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010.5 どんなときも君の幸せを願っているよ1-1

『――早く死になさいよ、役立たず』      それはサエコの声だった。言われているのはユースティティア。  怯えた顔で自分の赤みがかった金髪をいじっている。  仕草の幼さに反して、体は成熟していた。  十三歳でも、まして三歳でもない。    サエコごときにユーティが罵倒されるなどありえない。  逆ならともかく、この構図はありえない。あってはならない。  異世界からやってきただけの少女が侯爵令嬢よりも上の立場になるはずがない。  勇者として召喚された人間であっても、世界を救った英雄であっても、守られるべき立場と常識や礼節がある。  この世界の法則を捻じ曲げれば反動は当然ある。  どんな立ち振る舞いをユーティがしたとしても、侯爵令嬢がこんな罵倒を受けていいはずがない。  俺の妹の尊厳を踏みにじる人間が存在していいはずがない。   『こうなったのは、あんたが生きてるせいだって、みんなが私に教えてくれたわ。生きてたところで何もできないんだから、早く死んで彼を解放して』    うつむき、言われるままになっていたユーティの頭にある髪飾りをサエコは乱暴に引っ張った。  封じ込められているはずの結界魔法が発動しない。  すでに使用してしまったのか、生命の危機に瀕しているわけではないので発動しないのか。  ユーティが弱々しい抵抗をするものの、野蛮なサエコに敵わない。突き飛ばされて座り込んでしまった。  サエコに髪飾りを奪われて、呆然としているユーティの赤褐色の瞳が輝いた。サエコの向こう側に俺を見たからだ。   『おにい、さま……』    期待と希望に満ちた瞳で俺を見上げるユーティ。  知らない。わからない。けれど、彼女への罵倒が許せない。  今の俺には分かる。  妹が生まれる瞬間に立ち会った感動を覚えている。  兄として、妹が誇れる人間になろうと誓った。  自分の役割を果たすことが尊敬される人間だと思った。    第一王子であるフォルクハルトの婚約者として行動することがユーティのためになると考えていた。  兄は立派な人間だと思えることが妹の幸せだと思っていた。  俺の幸せを願ってくれていた彼女の祈りを台無しにしたことに気づけないほど幼かった。   『だれ?』 『……お兄さま、目の色が、いえ、あの、待っていました! ずっと、わたくし、おにいさまをっ』    言葉を必死に伝えようとするユーティに目もくれず振り返ったサエコは俺に微笑みかけた。  返事をしないと気を利かせたのか、サエコの首は落ちた。  俺の気分を害するものは誰であろうと排除すると言っていた。  そのため、感情を凍てつかせて、何も考えず、感じないようにしていた。  自分の気持ち一つで命が損なわれることは、わかっていた。  それでも、不快だったのだ。    サエコの手にあった髪飾りをユーティに渡して、俺は目的の場所に移動する。  これ以上、ここに居るわけにもいかない。  彼女たちのやりとりを見たのは偶然だ。  顔を出すべきではなかった。  俺が現れなければサエコは死ななかっただろう。  それとも、自業自得なのか。  自分の感情が分からない。記憶がないので仕方がない。   『おにいさま、待って、行かないで……こんなところに、置いていかないでっ』    悲痛な声に悲しくなる。  抱きしめて涙を止めてあげたくなる。  けれど、そのときの俺にとってはユーティは知らない相手だった。  

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