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【風邪をひいた男の話】
◆思い付きで書いた短編です。
──風邪をひいた。
──人生初の、風邪だ。
二十九歳にして初の、風邪。
今まで『バカは風邪をひかないからな~』なんて揶揄われ続けていたが、違う。そうじゃない。なぜなら俺は……学生の頃、いつだって成績が学年首位だったからだ。
そんな俺がどうして風邪をひいたのか。……その理由は、いたってシンプル。
「──お前、ぜってェ許さねェ……ッ」
隣でぴんぴんしている恋人を見上げて、俺はそう呻く。
するとなぜか、笑顔が返される。
「こ~らっ! 看病してくれてる人に対してその言い草はな~に~っ?」
「誰のせいで風邪ひいたと思ってんだ。ブチ刻むぞ」
「怖~いっ!」
濡れタオルを俺の額に乗せてきた男は、わざとらしく怯えてみせた。
いつもならデコピンの一発でもくらわせるところだが、体が思うように動かない。
「二十九歳独身男性のキミに質問ですっ! ……【初めて】の感想は~っ?」
「その言い方やめろ」
「え~っ? 初めてひいた風邪の感想だよ~っ? なんだと思ったの、エッチ~っ!」
「お前マジでブチ刻む……ッ」
──風邪の感想を訊くのに、わざわざ俺の唇を指で撫でるんじゃねェ。
という文句は飲み込む。……イヤ、あんまり飲み込めてねェか。
数発デコピンをかましたいところだが、生憎と体が怠い。
風邪──というか、熱ってこんなに辛いものなのか。俺がグッタリと倒れていると、正座したまま、男が笑う。
「汗かいてて、目もウルウルしてて……凄く、そそられるねっ」
「天使みてェな顔で悪魔みてェなこと言うんじゃねェよ……」
「今、ボクのこと『天使みたいに可愛いくせして男らしいところ見せるんじゃねーよ、大好きだ』って言った~っ?」
「お前の耳、どうかしてんじゃねェの……」
駄目だ、大声が出せない。普段なら怒鳴っているのに、今日はそんな元気もないらしい。
人生初の高熱体験を『興味深い』と分析する余裕もなく、俺は目を閉じる。
「お前、もうどっか行け……」
「え~っ? なんでなんで~っ?」
「ウゼェな。……体が休まんねェんだよ、バカ」
「へ~っ? ……ふ~んっ?」
話を聞いているのか、いないのか……。正座をしたまま、男はまったく動こうとしない。
「……んだよ、どっか行けって」
毛布からなんとか手を出し、ひらひらと振る。
すると……その手を、掴まれた。
「は……っ?」
出て行けと言ったのに、男は動かない。それどころか、手を掴んできただなんて。
「……俺の話、聞いてたか?」
「うんっ、モチロンっ」
「なら、なんで座ってんだよ……」
「ん~……そうだね~?」
俺の手を掴む指が、するりと動く。
そのまま……きゅっと、握られた。
「どっか行ってほしいならさ、もう一声ほしいな」
「……どういう意味だよ」
「口は悪くても頭はいいんだから、ちゃんと考えてみてよ」
指が、強弱をつけて俺の手を握る。
──頭が、回らない。
──だから、声も出せなかった。
それでも……ハッキリと、分かるのは……。
「──『お前に風邪をうつしたくない。心配だから、出て行ってほしい』って。……そう言ってくれたら、出て行くよ」
天使みたいな顔をした彼氏が、悪魔みたいな要求をしているということだけ。
「……誰も、ンなこと言ってねェし……思ってもねェよ」
「そ~なんだ~っ? ……じゃあ、座ってるねっ」
「お前マジで痛い目見るぞ」
「それが【風邪】って意味なら、大歓迎っ」
握られた手が、持ち上げられる。
「キミからの熱なら、全然オーケー」
そう言い、男は俺の指にキスをした。
──そんなこと、しなくていいから。
──頼むから、俺から離れていてくれ。
──早く離れてくれないと……熱のせいで、甘えたくなっちまう。
そう、言えたのなら……。雨の中、傘も持たず散歩に出かけたお前を探して、雨に濡れたりしない。
そもそも、風邪なんてひかなかったんだよな。
【風邪をひいた男の話】 了
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