人のそばに立って、 食器を出したりしながら口を開いた。 「今日のことは一応内々で処理したけど、 ヘドロまみれのスリッパは証拠としてこっちで保管してるから」 「証拠?」 「いじめのね。 まあ、 犯人の心当たりはあるんだけどね」  青梅が出した食器におかずやみそ汁をよそい、 それをダイニングテーブルへ持っていく。 ふつ日ぶりに理人と青梅のふたりきりの夕餉だ。 「うちの学年で真人が大人気なのは知ってた?」 「うん、 祥から聞いた」 「中等部で外部入学してきたってだけでも噂されたのにあの容姿だからな。 男子校だっていうのにモテてモテて……。 たぶん俺らの学年でいち番だな。 そんな真人には一切統率のとれていないファンクラブがあるんだわ」 「祥も言ってた、 無法地帯だって」  合掌してから夕餉を食べ始める。箸をとめることなく、 会話も止まらない。 「真人はそれらの存在を認めないし、 認める気もない。 だからそいつらが近づこうとも真人はノーリアクション。 それが黙認されたんだってなっちゃって。 調子に乗って、 すべては真人のためだーっ、 つって。 好き勝手やるようになったんだよね」  風紀も真人が嫌で放置してるのはわかってるから真人には責任は問わないんだけどね、 と苦笑いを浮かべる青梅に、 理人は申し訳ない気持ちになった。 「今回、 ファンクラブは今まで以上に焦ってるんだよ。 あの無表情で必要以上に喋ることのなかった真人が、 筧と会った途端よく笑うようになって、 楽しそうにしゃべるようになったから」 「真人は昔は表情豊かだったよ。 オレの表情筋は全部真人にいっちゃったんだねって言われるぐらいには」 「うん?」  理人の発言にひっかかりを覚えた青梅はしかし、 話を続けた。 「うーん、 まあ、 なんにせよ、 そんな感じで、 今の無法地帯ファンクラブは躍起になってるから、 筧は明日からひとりで行動したりしないで。 朝は俺と行こう。 放課後は真人か黒井と帰るようにして」 「うん、 わかったよ。 ごめんね」 「気にするな。 これも仕事のうちだし、 俺自身が心配だから」  照れたように、 そう言う青梅に理人はパシパシと目を瞬かせ普段に動くことのない表情を緩めた。 「―――― ありがとう、 壱岐」  初めて見た理人の笑顔に青梅はぴしりと固まった。 (この破壊力は、 駄目だ)  顔を覆って突っ伏したくなるのをこらえて 「お、 おう」 とぶっきらぼうに返事をして夕餉は再開した。  

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