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【ありがとうは、言えないよ】
◆自分で考えたお題より
~お題【さよならは、言わないよ】~
──もう、思い出すことしかできない。
美しい花々が咲き誇る庭園を、共に駆けたこと。
大人よりも背の高い木に登って、世界の全てを見渡せた気になっていたことも。
誰かを守るために、初めて刀を握った日のことさえも。
──もう、全て、遠い日の……思い出。
「変わってしまったね……全部」
濡れた土の感触は、とても気持ち悪い。昔はそんなこと……考えも、しなかったのにな。
ゆっくりと視線を動かしても、花は見えない。……ただの一輪も、だ。
「ねぇ、知っている? ある者は、美しい花を咲かせる木を見てこう言ったらしいよ」
俺の上で馬乗りになった男が、俺を見下ろしながら……語る。
歌うように、囁くように、呟くように。
「『美しいものの下には、きっと、醜いものが埋まっている』ってね」
美しい花が咲く、あの日の庭園。きっとそこにも、醜いものが埋まっていたのかもしれない。
──そんな仮定の話、今は聞きたくない。
反論をするために息を吸うも、酷くむせただけ。無様に咳き込む俺の言葉は、俺に跨る男にはきっと……届いていない。
男は不意に、空を見た。
「あの頃は……世界の全てを知った気に、なっていたよね」
高く伸びる木に登って、庭園を見渡した日のことだろうか。
……きっと、そうに違いない。俺たちはいつだって、一緒だったから。
「君がさ……病弱なくせに、刀の鍛錬を始めた日は戸惑ったよ。『いつか倒れるんじゃないか』って、気が気じゃなかった」
空に向けていた瞳が、俺を見る。
いつだってこの男は……俺と一緒に、いてくれた。
この庭園が枯れる時も、大きな木が無残に燃やされた時も、俺が刀を握れなくなった時も……。
血を吐きながらも、俺はゆっくりと……男に向かって、手を伸ばす。
「……苦しい?」
俺の手を握り、男は訊ねる。その声があまりにも優しいから……俺は思わず、情けなく頷いてしまった。
「大丈夫、怖くないよ。……病気になんて、君は奪わせない」
男が、刀を抜き取る。
庭園を駆け、木に登ったあの日。……俺は男に、頭を下げた。
『──最期を思い描くことが許されるのなら、俺はお前に斬り殺されたい』
お前に『縁起でもない』と泣いて叱られたあの日のことを、俺は一度だって忘れたことがない。
──お前も、そうなのか?
はくはくと、口を動かす。声にならない声を、お前は受け取ってくれるだろうか?
「この庭園には、もう……綺麗な花は、咲かないよ」
──そんなに悲しいことを、どうして今、言うんだ。
──よりにもよって……他の誰でもない、お前が。
答えはすぐに、俺の頬を伝った。
「──だって……綺麗なものの下には、醜いものを埋めなくちゃいけない。だけど……僕が今から埋めるものは、ちっとも醜くないんだ……っ」
刀が、月明かりを反射する。
お前の目に、俺は……どう、映っているのだろうか。
血を吐き、汗を流し、お前の涙で濡れた俺が……どう、見えている?
「さよならは、言わないよ」
お前の目に映る俺が、せめて……少しでも、美しくあるように。
俺はゆっくり、口角を上げてみた。
【ありがとうは、言えないよ】 了
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