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【トリコロールモンド】

◆思い付きで書いた短編です。  ──世界は三色で分けられる。  そう言っていたのは、誰だったか。……確か、先輩だ。 「好きな人を、赤。嫌いな人を、青。……もうひとつは、なんだと思う」  キャンバスを絵の具で埋め、鮮やかな絵を描くその後ろ姿が、好きだった。  真っ直ぐにキャンバスだけを見ながら、本当に会話をする気があるのか疑わしいその冷めた口調も、好き。  一切俺を見てくれない、その目も……大好きだ。 「黄色、ですか」 「いいね。でも、僕のとは違うかな」 「先輩のもう一色は、何色ですか」  キャンバスに押し付けていた筆が、ピタリと止まる。  これは、俺の問いかけに対する答えを考えてくれているわけじゃない。この静止は『このキャンバスに、次は何色を塗りたくろうか』と。そう考えている熟考の、静止。  そしてその手を動かすまで、先輩は喋らない。  やがて……先輩の手が、動く。 「キャンバスと同じさ」  なにも塗られていない余白に、先輩は色を乗せる。  ──それは、目にも鮮やかな黄色だ。  黄色でキャンバスを彩る先輩の答えを、俺は言い換える。 「……白、色」 「そう。無関心を、白色」  話ながら、先輩は理想の空想を描いていく。 「僕にとって世界は、純白。とてもとても美しい、白色だ」  おそらく先輩は、口角を少しだけ上げて呟いているだろう。  それは歌う様に、だけどそれは吐き捨てる様に、笑う様に、泣く様に。  ……先輩はその真っ白な世界を、どう思っているんだろう。  ──その世界は本当に、美しいのだろうか。  ──それとも……ヤッパリ、なにも感じないかもしれない。 「君の世界が何色か、聞かせてくれるかい」  手を止めず、背後で椅子に座っている俺に対して……先輩が訊ねる。  きっと、聴かない。  ただ、聞くだけ。  ──それでも俺は、構わない。  ──それでも俺は、あなたに伝えたいから。 「──俺の世界は、いつも……赤色、です」  いつも傍に居させてくれる、先輩が居る世界。  絵は描けないし、技法とかも詳しくない。そんな俺でも、先輩はいつも美術室に招いてくれた。そして今日だって、見学させてくれている。  きっと俺の世界は、燃える様に赤くて、とても冷たい真紅色。……先輩にそう伝えたら、少しは興味を持ってもらえるだろうか。  ──少しは……この赤が、先輩の白いキャンバスに、色移りしたらいいな。 「赤色か。それはとてもいいね」  そう呟くと、先輩が手を止める。  ──もう、終わりは近いのかもしれない。  筆をパレットに乗せて、先輩は動きを止める。絵の完成が近くなると、先輩は手を動かしていても喋らなくなるんだ。  だから俺は、邪魔をしないようにそっと立ち上がった。物音を極力抑えて、さりげなく。  ──すると、先輩に呼び止められた。 「待って」  先輩に呼び止められるのは初めてで、慌てて振り返る。  ──不意に、冷たいなにかが……頬に、押し付けられた。 「え──」  ──それは、筆だ。  先輩が、持っていた筆の先端を俺に押し付けたらしい。  絶句していると、先輩はすぐにキャンバスへ向き直った。 「さようなら。気を付けて」 「あ……は、い……っ」  訳も分からず、俺はひとまず会釈をする。  先輩からはもう、なんの言葉も返ってこない。だから俺はそのまま、美術室を後にした。  ──頬に塗られた色を知るのは、それからほんの……数分後。 【トリコロールモンド】 了

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