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俺の長い告白が終わったが、誰も何も言わなかった。智は壁を埋め尽くしているボトルをボンヤリ見ている。仁さんは変らずレコ一ドを磨いていた。
「その人とはそれっきり?」
智が口をひらいた。
「それっきりだよ。今思えば俺の目的は恋の成就じゃなかったんだよ」
「宮さん、この話誰にでもしちゃダメだよ」
「当たり前だろ、こんな恥ずかしい昔話を誰に言えっていうんだ」
「わかってないな。ただでさえ魅力的な宮さんが、そんな切ない初恋を経験しているなんて知ったら、惚れちゃうよ、誰でも。現に僕ですらクラっときた」
「俺はお前と寝ないぞ。ホ一ムグランドで面倒はごめんだからな。居場所がなくなる」
「それは僕だって同意見だよ」
「俺もこの話はしばらく封印するから、お前もそんな顔するな。押し倒したくなる」
こいつが好きになった男にどんな顔をするのか少しわかったような気がする。この顔は反則だ、まったく。
「宮さんにそんな初恋がね。反則。」
智も同じことを思ったようだ。お互いクスクス笑い合う。
「お前は俺にとっては大事な友達なんだよ。長くつきあっていきたいんだ」
「それは僕もおもってマス」
なんとなくグラスを合わせる。ビールばっかり飲んであきないんだろうか。何杯飲んでもうまそうに飲むね、コイツは。
いつもよりボンヤリした智を見ながら、さっきの顔を思い出した。ほんと、あれは反則だ。
「ええ、どうしたもんかと思ったんだけど、ええ、ええ。いえ住所を言ってくれればタクシーに乗せますし。ああ、なんか悪いですね。じゃあよろしくお願いします」
仁さんが電話を置いた。
「仁さん、そろそろ帰るね。恥ずかしい話を披露したから、どっと疲れた」
2:30。さすがにもう帰ったほうがいい。明日は休みだけど、月曜に使うテキストを作ってしまいたい。
「あ~蕎麦まで待ってくれないんだ、宮ちゃん冷たいね」
「待てない。そのカウンターの人を起こして仲好くお話をしたらいいんじゃない?」
「この人はね、こうなっちゃたらテコでも起きないの。いつも迎えに来てくれる友達がいるんだけどね。まだこないから電話しちゃった」
「じゃあ、問題解決だね。4:00とか言わないで蕎麦3人で行こうよ」
「おい、智。俺は蕎麦モードが終わった。今日はこのまま帰る」
「ええ~。僕は冷したぬきが絶対食べたい!」
あ~~あ。かわいい顔しちゃってさ。
「仁さん、早じまいできるの?」
「そうだね、もう今日は閉めちゃおうかな。宮ちゃん、俺は天ザルが絶対食べたい!」
「みなさん、蕎麦代は自分で払ってください」
「えええ~」「じゃあ、ザルにしよう」
なんで蕎麦が俺の奢りなんだ。年下の智はともかく、仁さん俺より7つも年上だろう!
とにかく迎えがきたら店を閉めて蕎麦屋に行くことになった。仁さんにいつもの2000円を渡す。チャージの1000円と智のビール2杯分。
「宮さんありがとう」
智がこぼれるような笑顔を寄こした。現金なやつめ!
「恋人だったら奢るけど、友達だから2杯が限界だな」
「恋人じゃない人達が僕のために余計に500円ずつ置いていってくれているから僕のビール貯金はけっこうあるんだよ。ね、仁さん」
ビール貯金だと?何人にビール貢がせてるんだよ!
「じゃあ、俺も1杯分だけにしようかな」
「宮ちゃん、意外と小さい男だね」
仁さんに言われてしまった。
「仁さん、こいつビールばっかり飲んで自分で金払わないわけでしょ?ちゃんと儲かってんの?」
「僕はちゃんとチャージと1杯分は払うんだよ。そんなタカリみたいな言い方しないでよ」
「智、そんな威張るようなことじゃないだろ」
「宮ちゃん、あんたら二人のおかげでこの店は成り立っているの。だから逆に毎日きてほしいくらいだよ」
「ええ?どういうこと?」
「宮さん、僕ら二人は、この店の客寄せパンダなんだよ」
「仁さん、まじ?」
仁さんはニヤニヤ笑って「お世話になってます!」と言った。やれやれ。
ボトルをいれても3500円。ボトルがあればチャージの1000円だけ財布に入っていれば心おきなく楽しめる店だ。智がいつもビールばっかり飲んでいるから、金が続くのかと不思議に思っていたのだが、そんなからくりがあたとは。
そういえば智は「このあいだどうも。おいしく頂きました」と声をかけていることが多い。律儀に礼を言われて毎回500円余計に払ってしまう可哀そうな男たち。「おいしく頂きました」「○○さん、おいしい」なんてウットリした顔で言われれば、万が一の確率に賭けてしまうのが男というものだ(俺は友人としてだ、あくまでも)
やっぱり智はかわいくない。どんだけ小悪魔ちゃんなんだか、まったく。仁さんもうまいことやってるな。俺はもう智のビール代は払わん!
「さて、トイレいってくるか。店の中にトイレがないっていうのが不便だよね、仁さん」
「宮ちゃん、毎回言わないでくれるかな。トイレットペーパーないかもしれないから持ってく?」
「いえ、使いませんので大丈夫です!」
早いとこ迎えがこないかな。少し眠くなってきた。トイレに行くために店を出て薄暗い廊下の突き当りを目指す。
明日作るテキストをどうしようか。昼までには起きないと。ものを売るのではなく付加価値を売る。この意味お違いをどうやって伝えよう。なにかいい引用があればいいのに。そんなことを考えながら店に戻った。どうやら迎えがきたようで、友人とおぼしき男がカウンターの男の腕を肩にかけようとしている所だった。
テーブルに寄りかかってその姿をぼんやり眺めていたら智がカウンターに座ったまま背中越しに俺に言った。
「宮さん、森下君に今も逢いたい?」
俺は考えてみた。どうだろうな。
「どうかな。10年も想い続けるほど、俺は純情じゃないし。興味がないといえばウソになるのかもしれないけど、会っても何もかわらないだろうな」
「なんで?今好きな人でもいるの?」
「いや、いないよ。昔の自分はもう体のどこかに見えないぐらいになって存在するだけなんだよ。森下君はさらにその一部だ」
店の隅にあったカバンを掴みカウンターの端に置く。仁さんは客を送り出しに外に出て行った。智はカウンターの真ん中に所在なげに座っている。
変なこと聞くんだな、今日は。蕎麦いくんだろ?帰る用意しろよ、そう言おうと智をみたら、そこには俺の知らない智がいた。
真っ直ぐ壁を見ながら、他の何かを見つめている。切なげに、思わず手をのばしたくなるような脆さを纏って座る男。なんだかとても居心地が悪い。
客を送り出した仁さんが戻って、思わず仁さんに呼び掛けた。
「仁さん」
「ん?」
仁さんは俺を見て、そのあと智をみる。仁さんが急に優しい眼に変わった。こんな仁さん見たことがない。
「智ちゃん、もういいだろう」
仁さんが静かに言う。智は遠いどこかを想っているような、そんな顔をしていた。
「宮さんの話を聞いて思い出しちゃった、少しね。久しぶりに」
「そっか」
仁さんが優しく智の頭を撫ぜた。ここに俺の居場所は無かった。3人で楽しい時間を過ごしていたのに、今俺だけが取り残されている疎外感で一杯だ。
こんな仁さんみたことがない。こんな智なんか知らない。
「ごめん宮さん、僕、蕎麦はいいや。誘ってくれてありがとう」
そのまま智は店を出て行った。落ち着かない、そしてざわめく。なんだろうこの気持ちは。
「なんて顔してんの、宮ちゃん」
仁さんは智が座っていた隣でスツールをクルっとまわして端に立っていた俺と向かい合う。飄々としたいつもの仁さんと目が合う。
「俺は4:00までねばってみるよ。蕎麦は今度な」
「そうだね」
「宮ちゃんに森下君がいたように、誰にでも心に忘れられない想いの一つや二つはあるものさ」
「智にも?」
仁さんは頬づえをついて俺を見る。
「智ちゃんだよ?誰をつかまえてそんなこというのさ、宮ちゃん」
「そんなこと言われても」
「そのうち智ちゃんが言うかもしれないね。僕からは言わないよ。ただね、森下君と宮ちゃんの物語が赤ずきんちゃんなら」
「赤ずきんちゃん?それは、あまりにも……」
「ヘンゼルとグレーテルでもいいよ」
「……」
「フランス映画ぐらいのレベルだね、智ちゃんのは」
「それは随分だね」
「フランス映画なら『僕を葬る』がおすすめだよ。絶対泣いちゃう」
仁さんはいつもの様子に戻っている。
「智ちゃんを尋問したら僕が許さないからね、宮ちゃんであっても」
のんびり言う仁さんは笑っているのに目は真面目だった。こんな顔をされてまで智に聞きたくはない。なんだっていうんだ、まったく。
「じゃあね、ごちそうさま」
俺は店をでてタクシ一に乗り込んだ
翌日は一日テキスト作りに励むことに決めた。今晩のことはほっておくことにした。子供の時の淡い想い。自分にとって大事だけれども過去の記憶。
違う。ひっかかっているのは智だ。俺の知らない智ばっかりだった。仁さんに言われなくたってほっておくよ。
ほんと、俺の気持ちを誰かあげてくれないものかね。
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