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第18話

次の日、大学の講義がすべて終わった後、重い足取りで実家に帰った。 16時過ぎたくらいだったのでまだ両親は帰っておらず、家には一人だけだった。 部屋に入り、ベッドに横になった。 久々の一人の空間はなんだか落ち着かなくて、だけど気付けば意識を手放し、目を覚ます頃には下の階から談笑する声が聞こえてきた。 母親と、兄の声。 恐る恐るリビングへ向かうと、「お久」と兄が手を振ってくれた。 「聞いてたよ、お前の友達の、北斗くんだっけ。入り浸ってたんだろ?」 そんな話は何もしてないし、北斗の家に泊まっていたなんて事実もない。 「向こうの親御さんにご迷惑かけて。全く」 母親は溜息をつきながらも、笑顔を見せてくれた。 「帰ってきてくれてよかった」 恐らく、大事にならないように北斗が連絡をしていてくれたのだろう。 本当は、恋人の部屋に居候させてもらって、夜な夜ないけないことばっかりしていた……。 そんな事実を言えば、きっと母親も兄も絶句するだろうし、軽蔑するだろう。 ならば、話を合わせる方が平和なはずだ。 「うん、ごめん。今度からはちゃんとオレから連絡する」 事なきを得て、この日は何もなく、平和に終わった。 翌日、大学へ向かう途中に稔に声を掛けられた。 というよりは、待ち伏せされていた感じだ。 「実家、帰りましたよ」 「そうか、よかった。心配してたんだ」 稔は安堵の表情を浮かべ、みなみの頭を優しく撫でてきた。 なんだかくすぐったい気持ちになる。嫌ではない。 むしろ、嬉しい気もする。 でも、稔の顔を見ると、否が応でも昨日のことを思い出してしまう。 「……昨日」 木陰に移動し、みなみは口を開いた。 「どうして居たんですか。あの場に」 「……」 稔は苦笑し、空を見上げた。 今日は晴天。水分補給はしっかりしないと熱中症になりそうだ。 「本当に金銭のやり取りがあるのか気になってね」 「……」 「気になる?」 「……それは、」 気になる。知りたい。 だけど、知ってしまうと、後戻りできない気がする。 誠のことを、悪く思いたくない。 その事実を、知りたくない。 でも、そう思うということは、どこか分かっている部分もあるということかもしれない。 最初は本当に、何も知らなかった。疑問すら抱かず、そういう特殊な性癖があるんだな、くらいにしか思っていなかった。 だけど、稔に言われたその時から、もやもやは消えなくて。 自分はただ利用されているだけではないか、と、そう思うのが怖くて現実から目を逸らし続けて、否定し続けて。 「……」 そろそろ、現実と向き合う時が来たのかもしれない。 いつまでもこんなことを続けていてはいけない。 誠の為にもよくないし、みなみ自身にもいいことは何もない。 知る勇気を出す必要がある。 「知りたい、です」 みなみは今まで、何のために見ず知らずの男たちに抱かれてきたのか。 誠の為であることに変わりはない。 誠の不安を取り除くため、と、ずっと信じてきたけれど、もしそれがただのホラだったとしたら、どうすればいい? 怖い、知りたい、知りたくない。 「言っていいの?」 こくり、と小さく頷いた。そっか、と呟くと、稔は少し考えて、みなみをちらり、と見た。 「額までは言わないけど、払ったよ」 「払った……てことは、やっぱり」 「そうだね。そういうこと」 何も言葉が出てこなかった。 信じたくない事実だった。 誠は、みなみを利用して男たちから金銭を受け取っていた。 そんな話、本人からは一言も聞かされていない。 本当に愛されているか不安になるから、だから確かめたい、だから、抱かれて、と、そう言われ、それで安心するのなら、とみなみは言う通りに受け入れてきた。 それがもし、全部嘘だったらどうすればいい? 今までのみなみの頑張りは一体何だったのか。 「……オレは、利用されてた、だけ?」 好きという言葉も、全部嘘だったとでもいうのだろうか。 今まで愛でてくれた優しい手の温もりは、何だったのだろうか。 優しさも愛しさも、全て、まやかしだったのだろうか。 「どこまでが嘘で、本当か。それはオレには分からない。けど、利用されていたのは真実だろうね」 「……そっか」 「みなみ、何限から?」 「昼からです」 実家にいたくないだけで、朝から大学に来ていただけだ。 わかった、と稔は答えると、みなみの手を優しく握ってくれた。 「うちおいで。ここじゃ暑いでしょ。オレも今日は午後からだからさ」 それに、と稔は空いた手にハンカチを握らせてくれた。 「ここじゃあ泣きにくいでしょ」 「ッ……!」 周りなんて見えなかった。 視界はぼやけていて、どこをどう通ったのかも覚えていない。 引っ張られるままに稔についていき、気付けば稔のアパートに着いていて、ソファに座って、みっともなく号泣していた。 稔は横で、みなみの言うことを、支離滅裂だったのにも関わらず、ただただ聞いてくれていた。 稔の優しさに救われて、今はそれに縋らないとどうにかなってしまいそうで。 「好きって、何ですかね」 ハンカチで目元を拭いながら、真っ暗なテレビをぼんやりと眺めた。 情けない自分の姿が映っている。 「愛って何なんですかね」 「優しさは、愛情とは限らない、ってことかな」 稔の優しさは、みなみを利用するための餌だったとでもいうのだろうか。 その優しさは全部、稔の計算尽くされたもので、みなみはまんまとそれに嵌ってしまって。 「みなみは本当に、誠が好きなの?」 「……わからないです」 確かに誠のことは好きだったが、誠の気持ちが分からなくなってしまった今、よく分からなくなってしまった。 愛されているから愛したかった。 求められるから応じたかった。 だから、みなみも誠を愛していた。 ……それは本当に、愛なのだろうか。

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