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008 今はまったくその片鱗がない1-3
「おいしそうですね」
「ありがとうございます……」
弱ったアロイスに気づいていない顔で「どうやって買うのですか」と購入の仕方をたずねる。
彼の師匠であるパン職人は「庶民の食べ物で腹を壊して訴えられたら敵わねえ」と堂々と追い払おうとしてくる。これは本気ではなく、彼なりの愛嬌だ。
「お腹を壊すようなものを売っていないことは知っていますよ」
「……パンとは、いろいろな種類があるのですね」
俺がパン屋に入ったことをユーティも不思議に思っているらしいが、初めて入ったパン屋に興味を持っている。
「いいじゃない。アロイス、オヤジさん」
店の奥からゾフィアが顔を出した。
普通のメッツィラ商会とパン屋は中で繋がっている。
俺が馬車を止めた時点で、俺が来ると商会には分かっていたはずだ。
パン屋に入るとは思わなかったので、驚かせただろうし、身軽だったのでゾフィアが対応に来たのだろう。
現在のゾフィアは十歳。
まだまだ子供だが、大人の世界や貴族社会がどんなものなのか知っている齢だ。
俺たちを子供だと思って舐めないが、一人前にもあつかわない。
「うちのパンを坊ちゃまが気にしてくださっている。喜ばしいわね」
「ゾフィア、次期プロセチア家のご当主を……」
「お世話になっております、クロト・プロセチアです。ゾフィア嬢」
俺があいさつをすると驚いたようにゾフィアとアロイスが名乗る。
アロイスは家名を口にしなかった。
やはり、脱メッツィラ商会と思っているのだろう。
「ゾフィア嬢、妹のユースティティアにオススメをお願いします」
「え!? はい……ユースティティアさま、こちらへ」
どうしてか、ゾフィアはビックリした顔で俺を見てから顔を赤らめた。
「ティアとお呼びください。ゾフィアお姉さま」
「……ゾフィーでいいわ。お姉さまなんて、初めて言われたわ」
俺たち家族はユースティティアを「ユーティ」と呼ぶが、一般的に愛称として親しまれるのは「ティア」だ。祖母の愛称が「ティア」なので、身内は「ユーティ」と呼ぶのが普通になっている。
第二王子であるカールがユースティティアをユーティと呼ぶのは、身内感覚というよりも俺の呼び方がうつっているのだろう。
「……あの、申し訳ございません。失礼な振る舞いを」
「恐縮しすぎだ、アロイス」
「――はい」
顔を真っ赤にして、前掛けを握りしめてもじもじするアロイス。
挙動不審だが悪い人間ではない。
彼はプロセチア家の厨房を任されるようになって半年後に殺人を犯す。
それから度々、彼は人知れずに使用人たちを殺していく。
今はまったくその片鱗がない。
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