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026 あなたさまの妹ではありません フォルクハルト視点

『指だけでは、そろそろ物足りませんね』      それは状況に反して、艶っぽくはなかった。    野営の最中、焼いただけの肉を出したときの反応に似ている。  ひとくち食べて、塩を振って焼くべきだと言われた。  淡々とした事実を告げている。    塩が足りないと口にするのと同じ温度で、指だけの刺激では物足りないとクロト・プロセチアはベッドの中で言った。    この記憶がいつのものなのか、俺はよくわからない。  クロトの姿はモヤがかかっている。  いいや、モヤではない。  寝台の中は覗けないように薄いレースで覆われている。  レース越しに寝台の中にいるクロトを見ているので、何歳のクロトか判断が出来ない。  立ち尽くす俺は衝撃に何も考えられなくなっている。  目の前のことを認めたくないようだ。  この記憶に触れている俺は不思議と冷静だった。    クロトとはまだ一度しか出会っていない。  存在しか知らなかったプロセチア家の長男。    レースの向こう側の景色を俺は知らない。  俺は寝台の中にいるわけではない。  ベッドの中でクロトに触れているのは父だ。   『素直であることは正しく美しい。人の心を動かすものだ』 『はい、陛下』 『ただ、こういった場合は駆け引きも必要になる』 『――そうでした。直接的すぎるものは好まれないとおっしゃっていましたね』 『そういうことだ』    真面目な生徒としか思えないクロトの言葉に父が笑っているのが気配でわかる。  楽しそうな雰囲気に腹の底がチリチリと燃えるような感覚を味わう。   『どういった言い回しが男の本能を刺激するのか、覚えておくといい。他のときにも役に立つ』 『何事も応用ですね。父が持っていた書物は、そういう点では参考になりませんでした』 『どんなものを読んだのか気になるところだけど……』    白昼夢であると分かっているのに甘い匂いが漂い、湿った水音が響く。  大切なものが壊れてしまった気がする俺がいる一方で、訪れない未来を嗤う俺がいる。  思考が分裂しているのではない。同時に存在している。  その時間を味わった俺と記憶を見つめる俺と何も知らない俺がいる。     ◆◆◆      歩調を緩めて、ユースティティアが追い付いてくるのを待つ。  その後ろの男には見覚えがあるが、これは俺の記憶ではない。  白昼夢と夜毎に見る断片的な夢の意味は何も分からないが、俺はどこかですべてを理解していた。   「おい、妹」 「わたくし、あなたさまの妹ではありません」 「妹になるよう、協力しろ」 「いやですわ。むりですわ」    数日前に顔を合わせた時とは全く違う強気な態度に目を細める。  知らない人間がいる。そう判断したのは、誰だろう。  以前、人間の人格を形作るのは経験、すなわち記憶だとクロトは言っていた。  だが、俺たちはそんな会話をしていない。  出会ってまだ二回目だ。    不自然すぎる記憶に不自然さを感じない。  どこか、清々しさがある。   「妹」 「あなたさまの妹ではありません」 「さっき、言ってただろ?」    第一王子という俺の立場を気にしているのか「何が?」という疑問は口にしないが顔に出ている。  この素直さは、クロトに似ている。知らないのにそう思えた。    表情を読ませないように笑って誤魔化すことが多いクロトだが、そこそこ迂闊だ。  人に興味がないようでいて、好奇心は旺盛だし、他人の反応に戸惑うことも多い。  そういった人間らしい部分を引き出したいと望んだ俺の記憶は、どこの地点のいつのものなのか。   「さっき、愛のない婚約はダメだって言っていただろ? なら、愛があればいいってことになる」 「あいは……一方的な、ものではない、です」 「わかってる。だから、協力しろ」 「意味が分かりません」 「一方的なものにならないように俺に手を貸せ。俺もお前に協力してやろう」    たぶん、クロトがカールに会うことを優先したのもこれが理由だ。  むしろ俺に勝ちを譲ってまで行動するなら、目の前の妹以外に理由がない。  自分のことよりも他人を優先するクロトの行動を先読みするのは簡単だ。   「カールと、カールハインツと婚約させてやる」    ミーデルガム家のヴィータとの婚約はまだ発表されていない。  クロトがカールのもとに向かったのだから、俺が何もしなくても、どうにかなるだろう。  

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