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第4案【残業なんて御免です】 前編

 タイピングが速くても、有能な人間じゃない。  商品の詳細を打つのはいいけれど、どうプレゼンしたら効果的か。  打ち込んでは消して、また打ち込んでは消して……。その繰り返しをしていると、いつだって俺は残業コースに発展してしまう。  今日はさらに【幼稚な嫉妬心】のせいで考えがまとまらなかった俺は、事務所で一人、パソコンに向き合っていた。  今打ち込んでいるのは、井合課長が開発した商品のデータだ。……勿論、オナホじゃない。  その名も【全自動穴開けパンチ】だ。  どんなサイズの用紙を差し込んでも自動的に用紙の中心を見つけて、穴の位置を調整してくれる。しかもそれだけではなく、穴開けすらも自動でやってくれる優れ物だ。……と、井合課長本人が言っていた。  自分で穴の位置を調整して、自分で穴を開ければいいとは思うけれど……まぁ、便利ではあるだろう。  こういう地味に便利な物を作ったり、かなり画期的な物を発明したり……。やはり井合課長は、本質的には天才なのだ。  ……とても、昼休み明けにオナホを持って走り回っていた人が考えた商品だとは、思えない。思いたくない、とも言う。  しかもこの穴開けパンチは、商品の購入対象者が【大人】ではなく【子供】なところもミソだ。デザインを三種類、ウサギと犬と恐竜にしたあたり、かなり本気で考えたのだと思う。  ……そう。井合課長は、どんな時だって手は抜かないのだ。 「結局、今日は会議から戻ってこなかったな……」  チラッと、井合課長のデスクへ視線を向ける。  増江課長に抱えられ、会議室へ連行されたまま。井合課長は、就業時間中に事務所へと戻ってこなかった。  別に、それくらいは稀にあることだからいちいち気にするのも変な話だが……好きな人がいない事務所は、やはりと言うかなんと言うか。……若干、寂しい。  あと、単純に井合課長のいない事務所は静かだから、他の職員も『寂しい』と感じていたと思う。……責任転嫁などではなく、純粋に。  しかし、そんなことを考えていたところでパソコンの画面は真っ白なままだ。俺はデータ入力作業に視線を戻そうとした。  すると、突然。  『バンッ!』と大きな音を立てて、事務所の扉が開いた。……当然、誰が開けたのかなんて音で分かる。 「ハーッハッハッハ! 完全勝利ーッ!」  ──ウザい。  そうは思うけど、惚れた弱み。今日はもう会えないと思っていたので、口角が上がりそうになってしまう。  俺は必死に、げんなりとした表情を作って声の主を振り返る。 「井合課長、お疲れ様です」 「なんだクソ童貞! 一人でシコシコ残業してるのか! よっ、この遅漏め~っ!」 「…………そうですね」 「なんだその全てを諦めたかのような顔は!」  いつにも増してテンションが高い──いや、通常運転か?  とにかく、ウザいくらい元気な井合課長が、俺に近寄ってきた。そのまま、ジッと俺のパソコンを覗き見る。 「いったいなんの作業をしているかと思えば、なんだ! 俺様の発明品じゃないか! なにをそんな必死に眺めて──ハッ! まさか【穴】開けパンチを【孔】開けパンチと勘違いしたのか? お前、発想がぶっ飛んでるぞ。大丈夫か? 欲求不満か? オナホ、まだ改良してないが要るか? そんな妄想、馬鹿馬鹿しいぞ?」  ──お前がな。  という言葉を、なんとか飲み込む。 「商品のアピールポイントが、なかなかまとめられなくて」 「ハァ? 母親にエロ本が見つかった中学生男子レベルの悩みだな!」 「それ、大惨事じゃないですか」  井合課長は大きな声で俺の悩みを一蹴すると、俺が座っている椅子を短い足で蹴り飛ばした。  驚く俺には目もくれず、俺とデスクの間に距離を作ると、井合課長がキーボードを手早く叩き始める。 「こういうのはな、綺麗事は書かなくていいんだよ! そもそも、アピールポイントを見つけて売り込むのが、営業課の仕事だ! お前だってそれくらい知ってるだろう?」  俺だって一応、元営業課だ。井合課長の言い分は分かっている。  けれど、俺は企画開発課が作ってくれた商品データを丸暗記して、営業先へ売り込んでいた。だから、ここに書かれるデータの重要性だって分かっている。  椅子に付いたキャスターを転がしながらデスクに近寄ると、井合課長がデータの打ち込みを終わらせていた。 「この商品の強みは、自分がなにもしなくていいという楽さだけじゃない。そもそもなぜ、子供向けなのか。……お前、その理由を少しは考えたか?」 「子供に商品を選ばせた方が、親の財布の紐が緩むから。……ですか?」  俺の返答に、井合課長はわざとらしく肩を竦めて見せる。 「ハァ~……っ。お前の頭にはザーメンしか詰まってないのか?」 「そんな人、この世にいるわけないじゃないですか」 「──正解は【安全性】だ」  井合課長の答えに、俺はハッとしてしまった。

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