2 / 62
【震える指先】
◆小説用お題ったー。様より
~お題【震える指先】~
どんな人も、たちまち幸福にしてしまう音楽は、確かに存在する。
病める人の心を救い、泣いている子供を笑顔にし、愛を誓い合った二人に祝福をもたらす。
彼が作曲した作品を、国民は【福音】と呼んだ。
恋人と暮らし、近隣の住民と毎日言葉を交わし、慎ましやかだけれどありふれた幸福に、彼は包まれていた。
だからこそ、彼の作る音楽は幸せに満ち溢れている。
「ピアノを弾けたら、君が作った曲を毎日奏でるのにな」
そう言って微笑む恋人は、生まれながらに両腕が欠損していた。
けれど、恋人はそのことを嘆いたりしない。そんなひたむきなところに、彼は惹かれたのだ。
「それなら、毎日口ずさんでもらおうかな」
彼がそう言うと、恋人は笑みを返す。
二人で笑い合うその瞬間は、夢のように幸せだった。
* * *
彼は毎日のように、音楽を生み出す。
世界を幸福にするためだとか、そんな大義名分は持たずに。ただひたすらに、曲を作る。
──そうすると、恋人が笑ってくれるから。
ある日、彼に王命が下された。『国の創立記念式典で演奏する協奏曲』の作曲だ。
そんな大それた音楽は作れないと、彼は断ろうとしたけれど……恋人に強く背を押され、作曲を決意。
毎日毎日、楽譜に音符を描き続けた。
* * *
王命が下されてから、一ヶ月後。
創立記念日を祝福する協奏曲が完成し、楽譜を届けるために彼は、国王が待つ宮殿へ向かった。
楽譜を受け取った国王は、彼を絶賛。
その喜びを恋人へ伝えるため、彼は駆け足で帰路に就く。
──異変に気付いたのは、その時だ。
「──黒煙……っ?」
恋人が待つ、彼等の家は……燃えていた。
──腕を持たない恋人は、どうやって逃げたのか。
非情な現実という刃が、彼を刺す。
──助かるはずが、ない。
頭の片隅では、しっかりと分かっていたのだから。
* * *
創立記念式典を無事に終えた翌日、彼を気に入った国王から再度、王命が下った。
今度は『王子の結婚を祝福する音楽』の作曲だ。
とても素晴らしい、王子の門出を祝えるのなら本望だと、彼は王命を引き受ける。
急いで作曲しようとペンを握り、彼は楽譜に視線を落とす。
──握られたペン先が、小さく震えた。
「楽譜って、なにを描くんだっけ……?」
恋人を失った彼に……【福音】は、訪れない。
【震える指先】 了
ともだちにシェアしよう!