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 俺はあれからラスタに行っていない。今日のような土曜日は必ず足を運んでいたけれど、このひと月は一度も行っていなかった。モヤモヤの原因はわかっている、智だ。意外と俺は子供っぽいのかもしれない。  ズブロッカを舐めながら本を読んでいるとスマホがテーブルの上でブルブルと唸った。 「仁さんどうしたの?」 『なんで顔みせないの?店の売上げが上がったりなんだけどね。そろそろ宮ちゃん欠乏の男たちが電話しろってうるさいんだよ。土曜の夜に引きこもって何してるわけ?』 「仁さんの店にはない美味しいズブロッカを飲んでました。それにほっておけって言ったのは仁さんじゃないか」 『俺は店をほっておけと言ったつもりはないんですけど。宮ちゃん意外と子供っぽいね』  ケラケラと電話の向こうから笑い声が聞こえている。たしかにね、ほっておけって言われたのは智のことだけどさ。 『宮ちゃんらしくないね~』  今日の仁さんは手厳しい。 「わかったよ、顔だすから」 『やったね。宮ちゃんが来るって言えば、次回に持ち越そうとしていた何人かがボトル入れることになるね。売上げ協力アリガトウゴザイマス』  おどけた顔の仁さんが目に浮かぶ。電話を切って薄手のセ一タ一をかぶりラスタに向かった。  久しぶりの「ラスタ」店内はそこそこの入りだった。何人かに笑顔を向ける。カウンタ一の真ん中があいていて、仁さんがそこを指差すから俺の席らしい。ボトルを出す仁さんにロックをお願いして隣の智の顔を見ないで言う。 「ひさしぶりだな」 「随分僕をほっておいたね、宮さん」 「ん~なんだかね」 「僕は自分なりに折り合いをつけていたつもりが、自信がなくなっちゃって」  おいおい、随分素直だね、智。 「今日は絶対冷やしたぬきが食べたいんだ」 「わかったよ」  あんまりかわいいことを言うから、智の頭をポンポンなでた。 「冷やしたぬき奢ってやる」 「いつもどおり2杯ビ一ルもよろしく」 「お前な……」  智はいつもの智だった、少し安心する。 「宮ちゃん、久しぶりに来たと思ったら、これまた格好いい姿だね」  1ケ月ぶりの仁さん。なんだかほっとする。 「え?部屋で履いてたジーンズにセーターひっかぶっただけだけど?それより仁さん、あごひげ生やしたの?」 「あ、ひげ?片瀬君に対抗して。あの人口髭だろ?だから僕はあごひげ。」 「なんかその対抗意識がわかんないけど、結構似合ってるよ」 「宮ちゃんの太鼓判だったら問題ないね。よし、これで片瀬君と勝負だな」 「なんの勝負なんだか」 「僕の話はいいの。宮ちゃん、そのラフさ加減がいいね。いっつもスーツだからさ、そのギャップが最高だよ」 「そんなもんかね」 「だろ?智ちゃん」  急に話をふられて智がビールを飲みながら、顔をあげる。 「智ちゃんが言ったんじゃない。人間ギャップに惚れるって」  一瞬間をおいて智の頬が赤くなる。あらら、意外と子供だね、智。かわいいとこあるじゃん。 「仁さんは、大人げないな」  仕方がないから智の代わりに俺が言ってやる。 「だてに年くってないつう~の」  そう言って笑う仁さんは大人の男の顔で、ちょっとドキっとした。  俺の客寄せパンダっぷりは無事役割を果たしたようで、今夜の「ラスタ」は盛況だった。たぶん智とセットだからだろう。  今まで全然気にならなかったのに、今晩はやけに智のあしらい方が気になる。智がニコニコしながら話をしているうちに、相手が少し踏み込んでくると、キッパリと壁を張る。それを察知した相手は結局当たり障りのない話しかできなくなる。  その壁に気がつかない場合は手厳しくやりこめられる。その男は智と話すキッカケを失う。 完璧な拒絶なのに、もろそうな壁にみえるから次回再度チャレンジしてみようと思えるくらいの隙は残しておく……いや、違うな。手玉にとるのは簡単だからそれすらも面倒がっているというような。 「智、お前トップセールスになれるかもな」 「僕は宮さんの会社で売っているものとは違うものを毎日お客様に提供しているんだよ」 「ん~俺の所と料理じゃ、確かに物は違うよな」 「お客様はシビアだ。同じ味の同じ値段ならどっちにいくか?という選択肢をつねに持っている。それを満たさないといけない。店の雰囲気を重視する人もいれば立地を優先する人もいるし、サービスを選ぶ人もいる。それをつねに考えながら、重さんの料理がよりいっそうおいしく感じてもらえるように僕は過ごしているんだ。 それなのに僕のことを知りもしないで、ヘナチョコな餌を目の前に振られたって、不愉快なだけだろ?」  大いに賛同できるけど。 「うわ、俺も安易に蕎麦で智をつらないように気をつけよう~」 「素の時の宮さんは好きだよ。さわやかな俺を演じている時の宮さんは嫌いだけどね」 「蕎麦を誘うときの俺は素だぞ?」  智は俺をバカにしたような顔で見る。 「知ってるよ、そんなこと。へんなの宮さん」  智が「好きだ」と言ったから、少しだけ心臓がはねただけだ。この前から俺は少しおかしい、確実に。 「あれ?」  頭がぼーっとする。なんだ、俺寝てた? 「あれ?じゃないよ、宮ちゃん。商売あがったりじゃないか」  仁さんが呆れたような顔でみるから慌てて時計を見たら、もう1:30だった。この店に来て1時間程度で寝入ったことになる。疲れていたとはいえ、めったに寝ない俺はびっくりした。 「なんだろ、眠ることなんてなかったのに。あらら~店は閑散と~」 「誰のせいだと思ってるんだよ」 「いや、ちゃんと何人かには笑顔を振りまいたよ。いちおう」 「まあ、呼びつけたのは僕だしさ、そんで智ちゃんまでなんだよ」  智が隣でカウンターに腕を枕に眠っている。 「珍しいな、寝るなんて」  今日の蕎麦はなしだな。ちょっと残念だけど。 「仁さん、帰るわ」  カウンターに2000円置く。伸びをして席を立とうとしたら1000円戻ってきた。 「なんで?智飲んだだろ」 「それは他の客から頂いたからいいんだ。智ちゃん連れて行って、タクシー代」  俺は固まった。 「いや、家知らないし。仁さんが連れて帰ればいいじゃないか」  この間も二人は仲よしな雰囲気だったしね。また少し心がざわめく。 「4:00までこのままにしておいたら、どこのどいつに持ち帰られるかわかんないし」 「仁さんが許さないでしょ、そんなこと!」 「あんまり最近寝てなかったと思うんだよ、智ちゃん」 「だからってなんで俺が」 「朝起きて一人でいることに気がついて、あ~朝か……ってね、思ってもらいたくないんだよ。ほら飲めよってコーヒーが出てくるような朝がたまにあってもいいじゃない?」  何を言いたいんだ?仁さん。 「僕はコーヒーいれてもらいたい派だから、その役はできないんだ」  ちょっと何?仁さん? 「智ちゃん、今ちょっと弱ってる。だから少し甘やかしてあげて。僕からのお願いだよ」  なんだかよくわからないけど、智を連れて帰って寝かせればいい?そしてコーヒーを飲ませるんだな。 「わかったよ、連れて帰る」 「ありがとう宮ちゃん。僕にもできることと出来ないことがあるんだ。悲しいけどね」  そう言って智を見つめる優しいけど、寂しそうな仁さんを見て、なんだか胸が痛くなった。  智を抱えるようにしてタクシーに乗せると運転手に行き先を告げて自分も乗り込む。さて、智をソファに寝かせるのか?自分のベッドに寝かせるか?服着たまま?服着たままは翌朝疲れがとれてないんだよな。脱がして怒られるのも嫌だしな。 「どこいくの?」  俺の肩にもたれていた智が呟いた。目を閉じているし寝息が聞こえる。寝言に応えるとロクなことがないらしいが、いたずら心で聞いてみた。 「ん、家に帰るとこ」  スースー寝息だけが聞こえる。街灯が流れていく真っ暗な窓の外を眺めていたら、智が呟いた。 「ん、わかったミサキ」  ほらな、寝言に応えると、ろくなことがない。 「お前、少し自分で歩け」  半分起きているのか寝てるのかしらないが、フニャフニャじゃないか。 「ったく、せめてエレベーターまで協力しろ」  智は少しいぶかしげに俺を見て、何度か瞬きをした。 「言っておくけど、智がさっき呼んでたヤツじゃないぞ。残念ながら宮さんです」 「ん~。違うよ。呼んでない」 「まあ、いいけど」 「報告したら笑ってた。だから僕は「わかった」って言ったんだ」  あいかわらず足元がしっかりしないから、結局抱きかかえるようにしてエレベーターに乗せる。こいつ今晩何杯飲んだんだ? 「宮さんだってわかってたよ……僕」  そういうことにしといてやるよ、智  部屋にあげてベットに仰向けに転がした。シャツのボタンを外すと智の手が俺の腕を握った。信用ないのか、俺は。仁さんにだったら素直に脱がされるだろ?つまらないことにこだわっているな俺は。 「智、シャツがしわになる。これを着たまま寝れば疲れがとれない。それだけだ、安心しろ」  掴んでいた指が緩んで、そのまま手に重なってギュッと握られた。年甲斐もなく赤くなってしまった。Tシャツにパンツじゃさすがに肌寒いだろうと思いなおして、タンスからパジャマを取り出す。前ボタンをはずして、しばし悩んだすえ上半身を起こした。自分の胸にもたれさせてパジャマを着せる。めちゃめちゃ軽い。 「智、おまえ、ちゃんと飯食ってんのか?ビールばっかり飲んでないで固形物食べろ」  ベットに横たえて前ボタンをとめベルトを緩める。最初は少し照れたが、もうここまできたら介護人の気分だ。バックルをはずしてジーンズを一気に脱がせてパジャマの下をはかせた。多少ずれていても、あとは自分で直せ、そこまでは面倒みられん。  智のカバンを枕もとにおいてカーテンを閉める。タオルケットと羽毛布団をかけてやったら、智が目を瞑ったまま呟いた。 「宮さん、ありがと」  そして智の目じりから一滴涙が零れて頬から耳へと流れた。寂しそうに優しい目をむけた仁さんの気持ちがわかるような気がした。そっと手の甲で涙をぬぐって、おでこに唇を落とす。 「ちゃんと寝ろよ」  寝室をでた俺はなぜか、どっと疲れた。着替えて毛布をかぶってソファに横たわると、仁さんの言ったことが頭をグルグルとめぐる。  「あ~朝だなって思って欲しくない」「僕はコーヒーいれてほしい派だからできない」いったい何を言いたかったんだろう。  デコにキスをしたのは、あいつがなんだかしらんけど泣いたせいだ。俺の意志じゃなかったと言ってやるって……誰に?そんなことを考えているうちに眠りにおちた。

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