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021 人はいつだって選択を迫られる1-1

 時間を戻す前、過去に陛下を批難するフォルクハルトに「自分の手を汚してない者が上に立つ資格があるのでしょうか」と言ったことがある。    陛下を擁護したかったというよりも、陛下を批難する姿勢のフォルクハルトへの叱責だ。  誰から聞いたのか知らないが、建前の正論で陛下に噛みつく彼が不快だった。  公の場において、子供が大人の決め事に口を出すべきではない。  子供の柔軟な発想によって物事が好転するなどまやかしだ。  子供が思いつくようなことは、大人はすでに試している。  正攻法では打開できないからこそ、裏から手を回さなければならなくなった。  それがわからない子供の綺麗事は、痛々しくて見ていられない。  陛下も人間なので、葛藤がないわけではない。  自分の息子に批難されて心苦しくないわけじゃない。    人はいつだって選択を迫られる。  時には板挟みになり、苦しむこともあるだろう。  どちらか一つしか選べない場面もある。  二つを手に入れようとして、二つとも失うこともあるかもしれない。    上に立つ者には責任がある。  貴族は義務を投げ出さない。  庶民であるなら義務を投げ出し、責任逃れもできるだろう。  保証された身分であるが故に、貴族は役目から逃げられない。    綺麗、汚い、そんな言葉で割り切られてしまっては困る。  何を生かすか、誰を殺すか、その裁量を力を持つ人間は握っている。  だから俺は陛下が結果として間違ったとしても、決断されたことを肯定している。  自分の手を汚す覚悟でした判断が間違っているはずがない。  我々が間違ったものにしてはならない。    陛下の心に後悔があったとしても、蒸し返して批判して何になると言うのだろう。  側近や宰相や俺の父の立場ならば、陛下への苦言は必要かもしれないが、何も知らないフォルクハルトが言えることではない。    という以前の世界での出来事を念頭に置きつつも俺はユスおじさまが、腹芸をしないことを良いことのように語った。おじさまは高い給料で優秀な人材をそろえて仕事を回すお方だ。部下を信頼しすぎることはないが、出しゃばることもない。有能だが上司と折り合いが悪い種類の人間からすると、適度に放置されるので、いい職場らしい。  

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