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 腰の痛みで目がさめた。一瞬自分がどこにいるかわからなくなったが、リビングの天井であることに思い当たる。そうだ、智を連れて帰ってきたんだった。  目をこすって伸びをする。時計は9:00すぎ。昨日着ていた服を手にとったらタバコ臭くて辟易する。タバコを吸わないので、この匂いだけは我慢できない。洗濯機に服をつっこみ考えた。智もタバコを吸わないし、一緒の場所にいたからあいつの服も同じ状態だろう。  寝室に入り音をたてないようにクローゼットをあけて服をひっぱりだす。智に目をやるとグッスリ寝ていた。寝ている智はとても穏やかで少し子供っぽい。長い睫毛が伏せられて丸まる姿に守ってやりたいような気持が自然に湧きあがってくる。かわいくない事ばっかり言っている智と同じ人間には思えないくらいだ。  『人間ギャップに惚れるんだよ』……この寝顔も反則だ。  智の服も洗濯機に入れてスタートさせる。さてと、仁さん。コーヒーだっけ?  いつ起きてくるかわからないので、先に飲むか。窓をあけて空気を入れ替えて、CDをセットする。軽くまったりとしたボサノバが心地よい。日曜日はこの時間が一番好きだ。まだ休みが始まったばかりだと思えるから。夕方になると月曜日が近づいてきて恨めしい気持ちになるのは考えないでおこう。  新聞をポツポツ拾い読みしながらコーヒーを飲む。洗濯ものを干し終わったらドアが開いた。 「宮さん……おはよ」  智が寝ぼけた顔で隣に座る。俺のパジャマだから智にはサイズが大きい。それが一層智を幼く見せていた。 「具合悪くないか?」 「うん、大丈夫」 「コーヒー飲むか?」  智は俺の顔を見てニッコリ笑った。 「うん、飲みたい」  またしても心臓が一瞬跳ねる。それを悟られないように、そそくさと立ってコーヒーを注いだ。用心深くコーヒーに息を吹いて少しずつ飲む智は子供みたいだ。 「智、猫舌か?」 「うん、でもぬるいのは嫌なんだ。熱いのがぬるくなったのは良いんだけどね」 「わがままだな」  智は俺の言葉は聞こえていないように何も言わない。 「宮さん、おいしい」  本当にうれしそうに素直に言うから何も言えなくなってしまった。 「洗濯したの?僕の服がなかったんだ」 「うん、勝手にした。タバコ臭くてさ、とてもあれを着て帰すなんて出来ないってぐらいひどかったから」 「乾くかな?」 「乾くだろ、夕方には大丈夫だ」 「それまで、このままでいるの?僕」  少しふて腐れたような顔をして俺のパジャマに包まれている智。正直ずっと見ていたいぐらい可愛かった。でも可愛いといったら殴られそうだから言うのはやめた。 「しょうがないだろ、俺のチノパンでも履くか?殿中でゴザル!みたいになるぞ」  想像したらおかしくなって笑ってしまった。 「このままでいいよ。笑うことないじゃん」 「写真に撮ってラスタで売ればビールより高く買ってくれるかも?」 「いいよ、撮れば?」  どうでもいいよ、そんなことみたいな顔をして言うから少し虐めたくなった。 「もったいないから俺だけの記憶にしておくよ」  プイとそっぽを向いた頬が赤いように見えるのは気のせいか?  久しぶりに心が温かい、そんな日曜の朝。  少しウトウトしていたらしい。智が俺の肩にもたれて眠っていた。智の頭を膝に乗せる、自然にそうしていた。 「ん」と呟いて、そのまま寝入る智を見て思う。可愛くないところが可愛いと思っていたけれど、今は文句なしに可愛い。  まずい、非常にまずい。何気ない一言や表情で跳ねる自分の心臓。思わず抱きしめたくなるような想い。  持っていかれた。俺はどうしようもなく智に惹かれている。心に落ちてくる存在を大事にしたい。その結論に至り認めないわけにはいかなかった。  膝に感じる心地よい重みを愛おしく思いながら目を閉じる。穏やかな日曜の朝、俺は久しぶりに幸福感に包まれていた。 「宮……さん?」  智の声がして目をあける。膝の上であおむけになった智が俺を見ていた。 「僕ねちゃってたんだ。重くなかった?」 「お前ちゃんと食べてるか?」 柔らかい髪をなぜる。智は怒らなかった。 「今、何時ごろ?」  壁にかかった時計を見る。 「11:40すぎ。けっこう寝たみたいだな、俺達」 「お腹すいたね」 「でも、冷蔵庫空っぽなんだよ」  智はむっくり起き上がって台所に向かった。 「冷蔵庫あけていい?」 「お前、そういうところきっちりしてるんだな。」 「だって勝手にヒトのうちの引き出しあけたりしちゃ失礼でしょ。冷蔵庫もだよ」 「海外の映画みると、勝手に冷蔵庫あけたり、一晩ベッドをともにした女が引き出しあけたりするじゃない?あれみるたび抵抗を感じるんだよ」  台所から顔をだして智が笑う。 「わかるよ宮さん。僕は自分の台所で誰かが料理をするのも、あんまり好きじゃない」 「俺はそこまで台所に思いいれはないよ」 「棚あけていい?」 「いいよ、どうせロクなもん入ってないし」  しばらくガサガサしていた智が戻ってきた。 「本当に何もなかった。でもパスタがあったからパスタはできそうだ。ちゃんとディチェコのパスタだったよ、宮さん」 「よくわからないけど、あの水色がうまそうに見えたんだ」 「リングイネだったから、ちゃんとしたソースのほうが絡むね。宮さん、ワインを飲もうよ」 「昼間っからか?」 「せっかくの日曜だよ」 「たしかにね」 「僕は買い物にいきたくてしょうがないのに、着る服がないから外にいけないんだ」  ニンマリしながら言う智。 「俺の服きていけよ」 「殿中でござるって言ったの誰?」  いかにも借り物ですといったサイズの合わない服装で買い物をする智を想像した。そんな姿を他人に見せてやる必要はない! 「わかったよ。俺がいく。他に何かいるものあるか?」 「じゃあ、トマトを2コ。高かったらプチトマトでもいいよ。にんにくとベーコン。バケットが食べたいな。なかったら硬いパンがいいね」 「わかった」  智に言われたものと食材を適当に買い込み家に戻る。 「さてと。ごはん、ごはん」  テキパキと材料を切り分けはじめる智を横目に、ワインをあける。グラスについで渡すと、嬉しそうに受け取って俺のグラスと合わせた。 「15分ちょうだい」  手伝おうと思ったけど、出る幕はなさそうなのでリビングに戻る。  ラスタにいる智は、俺の部屋にいるときとだいぶ違う。防御壁を巡らせて踏み入る相手に容赦しない智はここにいない。実に穏やかな男だし、おまけに可愛い面も持ち合わせている。自然な智との時間はとても心地よかった。  昼下がりのワインも相まって、ふわふわした気持ちになる。穏やかで心地いい。 「宮さん、できたよ」  テーブルに並べられた料理をみて自分が空腹だったことを思い知らされる。 トマトソースのパスタとブロッコリーのサラダ。炒めた何かわからないもの。軽く焼かれたパン。 「トマト缶と冷蔵庫のブロッコリーとツナ缶、あと玉ねぎを使ったよ」 「おう、どうしていいかわからなかったからちょうどいい。ブロッコリーって体に良さそうだけど、ゆでるのが面倒だったし」 「パスタはアマトリチャーナにしたよ。玉ねぎがあったから。ブロッコリーはガーリックオイルでサラダにした。茎はもったいなからツナと炒めた」 「うまそうだ。いただきます!」 「宮さんちゃんとしてるね、『いただきます』するんだ」 「当たり前だろ、食材達と作ってくれた人に感謝だ」  智は嬉しそうにほほ笑んだ。  本気で感謝したくなるほど、料理は美味しかった。専属で俺の料理人になってほしいぐらいだと、考えている自分に赤面する。なんてことを想像しているんだ俺は。皿を洗うために台所に一人でよかった。目の前に智がいたら、バカにされそうだ。絶対そんな顔をしていた、今の俺は。 「宮さん、本いっぱいあるね。最近読んでなかったから、見てもいい?」  リビングから聞こえる声に思わず笑みがこぼれる。ほんとにいちいち断るんだな、こいつは。 「どうぞ、好きなもの持って行っていいぞ、貸してやるから」  何冊か抜き出し、あらすじを確かめたりページをめくったあと1冊選び出した。そのままソファに寝転がって読みだす。  智が選んだ本は「ヒューマンファクター」G・グリーンの傑作だ。それにこの本は俺が今まで読んだ中で10本の指にいれるほど好きな本。つくづく期待を裏切らない男だ。  俺はパソコンを立ち上げ、メールをチェックしたあとテキストを作り始めた。ページをめくる音、キーボードをたたく音、コンポから流れるゆったりとしたリズム。誰かといるのに、一人でいる時より心地いいのが不思議だ。  20分ぐらいして智が急に起き上がった。 「宮さん、この人すごいね。序文と第1章読んだとこなんだけど、この本すごい!」  少し興奮ぎみに話す顔をみて何だかうれしくなった。 「俺も同じことを思ったよ。静かなのに全然穏やかじゃない空気があるよな。シンプルでまったく作為的じゃないのになぜか不安を感じるような、何かがやってくるような文章だ」 「大事に少しずつ読みたいけど、一気に読んじゃいそう」 「2~3時間あれば読めるだろ?服もまだ乾かないし」  俺はまだこの時間を共有したかった。 「小学5年の時に初めて読んで、それから何回も読み返している本があるんだ」 「へえ、なんて本?」 「『青い城』モンゴメリだよ」 「赤毛のアンのモンゴメリ?」 「うん、赤毛のアンは読んだことがないしモンゴメリもこの1冊しか読んでないんだけどね。この本の中で男女二人が、夜に道端で車を待つシーンがあるんだ。ガス欠になっちゃって。30分だったかな、1時間だったか忘れちゃったけど、沈黙が続いてもお互いに気まずくなかったら二人は友達になれるっていうセリフがでてくる。僕はこの言葉が好き。 宮さん、僕がこのまま、本読んでいても……いいよね?」  手探りのような智の言い方に思わず目じりが下がる。 「随分弱気だな、智。俺はさっき考えていたんだ、似たようなことを」 「どんな?」 「一人でいるより、お前がいて互いに違うことをしているのに心地いいのはなんでかな?って」  智がちょっとポカンとしたあと少し悲しい顔をする。変なこと言ったか? 「智、なんでそんな顔をする?」  再びソファに仰向けになった智の表情が見えない。 「気にいった服を見つけたのに自分の予算よりゼロが3つも多かった。そんな気分になっただけ」 「宝くじにあたるかもしれないぞ」 「望みがないものに300円だって出したくないんだ、僕は」  俺はパソコンの前からテーブルに行き、智の飲みかけのグラスからワインを一口飲む。 心ここにあらずといった顔の鼻をつまんだ。 「んっ!」 「智、勝手に諦めたり悲しんだりするなよ」 「今は当たりくじが道端に落ちていたらいいのにって考えてた」 「お前が思うほど、高くないと思うけどね」  俺は新しいワインを取りに台所に行く。二人の会話は何を意味しているのか互いにわかっているけど、言葉遊びのように交わされている。これはこれで面白い。「本当は何がいいたいんだよ」なんてお互い絶対言わない。  ほんとにおもしろい男だな、お前は。そうそう出逢えないだろうな。リビングに戻ると智は読書を再開していたから、俺もパソコンに向かう。  こんなに満ち足りた日曜日を過ごすのは、初めてかも知れない。 「智、おまえ日曜いっつもなにしてんの?」 「掃除と洗濯かな。それがなかったら何もしてないね」  乾いた服に着替えて、俺の本棚から何冊か選んでカバンに入れている。 「あのさ……暇な時、ここにこいよ」  智は俺の顔を真っ直ぐに見た。ここで引いたら駄目だと感じたからさらに言葉を重ねる。 「久しぶりにいい時間だったんだ。一回きりじゃもったいない。だからおいで、智」  真っ直ぐな視線と裏腹にぶっきらぼうな返事が返ってくる。 「またパジャマ貸してくれる?」 「え?」 「宮さん土曜日はラスタでしょ?また僕を連れて帰ってよ」  平坦な口調なのに、言っている内容は俺の希望以上だ。またしてもやられた。 「今度は自分で着ろよ。お前を着替えさせると疲れるから」 「そうするよ。それじゃあ、本ありがとうね」  そして智は出て行った。  日曜が終わってしまった。でも明日から頑張って乗り切れば、また週末がやって来る。バカみたいに前向きな自分に呆れつつ緩んだ口元を手で覆った。

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