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030 花嫁さまは王のもの カールハインツ視点
物心ついたころには、俺の頭はおかしくなっていた。
いつも耳元で誰かがしゃべっている。
うるさくてたまらない。
知りたくもない知識を無理やりに教えられる。
夜もうるさいので、あまり眠れない。
苦しみを相談するには兄は優秀で鈍感過ぎた。
幻聴が聞こえる第二王子がいるのはよくないと言われた。
その通りかもしれないが、突き放された気がして悲しかった。
兄の言葉で自分の異常性を思い知らされた。
そして、救いがないのだと教えられた。
このうるささを誰にも相談せずに耐えなければならない。
第二王子という立場を守るためには仕方がない。
頭がおかしいことが他人に知られてはならない。
うるさくしゃべる誰かは複数だ。
話題はその時々で違う。
兄のことを考えていると兄のことを多く聞くことになるかもしれない。
俺のことが表ざたになると自分も疑われると兄が心配をしていたと彼らは話していた。
弟ではなく自分を心配している酷い兄だとヒソヒソきゃっきゃっと騒ぎ続ける。
兄が本当にそう思っていても、違っていても、助けはこないので苦しさが募る。
彼らは、噂好きの女性たちのようで、街中で遊ぶ子供たちのようで、役に立たず、時には鋭い視点でいろんな話題を口にする。ただし、俺の質問に答えてくれることはないので、うるさいだけだ。一方的に囁かれ続ける。
彼らが黙る場面はいくつかある。
父がそばにいるとうるさい声は聞こえない。
格好いいとか美しいとか賢いとか尊敬しちゃうとか、子供のような感想がポツリと聞こえることがあっても基本は静かだ。
なるべく父のそばに居たいと思ってしまうのも仕方がないことだ。
兄には親離れできずに恥ずかしいとか、情けないと言われた。俺は兄よりも静けさをとった。
クロトのことは気づいたときには知っていた。
耳元で誰かが囁いていたのかもしれない。
クロトと向き合うと父よりも静かだった。
兄とクロトが一緒にいるのを見ると、全然似合わないとか、不釣り合いだと言った声が多い。
俺がクロトと話している時はクロトの声しか聞こえない。
あるとき、睡眠不足で反応が鈍い俺を心配してクロトが膝を貸してくれた。
最初は肩を借りていたのだけれど、もたれかかる体勢もつらくなっていた。
クロトが膝を貸してくれたのは、優しさだけが理由じゃない。
いいや、優しさが理由かもしれないが、俺が優しくされるのは俺だからではない。
兄と結婚した後をクロトは常に見据えていた。
俺とは友好的な関係でありたいと思ってくれているのは、俺が俺だからではなく第二王子だからだ。
兄の弟だから、クロトは俺に優しい。
義理の弟になる人間に優しくするのは当たり前だと言われて、どうしてか喜べなかった。
俺を見て、俺の悩みを知って、俺にだけ優しくして欲しいと夢うつつに考えて、考え違いに気づく。
クロトが父を尊敬するのは王だから。
クロトが兄に尽くそうとするのは婚約者だから。
クロトがユースティティアを大切にするのは妹だから。
クロトにとって、関係しているのは外側だけだ。
中身はどうだっていい。
俺が第二王子であるカールハインツであるから、クロトは肩も膝も貸してくれる。
そして俺は心の底から第二王子であることに感謝した。
第二王子であるから、耳元の囁きという苦しみを人に漏らせず、やり過ごすため苦労した。
治療法があるのではないのかと考える俺を頭の中の兄が止める。
『俺まで頭がおかしいという疑いがかけられるだろ』
兄ではない。
噂話が、囁きが、俺の中で、兄自身になっていく。
クロトは囁き声の対象になることがあまりない。
今日は機嫌がいいとか、花を撫でて微笑んでいたとか、覗き見された事実をヒソヒソと話している。
噂話特有の下衆の勘ぐりは、ほとんどない。
理由は分からない。
あるいは、知っている。
複数の声が同時に話すことも多いが、その中で「花嫁さまはうるさいのがお嫌い」「花嫁さまは自分をおとしめる言葉がお嫌い」「花嫁さまは親切な相手がお好き」「花嫁さまは褒め言葉がお好き」「花嫁さまは優しい存在がお好き」「花嫁さまは妖精を愛してくれる」といった言葉は見かけた。
声に声がかぶさって聞き取りにくいことも多い。
大半がうるさい雑音だ。
花嫁さまが誰なのか分からないので、聞き流し続けていた。
ある日、クロトがさらわれた。
誰かから情報を得る前に俺は囁きから情報を得ていた。
クロトたちのことを見ている誰かが実況中継してくれている。
兄への愚痴と不満が八割ほどで後の二割はクロトが綺麗だとか可愛いと状況のわりに暢気な意見。
そして、今までバラバラで、ぐちゃぐちゃで、好き勝手だった声が一斉に同じ言葉を叫んだ。
『花嫁さまは王のものなのに!!』
声と同時にどこかで何かが起こったのは間違いない。
上空を見ると一か所だけ雲に穴が開き、七色の光が地上に降り注いでいた。
異常な状態だ。
魔法や魔術や呪術が発現しないこの土地で、奇跡のような状況は起こらない。
楽しげなおしゃべりが聞こえなくなり、様々な声が「ゆるさない」とだけ繰り返す。
声の主たちは起こったことに怒っている。
クロトがさらわれて、何かをされたのか、されそうになったのだとこの流れから理解した。
声たちが言う花嫁さまとはクロトのこと。
この場合の王とは誰だろう。
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